仏教と生命の起源
宗教にはそれぞれの宗教観がありますが、それぞれの宗教は生命の起源をどのように説明しているのでしょうか。今回は仏教がどのように生命の起源を説明しているか見ていきます。
結論から書くと、仏教では生命あるいは宇宙(世界)がどのように誕生したのかを説明していません。長々と説明を書く前に、似たような問いとその回答の1つをYahoo知恵袋で見つけたので共有します。
Yahoo知恵袋 仏教における世界と人間の始まりってどうなってるんですか?
Yahoo知恵袋は誰でも回答できるので、その正確さが問題になります。従って、もう少し詳しく調べてました。残念ながら、日本語では情報が出てこなかったのですが、チベット仏教についてまとめている海外のwebサイトに、似たような記述がありました。
仏教には縁起(えんぎ)という考えがあります。縁起とは原因と結果がぐるぐると回っている状態を指す言葉で、その中では、初めと終わりがつながっているので、最初の原因または結果が存在しません。これはベンゼン環の構造を提案したアウグスト・ケクレのエピソードに出てくるウロボロス(1匹の蛇が自分の尻尾を飲み込んでおり、円のようになっている)に似ていますね。
この縁起の考えに基づくと、因果関係(始まりと終わり、原因と結果)は、円のようにグルグルと回っているのだから、そもそも始まりと終わりがあると想定することが間違いであるということになります。
また、仏教は創造神の存在も否定しています。宇宙は常に創造と破壊が繰り返されており、それは人間の知能では認識できないとしています。くわえて、あらゆるものは究極的にはヒトの心が作り出すものであるとしています。
生命の起源とは少し外れますが、仏教は基本的には進化論を否定していません。しかし、ダライ・ラマはThe Universe in a Single Atom: The Convergence of Science and Spirituality(1つの原子の中の宇宙:科学と精神世界の出会う場所 *邦題は筆者訳)の中で、遺伝子のランダムな変異が進化を起こすという考えは、全ての生命の起源は1つに収束するという理論とは相いれない、と話しているそうです。
ここまでを踏まえると、仏教では、生命の起源を定義しておらず、創造主の存在も想定していないため、生命は初めからそこにあったという考えに近いように思えます。「生命の起源は何か」という問いに明確に答えていないので、一見、非科学的に思えます。一方で、例えば、宇宙と生命は同時に発生したと仮定すると、全ては初めからそこにあったという考えも、一理あるのかもしれません。
結論
仏教では、生命・宇宙の始まりを考えても、人間の頭では答えが出せない問いだから、問いそのものに答えようとしていない。
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