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【サイエンス】致死率100%の謎の寄生虫「芽殖孤虫」

 1904年、東京帝国大学病院を33歳の女性が訪れる。彼女の名前はタナカ・ヤエ。織物職人だった。彼女は鼠径ヘルニアの治療のため皮膚科を訪れたが、医師は彼女の皮膚が異様に腫れているのに気付いた。

 腫れは体中に見られた。特に左大腿部が酷く、この異様な腫れは自重で垂れ下がっていたという。この異様な部位を除去する手術で、彼女から数キロ分もの組織が切除された。

 彼女は皮膚が痒かった。皮膚を爪でひっかくと白っぽい物体が押し出されてきた。

 女性の皮膚を調べると、組織の中に大量の寄生虫がいた。寄生虫のサイズは小さいもので幅0.3mm以下・長さ3mm以下、大きいものだと幅2.5mm・長さ1.2cm程度。組織のあらゆる場所に、大量の寄生虫が被嚢(カプセル)に包まれて存在していたという。なんとその量は、左大腿部だけでも被嚢が1万個以上。被嚢に入らずに存在していたのもいた。被嚢1つあたり1~7個の寄生虫(または寄生虫の断片)が入っていたという。

 皮膚表面の約5センチ四方あたり少なくとも4つのニキビのような突起があり、これがまさに皮膚の表皮に近い位置にあった被嚢によるものだった。彼女が皮膚をひっかいたときに皮膚が破れて出てきた白い物体は、この被嚢が破れて飛び出した寄生虫だった。

 日本の著名な寄生虫学者・飯島魁は、この女性の調査結果を「On a New Cestode Larva Parasitic in Man」(人に寄生する新種の条虫の幼虫について)という論文で発表した。

 被嚢の中でこの寄生虫は自ら分裂して増殖しているようだった。この「出芽」のプロセスで増殖することから「芽殖」、そして成虫が特定されていない事から「孤虫」、合わせて「芽殖孤虫」と名付けられた。

 この女性は亡くなった。

正体を追え

 この1904年の事例以降、全世界でも18例しか報告されていない。18例のうち7例で、1904年の女性の例のような、皮膚や内臓が侵される異様な病変がみられ、7例すべてで死亡しているという。

 芽殖孤虫症は日本での報告例が最も多い。上記の7例のうち5例が日本人だ。最新症例は1989年に虎ノ門病院から報告されたものらしい。

 このように極めて稀な寄生虫であるので、標本が少なく研究があまり進んでいなかった。例えば、日本にある標本はホルマリン漬けでDNAが傷んでいたという。

 似た寄生虫に、同じ裂頭条虫科のマンソン裂頭条虫というものがいる。こちらは芽殖孤虫ほど致死的ではなく、芽殖孤虫よりは詳しいことが分かっている。芽殖孤虫はマンソン裂頭条虫がウイルスによって変異したものではないか?とする仮説もあった。ただし日本の1987年の事例では、虫体の中にウイルス粒子は見つからなかった。

 そんな中、寄生虫学者の菊地泰生が、国立科学博物館でベネズエラ由来の芽殖孤虫を生きたままマウスの体内で飼い続けている事を知った。東大医科研の小島荘明がベネズエラの研究者から受け継ぎ、その後も国立科学博物館で20年近くも継承されていたものだという。この虫体を用いて、芽殖孤虫のDNAを解析し、マンソン裂頭条虫とは明らかに異なる別種であると確定させた。

 また、芽殖孤虫は有性生殖に関わる遺伝子の重要性が低下しており、芽殖孤虫は有性生殖ができない状態(=幼虫の状態)しか存在しない可能性があることが判明した。幼虫の状態で増殖し続けるという事だ。さらに、芽殖孤虫には増殖が盛んなタイプと、そうでないタイプがあるという指摘があったが、これも今回の研究で確認された。

 芽殖孤虫について様々な事が明らかになってきているが、自然界のどこに潜んでいるか等、その正体は依然不明で大変不気味だ。

《出典》

Isao Ijima「On a New Cestode Larva Parasitic in Man」

文化庁「【国立科学博物館】謎の寄生虫「芽殖孤虫」のゲノムを解読 -謎に包まれた致死性の寄生虫症「芽殖孤虫症」の病原機構に迫る-」

Wikipedia「芽殖孤虫」「マンソン裂頭条虫」「飯島魁

朝日新聞「死を招く謎の寄生虫『芽殖孤虫』正体明らかに」2021/6/23

青島正大など「PIE症候1群, 肺塞栓症を合併した芽殖孤虫症の1例」

トップ画像:CDC Public Health Image Library (PHIL)

m3.com「『芽殖孤虫』――研究者とネズミがつないだ伝説の寄生虫【時流◆寄生虫のはなし】」

KAKEN「芽殖孤虫の増殖・分裂および転移機序の解明と新規治療法の開発」


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