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田んぼはほんものの自然じゃない 5

2012年に書いたものです。

マガンの越冬地にもなる田んぼのコメは通常のコメより高く売れる


江戸時代には、治水技術の発展を背景にした新田開発によって、耕地面積が飛躍的に拡大したが、米の単位面積あたり収穫量はほとんど増加していない。それが明治維新以後の100年間で2.5倍に増加した。それを可能にしたのは、化学肥料や農薬の使用、品種改良、灌漑・排水施設をともなう圃場整備である。

●米づくりの近代化で、田んぼの形と水の流れが変わった

 圃場整備の目的は労働生産性の向上で、農業機械を使いやすくするために、1区画面積を広げ、長方形に整えられる。同時に、水路や道路も整備される。それまで水路は用水・排水兼用で、上の田から下の田に順に水を流す「田越し灌漑」だったが、用水と排水とを分離し、用水は地下埋設されたパイプラインに、排水は深いコンクリート水路へと変わった。

 圃場整備によって面積あたりの労働時間は減少した。近年、農家の兼業化や農村の高齢化を要因とした耕作放棄が進んでいるが、圃場整備を行なった水田では、放棄率が少ないことも事実だ。

 

●田んぼの多様な役割

 水田は「米を生産する場」としてだけでなく、ほかにもさまざまな機能をもっている。水田の多面的機能には、食の安全、農村集落の維持と活性化、そして土地保全や再生可能資源の管理、生物多様性の保護、景観などの環境保護がある。日本学術会議 (2001) は日本の農地の多面的な環境機能の経済的価値を、58,258億円と推定している(表1) 。

表1 農地の多面的機能(日本学術会議2001)

■洪水の抑制 洪水は、一度に多量の雨が降って、河川の排水能力を超えることで発生する。水田には降った雨を溜め込み、河川のピーク流量を低下させる機能がある。

■地下水の涵養 水田は水を溜めるだけでなく、水路や田んぼの底からじわじわと地下に浸透させることによって地下水を涵養する。

 100万人近い人が住む熊本市の地盤には、阿蘇山から噴出した火山性の礫が多く含まれているために、雨水は地下に浸透しやすく、河川水は慢性的に不足している。そのため熊本市民が利用する上水の100%を地下水に依存している。熊本県で、稲刈り後の冬の田んぼにも水をはって(冬期湛水)湛水期間を長くしたり、休耕地に湛水することによって貯水面積の拡大を試みている。

■水質浄化 農地は下流域の水の汚染の最大の原因ともなる。しかし、水田は、流入する灌漑用水の窒素やリンの濃度が高い場合には、湿地と同じように、それを浄化する機能があり、灌漑用水を循環利用することによって、その作用はさらに高まる。

■都市気候の緩和 都市では周囲よりも気温が高くなるヒートアイランド現象が起こりやすいことが知られている。アスファルトやコンクリートで覆われることで熱の放出が妨げられるなどして、気温に影響するのだ。植物や水面があると、水の蒸発散によって気温の上昇が抑えられる。東京近郊の水田の真夏の日中の気温は、都市部よりも2°C以上低い。

■文化と景観 水田が伸びやかに広がる風景は、日本人にとっての「ふるさと」を象徴するものの一つといえるだろう。

●希少生物をシンボルにした農村活性策

 米の収量や労働生産性の増加を目指した稲作の近代化は、大きな成果を上げた一方で、それまでの自然の恵みを減少させ、環境への負荷を大きくし、人と自然の距離を遠くしてしまった。

 安全な食料の生産と環境保全は、農村の活性化とともに重視されている。そのシンボルとして鳥や魚などの生きものがよく用いられている(図1)。その多くは農業の近代化によって減少した種だ。農薬を減らしたり、生物のために配慮することは農家に新たな負担を強いることになるため、その代償として行政が補助金を支払う生きもの認証制度を実施している地方自治体もある。

図1 生き物との共生をアピールしたブランド米

生きもの認証で共通する条件は、生物多様性の向上に役立つだろうと考えられる手段の選択と減農薬である。認証米を生産した農家は自治体などから直接支払を受けるとともに、プレミアがついて通常の栽培方法でつくった米よりも高く販売することができる。

宮城県大崎市の「ふゆみずたんぼ米」はその一例である。越冬のために飛来するマガンのねぐらとなるように冬期湛水を行ない、無農薬無化学肥料で栽培した米だ。日本に飛来するマガンの60%が大崎市の蕪栗沼で越冬する。周辺の水田にも冬期湛水することによって、マガンのねぐらを分散させることができる。この場合の認証条件は、冬期湛水し、米ぬか等を投入することや無農薬、無化学肥料、苗密度を低くすることなどである。この栽培方法では収量が減少するため、農家には10aあたり8,000円の補償金が自治体から支払われる。いっぽうで、冬期湛水した田んぼのコメは、通常の農法で生産したコメよりも60%高く売れているという事実もある。

滋賀県の「魚のゆりかご」認証制度は、農薬使用量を減らしたり水田から濁水を流さないことによって美しい琵琶湖の水を取り戻すことと、琵琶湖岸の環境変化によって絶滅危惧種となったニゴロブナの個体数回復をめざした取り組みである。滋賀県の認証制度で用いられる「堰上げ魚道」の設置は、個別に水田に設置する魚道とは異なり、排水路を利用する農家全体の合意が必要になるが、集落あげて取り組むことで農業の持続性を高めることにもつながる点で注目されている。

滋賀県高島市の認証条件はユニークで、自分の田んぼにいる「自慢できる生物3種」を農家自身に決めさせるというものである。その3種はかならずしも希少種である必要はないが、農家は自分の田んぼにその生きものが生息していることを知っていなければならない。福岡県の取り組みのように、田んぼの生きもの調査を条件としている認証制度もある。

シンボルになる生きものに物語性があると、取り組みはいっそう受け入れられやすい。たとえば、佐渡島のトキや豊岡市のコウノトリは、地域を舞台にした物語や伝統文化とも関連の深い馴染みのある生き物だ。滋賀県の水田や水路で捕獲されるニゴロブナは、郷土料理として親しまれる鮒寿司の材料とされていた。

農家と消費者との連携は、こうした取り組みの成功を促進することから、「田んぼのオーナー制度」のような仕組みを導入している場合もある。約100m2あたり3万円程度のオーナー料を払うと、水田での農作業や自然観察会に参加できるうえ、収穫したコメが送られてくる。

 こうした新しい取り組みが農家や消費者に受け入れられ、広く普及するのは容易ではない。本稿で紹介した取り組みがいずれも成功しているのは、計画が優れているだけでなく、熱意にあふれた魅力的な農家や行政担当者などの存在と、そうした人びとを結びつけるネットワークの力が大きい(図2)。

引用文献
日本学術会議 (2001) 地球環境・人間生活にかかわる農業及び森林の多面的な機能の評価について(答申)

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