1日1ページで教養が身につくものか

1日1ページ読めば身につくらしい、教養。例の如く、買いもせず読みもせず、本屋でパラパラとページをめくっただけだが、なんだか色々と気にくわない。

まず、教養というものは数えることができるものなのだろうか?「世界の教養365」と銘打っているのだから、この本は365個の教養を含んでいるつもりなのだろう。でも、教養って「あの人、1000個も教養があるのよ!すごくない?」っていうもんではなかろう。「教養」の定義となると、それはそれで難しいものだが、個人的には知識、知恵、人格、品性などが1人の人間の中で混ざったものだと考えている。つまり、どんなに幅広い知識があっても、性格が最低ではだめだし、人格がどんなに良くっても、学がなければ教養があるとはいえない。つまり、教養とはみだりに「身に着ける」とか「手に入れる」とか言えないものなはずだ。逆に教養がある人ほど、己の無知を恥じるだろう。ソクラテスじゃないけれど、「無知の知」知る謙虚さも教養の内。その点この本はなんですか。あけっぴろに365個の教養(いや、たった365個だけの教養!)が載っているだなんて、良くまぁ言えたもんだわ。

そして、肝心の1ページに書いてあることの内容の薄さよ。kindleのサンプル版で読めた部分から、例えばクローン技術について。ドリーが誕生して、それまでの常識が覆されて、でもドリーはテロメアが短くって、安楽死。豆知識として、ドリーは6頭の母親になっただの書いてあるが、これって本文部分も豆知識じゃありません?ドリーの誕生を「分化した細胞からでも新しい個体を作れる」ことへの衝撃で済ませていいの?てか、最大の衝撃はそこではないでしょう??人が人為的に、今まで自然にしか許されていなかった生物創造を行ってきた挙句、しかもドリーでは、すでに存在している個体から、同じ細胞をそのまま利用して作った。それが一体どういうことなのか?どういうことになるのか?それを考えなければ、クローン技術について考えたことにはならないでしょう。そういう問題提議もない。じゃあ、せめてそのページで取り上げた項目をより深く知るための読書案内でもあればマシだが、それもない。勿論、全く読書案内もないところで、自ら興味をもった分野の古典やさらなる入門書、応用書を読んでいく人もいるだろう。でもそういう人は、すでにこの本が提供する程度の教養はあるだろうし、それ故そもそもこんな本は読まないと思う。

人間は全能全知ではない。ゆえに、どんなに貪欲に勉強したとしても、身につける知識に偏りは生じるだろうし、その片寄った世界でも真に「知識を持っている」と言えるだけの状態になれる人は滅多にいない。己の無知を自覚し、未知の世界をひたすらに追求する姿勢こそが教養人であるべき必要条件ではなかろうか。勿論、そこには深い思慮からの立派な人格も必要だろうし、ほんとね、教養ってそう簡単なもんじゃないのよ。たった365個で教養人になろうだなんて、図々しい。

とにかく、この本を読んでなれるのは教養人ではなく、豆知識王である。(それでも365個だけだが。)それならば、200ページの本を二冊読み、そのテーマについて深く考えた方がよっぽど教養に近付くと思うのだけどな。

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