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アラン校長と創作のおはなし


「ねぇ、最近部屋に籠りすぎじゃない?」

そう母に苦言を呈されたのは1週間ほど前。

「インキャなんだよ、きっと」

無理に若者言葉を使いながら話に乗ってきたのは父。


ここ最近、部屋でパソコンに向かってばかりいる自覚はあった。愛用のsurfaceちゃんは持ち運びの便利さを謳っているノートパソコンなのに、である。否定できる材料もなく、要はいったい何をしているのかを聞かれているのであろうと思った私は、おかきの袋をパーティ開けして食卓の真ん中にドンと置いた。

「2分待ってて」

部屋にパソコンを取りに行った。歩きながら立ち上げてSchool_Enigmaのホームページを画面に映し出しておく。戻ると緑茶が用意されており、父と母はおかきを食べ始めていた。

「夜な夜な何をしているのか、ってことでしょ?」

「そうそう」

別に隠していたわけではない。ただ、最近マダミス作ってるの、と言ったところで伝わらないだろうから、説明するのが面倒だと思っていただけだ。

「マーダーミステリーというものが最近流行ってます。4人とか5人とかもっといっぱいとかで遊ぶ会話ゲームみたいなものです。推理小説ってあるじゃん?事件が起きて、怪しい人が何人かいて、犯人はお前だーみたいな。集まったプレイヤーがそれぞれその怪しい人になりきって、事件の推理したり犯人探したりするゲーム」

「それで遊んでるの?」

「いや、作ってる」

「出た……」

父が少し笑った。やっぱりそっち側か、といった感じだ。

「これが私のサイト、作ったシナリオ」

「サイト?そういうのがあるの?」

「システムはあるけどね。レイアウトとか画像とかボタンとかどこへ飛ぶとかは全部1から作った。これにちょっと時間かかってた」

「えぇ……?」

「違う時代を生きてるんだなという感じだ」

「この絵は?」

「描いた」

「画材なんてもう古いでしょう?」

「さすがに絵具セットは出してきてないよ。イラストも今はスマホ、スマホ」

「はー、そうか、スマホか」

「スマホとパソコンがあれば何でもできるのか」

「まさにそうだね」

異世界の話を聞いたような反応。ある程度予想した通りではある。ここまでは驚きが勝ってくれているようだが、後は呆れられて終わるだろうなと思った。父や母からすれば、結局のところ、よくわからない機能を使って、よくわからないものを作っているように見えるだけなのだから、と。しかし、母と父は互いに顔を見合わせて笑った。

「ほんと変わってないのよね」

「ママの教育の結果じゃないか?」

「えー?そう?パパも大概よ?」

おかきをつまみ、お茶を飲みながら、子どものころから今までの話をした。


母は私が生後1か月くらいのころから絵本の読み聞かせを始めたという。

「分かってなくたっていいのよ。でも不思議なことにだんだん目で追うようになるんだから」

確かに家には母が買いそろえたたくさんの絵本があった気がする。父が仕事から帰るといつも20冊くらいの絵本を並べて順番に読み聞かせている母の姿があったという。

「時間の許す限りそうやって読んでたけど、やっぱり疲れるのかしらね、お昼寝がすごーーく長かったのよ」

そして夜は父が交代して読み聞かせをしていたらしい。母が読むのは読み切れるような短い絵本、父が読むのは何日かに渡って読むような長い本だった。一つだけ、本のタイトルを覚えている。『きつねのでんわボックス』という本だ。大人心により刺さる本であったようで「もうこれ読みたくないよ。泣いちゃいそう」と父が言っていたのを何となく覚えている。

自分で本を読めるようになり、言葉を話せるようになると今度は、本を与えて読ませた後、内容を人に伝える練習をさせていたらしい。「どんなお話だった?誰が出てきた?その本の中で大事だったことは?」なんて母が質問をする。国語のテストじゃん、怖い。

そうやって常に物語に触れる環境に置かれていた私は、小学校に入ると休み時間を使ってじゆうちょうに物語を書き始めた。1年生の間は短いお話ばかりだったが、2年生になると長編を書き始めた、らしい(時期は詳しく覚えてない)。あまりにじゆうちょうの減りが速いことを不思議に思った母が中身を見て、長編小説を書いていることが露呈した。そこで参入してきたのが父。

「パソコンの使い方を教えてあげよう。せっかくだからそこに書き残していきなさい」

英会話教室に通っていたので、たぶん自分の名前くらいはローマ字で書けたと思うが、文章をスラスラ打てるほどきっちり知っているわけではなかった。

「ねぇ、パパ。『あぁ』の小さい『ぁ』はどうやって打つの?」

なんて聞いていた覚えがある。学校でじゆうちょうに書いて帰って来て、パソコンに打ち込む、そんな毎日を過ごしていた気がする。WordのA4縦書きレイアウトで30枚以上の超大作だったという。たぶん私自身は物語を完成させることにさほど大きな意味を感じていなかったし、Wordのワの字も知らなかったが、小2・小3でローマ字入力ができるようになったことはよかったのではないかと思う。余談だが、私は拗音の打ち方が変だとよく言われる。例えば「ぁ」なら「la」と打ち込む。教えてくれる人は父しかいなかったわけだが、その父が「littleの『あ』だからlaだよ」と教えたからだ。小学生のころからそう癖づいているので、もう直しようがない。

そしてその作品は父が会社で印刷をして、小説大賞みたいなものに勝手に出した。社会人、よくて高校生以上向けの企画に何を投げているのだという話だが、なんと審査員特別賞と書かれた賞状が送られてきた。これからも小説を書き続けてね、表現する力を大事にしてね、といった内容のメッセージも添えられていた。恐らくそんな賞はもともと存在していなかったのではないかと思う。年齢を見た審査員の誰かがしてくれた粋な計らいなのだろう、と考えている。今振り返ってみるとエモい。

その後も色々な小説を書き続けた。小学校高学年になると

「ママ、じゆうちょうだとキリがないから、線のノートに変えたい」

と言って、大学ノートを買ってもらうようになったのを覚えている。携帯電話を持つようになると、今度はメールの下書きをノート代わりに小説を書くようになった。とにかくそうやってずっと何かを生み出してはいたが、それらは私だけの物語、私だけが知っているおはなしであり、世に出そうとすることはなかった。文藝部のようなものもなかったので、書いたらどこかに載せるものという認識もなかった。それに、「趣味は何ですか」と聞かれて、「小説を書くことです」と答えることに抵抗を感じていた時期が6年くらいあったことも大きい。ただひとりで文章と戯れていた。

高校生、大学生になっても相変わらず小説は好きだった。読むのも書くのも両方とも。しかし、小説家になろうとしているわけでは決してなく、書くのはただ自分の脳内をうごめく言葉の吐き出しのためであったり、現実のストレスを相殺する精神安定剤的な役割のためであったりした。要は、書く行為に自分のため以外の目的はなかったのだ。

そんな意識であったため、初めてマダミスに出会った1年前は、ただ楽しく遊んだだけでそれを作ろうだなんて思わなかった。そして半年前、不意に言われた「マダミス作れば?」の一言をきっかけに、あぁそうか、人に遊んでもらうゲームのために物語を書くのもありだなと思った。文章を書くのは苦ではない。むしろ大好きだ。脳内で飛び交う音に合わせてさらさらと手が動き、キャラクターの声が聞こえ、目の前には映像が広がる。そうして出来上がった作品をたくさんの方に遊んでもらうことができた。感想として、「小説みたいだ」という声もいただいた。そう捉えられるのは、私の背景からすれば、ごく自然なことだと思う。書き癖とは別で、芥川龍之介や夏目漱石、ヘルマン・ヘッセを意識した部分もあるのでなおさらそうだろう。

「というわけでね、今はマダミスにハマってます。そっか、昔からか、と思うと何だか今やってることに自信が持てた」

「うちにある本の量がものがたっているじゃない」

「いやー思いのほか小さいころから種をまかれてたんだなぁと思ったよね」

「主にママがね」

「ううん、パパもね」

「じゃ、今、3作目に忙しいから。また部屋籠ります」


継続は力なり
雀百まで踊り忘れず
好きこそものの上手なれ

―完―


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