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学校の文化と伝統を考える

「文化と文明はどのようにちがうのか」

~札幌市立中央中学校50周年によせて~

 昨年は「北海道」命名150年。そして、中央中学校開校50周年。今年は、最初の北海道開拓使判官島義勇が札幌の原型を造り始めてから150年。中央中学校は51年目の平成最後の新学期を迎えました。本稿では、歴史の流れを通して中央中のこれからのことを考えたいと思います。


 150年という時の流れをどのように考えるか。一つの見方として、都市計画に基づいた街づくりで最も古い京都市と、最も新しい札幌を比較してみたいと思います。島義勇が着任した西暦1869年の札幌は、石狩泥炭地を低木と草むらが覆う原野。アイヌ民族がわずかに生活をおくっていました。キタキツネの巣が多く、4年に一度は豊平川が氾濫する土地であったそうです。それから150年で現在の札幌となりました。京都市(平安京)成立は西暦794年。現在まで実に1200年以上の時の流れがあります。150年前の京都は、鳥羽伏見の戦いから明治維新への転換期でした。

 おなじ150年でも、随分と違います。

 視点を変えます。


 日本で学ぶ中学生は、学習指導要領に基づき全国どこでも、同じ内容を学習します。札幌も京都も同じです。しかし、特に歴史(日本史)授業の意識は随分とちがいがあるようです。例えば、平安時代あたりの学習では、札幌の中学生なら教科書を読み、先生の話を聞きながら、資料集の写真を見たりして、この時代の出来事や登場人物や建築物を大変な努力をして理解します。これに対して、京都の中学生は、同じ授業でも、その時代の建築物が通学路にあったり、近所の*古い和菓子屋の大昔のお客が織田信長だったりします。(*亀屋陸奥)ですから、札幌の中学生が必死に平安時代を学ぶのに対し、京都の中学生は、大あくびをしながら「またセンセイ、ウチの裏のご先祖さんの話してはるわ~」なんてこともあるかも知れません。歴史が過去の物では無く今も生きている場所だからです。


 この話は、札幌と京都の優劣を語るものではありません。

 都市計画は、その街に住む人の利便性や管理のしやすさを目的につくられます。これは、どんな人でも、その恩恵を受けることができるシステムです。上下水道や電気、情報通信、交通網などがそうです。このようなものを文明ということとします(諸説あります)。古代エジプト文明など、都市機能としての文明は多くの人を引きつける力があります。札幌も京都も人口が多い都市です。つまり文明という面で札幌と京都は同じだ。といえます。
 いっぽう、その地域には独自の方言、風習、祭事などがあります。これは、人から人へ伝承されるものです。このようなものを文化ということにします。文化は、人が伝えるものなので、その地域での人と人の交流が生じます。おじいさんから子どもへ、子どもからその子どもへ脈々とつがっていきます。それは、何かを守る行為と似ています。文化は文明とは違って、どんな人でも恩恵を受けるものではありません。先人から教えをいただいたり、時には大変な苦労と努力の結果身についたりするものもあります。文化という観点で見ると、京都には祇園祭(863年開始)五山送り火(900年開始)などをはじめ、京料理、京菓子など約1200年かけて伝承された数々の文化があります。
 私たちの札幌の文化は何でしょう。北海道弁、よさこいソーラン…、意外にも、あまり思い浮かばないことに驚きます。きっと150年という時の流れは文化を醸成するには短かすぎるのだと思います。そのかわり、札幌(北海道)には歴史ある本州の地域に比べると、合理的で風習にとらわれない自由さがあります。これは開拓初期段階で、本州からの移住者がフロンティアスピリットの気概をもち開墾を進める中で生まれたものかもしれません。

 札幌の文化は、まさにこれから創られるのだと思います。

 人口190万人を越える大都市なのに、冬季年間降雪量が5mほどもあるのは、世界的にもまれです。雪がたった5㎝も積もると都市機能がストップする東京のことを考えると、私たち札幌人の何と逞しいことか。たった150年の時の流れですが、私たちの気づかないところで独自の文化が育まれているかも知れません。
 50周年を迎えた中央中学校の文化も同じように、これから創られるのだと思います。
 新校舎は文明です。次年度は生徒用PCが新しくなる予定です。中央中の文明はますます便利になります。
 いっぽうで、人とのつながりで創られる文化はどうでしょうか。過去から受け継がれたものにはどのような思いが込められているでしょうか。
かつて中央中に勤務した先生は「中央中の文化は他者へのやさしさだ」と話されていました。私が中央中に異動した当初、感銘を受けた生徒の姿があります。それは「あいさつ」でも「ドアリレー」でもありません。授業後に消しゴムの消しかすを床に落とさずに集めてゴミ箱に捨てる姿でした。決して、目立つ行動ではないけれども、おそらく床をきれいに保つ事の他に、清掃する人の気持ちを考えての行動だと思います。
 文化はそれを大事する人の中に生まれるのかも知れません。文化を受け継ぐというよりも、文化を大切にする思いをつなぐことかも知れません。
 中央中の50年。まだ始まったばかりの文化だと思います。これから、どのような文化を創るのでしょう。生徒のみなさんは、わずか3年間の中央中での生活で何を感じて、何を伝えていくのでしょう。これから、先輩から後輩へ、苦労と工夫をして教えたり、努力して練習したりして伝えていくことを、ずっとずっと続けていくのです。そうして、いつの日か文化が生まれていくものだと思います。

(FEB.2019 三浦 雅美)

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