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クリエイターが消える世界の話

クリエイターが消えます。作るという行動を間違えて解釈したままになると。

自分が創造したものに、命を吹き込み、意味をつけ、世に出す。世に出す時も、どうすればコイツが生きていけるのか、1人でどこまでいけるのかを考えながら世に出す。世に出した後も、こいつがもっと多くのところで活躍できるようにと戦略を組む。こうして、人に使われた時、「あぁいいもの作った」と思える。このときはじめて、『作った』ということばが心に染みる。そしてこれが中毒になり、この行為を繰り返す。これが、クリエイターの信念です。

材料・原料・素材などを用いたり、それに手を加えたりして、まとまりのあるものや意味のあるものに仕上げる。

これが『作る』の意味です。やはり、意味のあるものに仕上げると言っています。

この作るという行為を履き違えて、他の人が生み出したサービスを、たかがスキルを知っているからと言って、「こんなの作れました」だとかが、すごい勢いで増えてきて、本当にこのままだと、いろんな意味で、本当のクリエイターが消えます。

しかも大体そういう時は、『デザインは違いますが・・・』とか『シンプルですが』とか付け加えるんです。違う。仕組みが大事なのではなく、デザインやコンセプトが大事なのに、そこを抜きにして、『同じものが』とかといってくる。そこが違うんだから同じものではないんだ。

作るということ

最近、ノーコードでアプリを生み出す(※作ると、まだ言いません)という、プログラミングの専門的な知識がなくても、テンプレートや、文字を変更するだけで、アプリを生み出すことができる世界になっています。

そこで、勘違いしているのは、『早く作れるようになった』『簡単に作れるようになった』というただただ表向きでしか見えていない人が多くいるということです。

そもそも作るという行動と、使ってもらうということはイコールにはなりません。ものすごく便利だ!と思っているアプリも、結局使い手がいなかったら、それは意味のないものです。同じことです。生み出したアプリケーションが使われなかったらそれは、作るという行為の中にもある意味のあるものに仕上げるに反しています。もちろんそれが自己完結する自分だけでの世界なら何も問題はありません。ただ、クリエイターが一生懸命に「作った」ものを、『私でも同じ仕組みであれば作れます。』とか『作ってみました。デザインはシンプルですが、ぜひ使ってください』だとか、クリエイターが世に生み出した行為を、ひねりつぶすくらいの勢いで、ただ、生み出すという行為をする方々が特に最近多いです。

生み出す行為は、スキルがあれば誰でもできます。今までスキルがなければできなかったアプリケーションの制作も、今や簡単になりました。つまり、論理的に考えれば、誰でもこの世に仕組み自体を生み出すことはできます。(ツールが揃っているので)インスタグラム、メルカリと同じ仕組みはすぐできます。でもそこには、同じものが例えできたとしても、信念と覚悟と夢と欲望はありません。

似たアプリを作って、できた!使ってください。のようなことをしているのはスキルがあれば誰でもできるんです。そんなのは、『自分はこれと同じくらいスキルがあるよ。すごいでしょ』と自慢しているにすぎません。せっかく最初の創造主が、意味を与え、ブランディングしたのにもかかわらずです。

そうやってスキル自慢によって生まれた仕組みが世の中に出れば出るだけ、クリエイターが作ったアプリにも影響が及びます。それはいい方向に影響が出る場合もあります。そういった信念がないただのスキル自慢のアプリは、展開しないし使われないから広がる可能性もありません。しかし、同時に悪い方向に影響が出ることもあります。結局この程度かと、与えた意味が消え、クリエイターの信念は消えていきます。声を大にして言いたい。

他の人が一生懸命作って価値を持たせようとしているものに対して、自分もこんなの仕組みであれば作れますよ。はい使ってください。のような行動は、クリエイターを消します。

世に生み出し価値を持たそうとしている人を、ただのスキルひけらかしで、エンジニア気取りが、こんなのできたんでどうぞ。デザインは違いますが。のような行為でクリエイターをなめてかかるのはやめていただきたい。


オープンデータ、オープンイノベーション、シビックテックの概念を履き違えると、せっかくいいことをしようとしている世界線が、ブレて、悲しいクリエイターが生きにくい世界になります。誠意と自信と熱量をもって作ることのできる環境を用意し、クリエイターさんたちが生きやすい世界を造っていきます。

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