映画「帰ってきたヒトラー」の気持ち悪さ

今週末は「帰ってきたヒトラー」がアマゾンプライムでレンタル100円セールだったので、映画館で未損ねていたこともあり、大喜びでポチッとしたのです。・・・したのです・・・が、なんか映画の手法とオチがあまり好きではなかった。正直買わなくって良かったと思いました。(小説版の方は結構楽しんで読んだんですけどね。詳しいオチは2度読んで2度とも忘れておりますが、映画版と違うことは間違いない。)

実際の一般人(役者ではない人)を映しているのか、それとも一般人と思わせるために、顔にモザイクをかけているのか、まずその辺の境目がよくわからない。ドイツ中を回って人々の反応を見るシーン、あれはどうも一般人が多そうだぞ・・・でも、けっこうどキツいことを言っているのに顔出ししているのは何故?実生活に問題でるんじゃ?あれは役者だったのだろうか?では、最初のクリーニング屋のシーンは?見たところ、非常に一般人ぽいが???だんだんとテレビ局の人間以外、全て一般人に思えてくる。

となると、次の気持ち悪さというか居心地の悪さは、その一般人のヒトラーに対する態度。「あぁ、ヒトラーは1930年代にこの雰囲気と民意を利用したんだな」とよくわかる。また、映画版では「ヒトラーが本物のヒトラー」と気がつく人間が存在するため、ヒトラーの最終目的がより怪物的というか「こいつマジで天下取る気なんだな・・・」ってよくわかる。小説版のほうでは、秘書の女の子と最終的に仲直りしていたし(それはそれで怖い話ですが)、なんとなく「ヒトラーってそんなに悪い人じゃない?」みたいな空気が漂っていたように記憶している(繰り返すが、今思えばそれはそれで怖い話ですね)。まぁ、小説がそういう感じだから、映画ではわざとオチを変えたのかもしれませんね。

とにかく、一般人の登場とオチの変更によって、小説よりもぐっと現実のドイツ社会とシンクロしているのが映画であり、それゆえに見ている側は落ち着きをなくしてしまう。ヒトラー本人が生き返ることはないだろうが、「ヒトラーのような人」であれば今後出てくる可能性は大いにある。その時にドイツはどうなってしまうのか?「良識派が多かろう。ドイツ国民はもっと冷静さ」と言いたいが、それはこの映画の一般人のシーンにより説得力がない。ましてや、ヒトラーらしくない人間が未来のヒトラーだとしたら、そもそも危ないとさえ思わないんじゃなかろうか?

・・・とドイツの状況を日本人は笑っていられるのか?この映画はドイツの小説をドイツで映画化してるので、ドイツの内在的論理にあふれており、多分それをあまり理解できていないから、気持ち悪さ満点なのだと思う。(ドイツの内在的論理がわかれば、もう少し映画の中の一般人の主張に寄り添えるのかもしれない。)「日本では特に移民の問題はないし・・・」とか思っちゃうけれども、多分「それ、気持ち悪いかもよ」と外部から言われないと気がつかない何かを、我々もきっと持っているに違いないと思う。


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