時よ――止まるな、

たとえば所詮、
表現における肩書、会社員や主婦、自営業や研究職等と言ったものは衣裳に過ぎない。
剥ぎ取って終えば人間がいるだけである。
それでは人間とは何か。
もっと言ってしまえば人間の表現とは何なのか。
それは絶間無く流転する肉体のある地点を以て切り取って標本化したものである。
それらは肉体の様に変化を続けない、ある地点で止まった、不変‐永続の物である。
しかし私は、この不変の物よりとりわけ、その流転するものの方に興味がある。
だって変らないものって、詰らないじゃないか。
アート‐表現という、隙間だらけの概念にあって、
演劇や舞踏、あと所謂ハプニングアートとよばれる一連の表現の方にこそ、興味を覚える。
今、世の中が余りに永続的な、止ったモノに価値を置く傾向が在るように思えて、
敢てnoteという、それこそ文字や絵画と謂う止った表現媒体に書いている所以である。
そこに大いなる矛盾があることが、今は楽しい。


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