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みんなで創る未来(あした)の学び〜私たちが目指す学びのあり方〜

スクールタクト サマーキャンプ 〜みんなで創る未来(あした)の学び〜 は、スクールタクトと全国の先生がつながり、これからの教育や学びについて一緒に考え、未来に向けてそれぞれの現場での実践につなげていこうと企画したイベントです。

この記事では、イベント初日の対談編について詳しくご紹介します。
冒頭、2日間のイベントのスタートということで「キャンプリーダー」当社代表取締役 後藤からご挨拶と趣旨説明をさせていただきました。コロナ禍、長い間ユーザーである先生方と触れ合うことが叶わなかったのですが、今回は2日間のイベントを通して先生方とたくさん対話したいという願いをお伝えしました。
その背景には、スクールタクトが大切にしている「内省と対話」があります。何かをできるようになるためには「内省」が、よりよくしていくためには「対話」が必要。人は主体的に学ぶことで、内省も対話も豊かになると言います。この機会に先生方にお集まりいただき、自身のことを振り返ったり対話することを通して新たな視点や気づきを得て未来の学びにつなげる機会にしていただきたいというのが今回の趣旨です。

Day1は『教育は変えられる』著者の山口裕也氏と当社代表取締役 後藤による対談を行いました。後藤が「尊敬する人」と語る山口さん。「原理、理論、方法と幅広く扱い、教育について広く深く語られているこの本を多くの方とシェアしたい」と、2人の対談がスタートしました。

登壇者プロフィール

山口裕也氏
教育は変えられる』(講談社現代新書)著者。2005年から研究員として杉並区教育委員会事務局杉並区立済美教育センターに在籍。同センター調査研究室長や東京学芸大学非常勤講師などを経て、現在は杉並区教育委員会教育長付主任研究員。
著書のタイトルの通り『教育は変えられる』という信念のもと、行政、学校、先生、地域を巻き込みながら、「子どもたちの学び、ひいては、公教育の在り方のぜんぶを根本的に考え直そう」という取り組みを一歩一歩進めてきた。

株式会社コードタクト代表取締役 後藤正樹
早稲田大学教育学研究科博士課程満期退学、洗足学園大学指揮研究所を卒業。大手予備校にて物理科講師、教育系企業でのCTOを経て、現在、株式会社コードタクト代表取締役、株式会社スタディラボ取締役、また、デジタル庁にて非常勤国家公務員として教育のデジタル化を進める。
これまでに総務省プロジェクトマネージャーや教育委員会の委員なども務める。またエンジニアとして、情報処理推進機構(IPA)より未踏スーパークリエータに認定、指揮者としては琉球フィルハーモニックオーケストラ指揮者などを務める。


学びは本来ワクワクするもの


今回の対談のテーマは「教育は変えられる〜これから目指す学びのあり方〜」。
長年にわたって杉並区で公教育の在り方を変えようと取り組みを続けてきた山口さんと、スクールタクトの開発者であると同時に教育心理学の研究者でもある当社代表の後藤が、それぞれの立場から「これからの学びの姿」を語り合いました。

最初に運営チームからお二人に投げかけた問いは「実現したい学びの姿」
後藤からは、「色々な観点があるが、学校が学力養成所のようになってしまっている現状を変えたいというのは、きっとここに集まってくださった方ならみんなが思っていることだと思う。どのようなアプローチで変えていくかは人それぞれなのではないか」とのお話がありました。

山口さんからは、「本来学びはワクワクする楽しいものであり、喜びに溢れているもの」と冒頭から素敵な言葉が飛び出しました。一方でそうなっていない現状があるのも事実で、それに対して山口さんが実現したいと考える学びの姿は「遊ぶように学ぶ」こと。遊びという行為と学びという行為は本来共通点を持っているはずなのに、全く別のもののように分断されてしまっている現状があるからだと言います。


自分で決めて学ぶ


そんな状況を変えていくためにポイントになるのは「自分で選び、決め、じっくり浸る」こと。
山口さんの著書の中に『自分で選び「決める」からこそ、「もっと・より以上」を求めて「探究」に「浸る」。その中にこそ、「共に生きる」「生かし合う」という「協同」がおのずと生まれてくる。』という一文があります。自分で選び決めたことだからこそ、「もっと知りたい」「もっとできるようになりたい」といった強い気持ちが生まれて、遊びや学びにじっくりと没頭していく。そうした中で自分だけでは突破できない壁にぶつかった時、おのずと他者を求め、共に生き、生かし合うことにつながっていく。この「自分で選び、決め、じっくり浸り、共に生き、生かし合う」ことは遊びの本質であり、これをそのまま学びにつなげることが、教育を変えていく出発点になると言うのです。

遊びの中に芽生えている「自分で選び、決め、じっくり浸り、共に生き、生かし合う」という展開の軸を、学校での教科の学びにも通すことができれば、それだけで学びはずいぶん楽しくワクワクしたものになるのではないか。学校という場を、子供たち一人ひとりが持っている可能性、個性がもっと発揮され、それが生かし合えるような場にしていけるのではないか。山口さんのそんなお考えには、1人の保護者として筆者も深くうなずいてしまいました。

学校を遊びと通じるワクワクがある場所にしていくという思いの一方で、参加者の先生からは、顕微鏡やオルガンといった家にはないものが学校にあった以前と比べ、今はテクノロジーという側面では学校は家庭よりも遅れているケースが多く、ワクワクする要素がなくなってしまっているというご指摘もありました。

それに対し山口さんは、環境が興味を喚起するという側面がある一方、事象に対して自ら関わる(学習者主体)からこそ関心が湧いてくるという側面に焦点を当てます。「学習者主体」を実現していくために、自分で選び、決める。そして、自分で問いや目標、計画を立てて自分なりに学んでみる。そうすることで、あらゆる教科や単元においてその軸が通れば、学びは楽しくなるし、結果的に学習指導要領が定めている学ばなければならないことをよりよく学ぶことができると言います。

山口さんはよく「自由度が高いオリエンテーリングのようなもの」と例えるそうです。リュックに水筒を入れて持たせたりすることも大事。一方で、どんなポイントをどんな順番で回るかは子供たちに委ねたいのだと言います。


先生の役割


おそらく多くの読者の皆さんも受けてきたであろう「一斉授業」という授業形態は、「自分で決める」ということがしにくいスタイルだと後藤。では、子供たちが「自分で選び、決め、じっくり浸る」ために、先生はどんな役割を果たせるのでしょうか。

山口さんが「学習者主体」と一対として考えるのが「教員の後追い」という基本姿勢です。具体的には、まず子供たちに自分なり・自分たちなりにやらせてみて(学習者主体)、後からそれを追うようにして共に考え、支えていく(教員の後追い)こと。
「後追い」の姿勢を持ちながら、子供たちに「どうしたい?」と聞くだけでも良いと言います。未来(あした)の学びのために、すぐにでも実践できそうではありませんか?
筆者も一保護者として、学校に限らず家庭でも「教員」を「保護者」に差し替えて意識したいとメモをとりました。

ところが、それを実際の授業で実践しようとすると、「どうやってやればいいのだろう?」と悩んでしまう先生も多いのではないかと後藤は指摘します。それに対し、後藤自身は道具の大切さを実感していると言います。ITもその1つ。例えば、ITが可能にしたことの1つとしてイメージしやすいのは、AIドリルによる個別の能力への最適化です。一方で、協働学習を重視するスクールタクトは、多様性の理解や個性への最適化を支援するという信念を持って開発されています。子供たちの個性に寄り添い、一人ひとりの「こうしたい」という選択やそれに対する先生の「後追い」を道具として支援することができるのです。


教科書例題をアレンジした、自分で選び決める学び


では、実際に授業でどんな風に子供達が自分で選び決めるということを取り入れると良いのでしょうか。山口さんから、教科書例題を少しアレンジするという方法で、自分で選び決める学びを実現した事例をお話いただきました。
小学校3年生の算数で習う割り算。教科書に記載されているのは「69枚の折り紙を3人で同じ数ずつ分けます。1人分は何枚ですか」という例題ですが、「自分で選び、決める」ことの可能性や選択肢を最大化するために、「□□÷□=?」と、子供が自分で数字を設定できるようにします。ここで学ばなけれないけない数学的な考え方は「10の位と1の位を分けて掛け算を2回使って解く」ことであり、そのためには割られる数を82以上にするなど一定の条件をつける必要がありますが、その条件さえ満たして、かつ、割る数が2以上であれば、その計算問題は位分けを必要とするものにおのずとなっていきます。35人のクラスなら35通りの学習課題が出てくるかもしれません。
例えば、それをスクールタクトで共有することで、同じような課題を作った人と一緒に考えてみる、一人で自分の作った問題を解いてみる、あえて違う問題を作った人と話してみるといった選択肢が出てきます。
入れた数によっては余りのある割り算が出てきてしまうなどコントロールが難しい部分もありますが、みんながバラバラに作ったどの問題にも見いだした解法が適用できると気づくことで、考え方の一般化につながります。まさに、数学を発明した過程を追体験するという算数の面白さそのものです。

後藤は中学生の頃に累乗の概念を習った際に「2の3乗」があるなら「-3乗」や「1/3乗」もあるのではないかと考えたという体験談から、自分で考えて決められるという部分があると、確かに先生としてはコントロールしづらい面もあるかもしれないが、学びの広がりも大きいだろうと言います。「学びの広がり」に対し、山口さんはご自身を含め「単元の終わりには一定のまとめをおかなければいけない」という考え方に縛られていると指摘。その学年の、その教科の、その単元が終わっても子供たちがずっと探究し続けるような拡散性のある開放系の学びを実現すべきではないかと話します。


「外」の学びを生かす


単元の終わりで途切れてしまうのではなく、子供たちが探究し続けるような学びを実現するために、「学校の外」、学校の中でも「教育課程(カリキュラム)の外」といった「外」の機会をいかに活用するかが鍵になると山口さんは考えています。

小学校3年生の社会で地域のじゃがいも農家を訪ねる授業を例にあげましょう。社会の授業なので、じゃがいもを「人が作った栽培植物」、つまり社会事象として捉えなければいけないのですが、中には「どうやって育つのだろう」と自然事象として理科の着眼点で捉える子供もいます。社会の授業では扱えなかった自然事象としてのじゃがいもを、教育課程外、学校外の時間で扱うことができるのではないか。子供たちが何らかの現象に関心を持ち、自分で問いや課題を立てた時に、それを肯定し、褒めたり、開放して伸ばせる機会をこの「外の部分」を使うことで作りたいと山口さんは言います。

最近は小学校高学年で、総合との関連で余剰時間をうまく使って、週に1、2時間、自分で自由に使って良い時間を作る学校もあります。「自分で考えた宿題をやってくる」という取り組みをしているところも増えているそうです。そんな「外の時間」をうまく使ってそれぞれが関心を持ったことを探究し続けることができ、先生やクラスメイトにそれを支えてもらえたら。これを読んでいる保護者の方も、子供が通う学校がそんな場だったらと感じるのではないでしょうか。


「学びの合流点」としての学校


子供たちが自分で選び、決め、探究し続ける学びを実現しようと考えた時に、「お互いの視点を交換し合う場」であることが学校に通う意味だと後藤。学校だけが学びの場ではありません。外の場も含めたさまざまな場でそれぞれが感じ学んだことが、「学びの合流点」としての学校でシェアされていく。学校がそんな位置付けになったら良いと後藤は理想を語ります。

子供たちが自分で選び、決めることの根源には「違いを楽しむこと」があり、小さいうちはまずそんな経験をしてほしいと山口さんは話します。違うからこそ面白い、一緒にいる意味がある。学校が学びの合流点となるために、違いをお互いの良さとして楽しみ生かし合える基礎体力のようなものが必要なのかもしれません。


それぞれの得意を生かす学びのあり方


一方、自分で問いを立て自分なりに解決していくことを探究の基軸に据えたいという理想はあるものの、現実的には難しいケースもあります。それまでの失敗経験や低評価を受け続けたことによって学習に興味関心が持てなかったり、興味関心はあるものの「自分なり」ということに対して不安が大きくなっていたり、一人ひとりの状況は異なります。また、問いを立てることが得意な子、解決に向けて計画を立てることが得意な子、その計画をもとにいろいな人から手立てを集めてくるのが得意な子など、得意なことも異なります。

先述の「□□÷□」の例のように、アイデンティティーとオリジナリティーを追求するような展開を増やしていくことによって「皆がもっと得意を生かせたら良い」と話す山口さん。教科書例題を「69÷3」から「□□÷□」に変換するように、その構造自体を変えることを考えていくことが大切なのかもしれないと後藤も賛同します。

山口さん自身は子供の頃、「100マス計算」を誰よりも早く終えるタイプだったそう。ところが、なかなか全問正解とはいかなかったので、先生からは間違わないように気をつけてと言われていたそうです。もちろん、全問正解を目指すことも必要です。でも、今になって「互いのよさを生かし合う」という視点で考えてみると、間違い探しは、それが得意な子に支えてもらう。先生が時にそんなことを大切にした働き掛けをしてくれたら、「満点が取れない」という自分の苦手に着目して自信をなくすよりも、「早く問題が解ける」という得意に自分の可能性を見いだすことや、ひいては、仲間と支え合あって学ぶということにもつながったかもしれないと言います。体育の授業も身体能力や運動能力が前面に出た内容だけでなく、例えば、人の運動を考察分析してその子にあったトレーニング方法を考えることが得意な子が生きる内容があっても良いはず。運動やスポーツを関わりの媒体としてそれぞれが生かし合えるような体育になればと理想を語ります。アナログだと、どうしても一律でしかできなかったことも、デジタルなら個別の状況に寄り添えるということをもっと考えていく必要があると後藤は指摘します。


状況的学習と自己決定型学習で実現される「深い学び」


さまざまな個性や特性を持った人が集まり、目の前の課題に向き合う。そう考えるとそれはまさに、私たち大人が日々現実の世界で直面している状況のようでもあります。目の前に課題があり、それを解決するために一定の知識をつけようとして学んだり、技能を身につけようとして反復練習したり、誰かと協働してより良い解決策を考えたりする。その中で知識や思考力に加え、判断力や表現力を身につけていく。それが、子供たちが将来直面する状況です。

山口さんから平成19年度,20年度の全国学力学習状況調査の6年生算数の結果が紹介されました。平行四辺形の面積を求めよという問題では正答率が85.3%、一方、簡易な地図があり長方形の公園と平行四辺形の公園とどちらが大きいか、根拠を示すという問題になると途端に正答率が18.2%まで下がったんだそうです。85.3%の子供は平行四辺形の面積が求められるのに、この差が生まれるのはなぜでしょうか。ある知識や技能、見方や考え方は状況に埋め込まれています。裏返すと、子供たちが将来直面するような状況で学んで身につけた知識や技能でなければ役に立たないということなのです。正解があって効率よくそれを学習することが、どれだけ子供たちの未来につながっているのかと山口さんは問いを投げかけます。そのような授業スタイル(模倣的様式)はもちろん一定程度必要である一方、もっと子供自身のアイデンティティーや良さを生かした探究方法で自分なりに問いや課題に向きあう場面(変容的様式)を増やしたいと語ります。

「主体的・対話的で深い学び」の中の「深い学び」の英訳に着目しましょう。「深い」は、”Deep”ではなく”Authentic”、つまり「深い学び」とは「本物の学び」のことを指しているのです。山口さんは、この「本物の学び」というのは、外的状況から見た「本物」と学習者の内的状態から見た「本物」の2側面から追求すべきだと言います。前者は状況的学習。将来子供が直面するであろう現実の状況と同じような状況で学ばせるということが、学びを「本物」化するための大事な側面です。もう一つの側面である学習者の内的状態として重要なのは、まさにこれまで語られてきた自己決定型学習。将来子供たちが直面する状況に近い状況で、全てを自分で決めながら学んでいくことが、「深い学び」につながっていくのだそうです。


先生1人で、人力で、やろうとしなくていい!


まさに先ほどのじゃがいもの例も、「じゃがいも」という1つのものを介し、実際にそれを育てている農家さんから学んだり、「どのように育つのか」など子供自身が関心を持ったことをテーマに学んだりとさまざまな方向に学びを展開し、深めていくことができます。お二人のお話に刺激を受けて、チャットには参加者の方からたくさんのコメントが集まりました。「じゃがいもから世界を知覚できるなんて最高の人生だ!」というコメントには、「基本的に学びは一点突破、全面展開。何か1つに関心が立てばその1点から全面展開できるという良さがある」と賛同する山口さん。子供たちが学びたいことを中心に置くことで、私たち大人が学んでほしいと思っていることや、指導要領が求める学ばなければならないことを、子供たちがおのずと学ぶようになると言います。

もちろん、実際の学校の中でそれを具体化していくには難しい部分もたくさんあることは想像がつきます。一人ひとりが自分で選ぶこと、決めることから始まる学びにおいては、必然的に子供たちが立てる課題もその解決方法や探究方法も個々に異なります。それに対して個別対応していくことが望ましい一方、それを先生が一人で、人力で行うのは不可能に近いと二人は口を揃えます。「先生のさまざまな認知コストを下げ、集中すべきところに集中できるように支援する」のがスクールタクトの思想だと後藤。そこがいわゆる「授業支援クラウド」というカテゴリーに入るものとは異なる点だと山口さん。例えば、子供同士のコミュニケーションの濃淡を可視化する「発言マップ」を含め、多くの機能をもつスクールタクトは「総合的な授業支援クラウド」だと感じると言います。

筆者もここまでお話をうかがって子供たち一人ひとりの学びに個別対応する先生はスーパーマンなのではないかと思い始めていたので、スクールタクトをはじめとするデジタルツールが子供の主体的な学びを支える先生を支援するという意味に改めて気づきました。

日本の教育においては、簡単な問題から始めて少しずつ難しくしていくような系統的な足場かけはとても綺麗に設計されており、それは日本が誇るべき文化だと後藤。一方で自己決定する学びに対する足場かけについてはほぼ設計されておらず、先生に任せられてしまっていると感じると言います。山口さんは、最終的には先生と学級の子供たちの状況に応じて個別に考えなければいけないが、もっと先生たちがアイデアを共有し合えると良いと指摘。先述の「□□÷□」の例もその1つ。スクールタクトは先生同士の協働ツールにもなるという点で、総合的な授業支援クラウドとして学校や自治体、あるいは日本全体で子供たちの学びをみんなで支えていくツールになるのではないかとの展望が語られました。


子供がワクワクする学びなら、先生も「楽」になる!?


冒頭、山口さんは、実現したい学びの姿は「遊ぶように学ぶ」ことだと話してくださいました。その手立てとしてここまで話していただいたのが、子供たちが自分で選び決めること、自分で自分なりに学ぶことを基軸として時間や単元を具体化することでした。
そして山口さんは、それができれば結果的に先生はすごく楽になると言います。なぜなら、子供たちに、自分で学ぶ力、自分で学びを進める力が育っていくからです。それだけではありません。相互に触発されることで子供たちの個性が発現する様子を見るのは先生にとってすごく楽しいことのはず。先生方が楽しいことと結果的に楽になることは同じことだと山口さん。

日本中の教室で、子供たちの自己選択、自己決定によって個別多様な探究が実現する未来。それは子供たちも先生も笑顔になる未来かもしれません。それを支えるツールとしてスクールタクトがそこにあることを願っています!



それではまた。
学びとマナビが、ひびき合う。
スクールタクトでした。


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