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マリオを3秒で投げ出すヤツだっている

画像がゼビウスじゃねーかとお思いだろうが、だってunsplashにこれしかなかったんだもんデジャブ。

スーパーマリオブラザーズをしっかり遊ばずに投げ出す人間もこの世には居る。世に言うゲーマーには信じられない事実だが、どんなに面白い伝説的なゲームだろうと、速攻で放り出す人間は現世に存在し得るのだ。例えば おれです。子供の頃そうでした。正確に言えば3分くらいは保っていたかもしれない。

今でこそマリオの本編シリーズは1からオデッセイまで全部クリアしているが(嘘。2はムリ)、子供のころはスーパーマリオブラザーズ(以下マリオ1)への根気が全くもたなかった。無限1UPすら試さず終わっていた。ミスったらやる気がなくなる根性のない子供だったというのもあるが、だからといって遊べるゲームを難しいだけで投げ出すほど幼稚ではなかったはずだ。それよりも、おれがファミコンより後のニンテンドー64世代だったからというのが投げ出した理由としては大きいだろう。64からの常識が通じない不安で投げ出したとするなら相当数の原因が考えられる。

マリオに体力がない

まず、64のアクションゲームがほとんど体力制のゲームだったから、ワンミス制のゲームにとんでもない違和感があったのは間違いない。64ではマリオもゼルダもカービィもゴエモンも体力制を採用しているのだ。マリオ64はたぶん、任天堂初の3Dアクションということで、3Dに慣れてない人が変な方向にいって敵に激突しても即終了にはならないように体力制を採用したのだろう。しかしレトロアーケードゲームからの流れの中にあったファミコンのマリオに体力制などあるはずはない。キノコで擬似体力制になるくらいだ。一瞬の油断が命取りな緊張感の面白さは子供にはわからなかった。

戻れない

ご存知の通りマリオ1、2はスクロールが進行方向(画面右)にしか行かない。画面左に消えた世界はその場で壁に変わってしまう。これを利用した壁登りの裏技があったりして面白いものだが、子供の俺からすれば、当時3Dのゲームで360°飛び回っていた経験から一変して、マリオ1は前に進むことしかできない世界なのだ。進行方向が限られることで感じる閉塞感と不安は想像以上に大きい。歩いてしまったら後ろの景色はもう見れないし、逃したアイテムは2度と取れない。歩くだけで取り返しのつかないことが起きまくるのは幼心には大変怖い経験ではなかったか(STGのような強制自動スクロールとは違い自分の足で戻れなくしている感覚が問題な点だと思う)。

セーブできない

できない。まあ実際にはおれがやっていたのはスーファミのスーパーマリオコレクション版だからセーブはあるのだが、なぜかワールド選択しかできず面単位でやり直せなかった(マリオ1の話。2は難易度を考慮してか面で選べる)。64の場合、セーブできないゲームなんてスターフォックス64くらいしか思いつかないくらい、どれもバックアップ機能が搭載されている。それなのに昔のマリオというものは途中でやめたらまたその前の道をまた歩き直さないといけないのだ。子供のころは昔の人間がどうやって根気と時間を保てていたのか不思議でしょうがなかった。いや今もファイナルファンタジー3のラスダンをクリアした人が大勢いるのが信じられないけど。長すぎだろアレ。

グラフィック

これはおれの好みの問題なんだけど、スーパーマリオコレクションの1、2のグラフィックって任天堂らしくない気がする。妙に薄暗いグラデーションだし、統一感がない。マリオを完全に真横から描いているのも変な感じ。先に出たマリオワールドや本家ファミコン版のほうがずっと垢抜けていると思う。

未来へ

以上が当時のおれが耐えられなかった理由だ。子供が昔のゲームに感じる違和感の正体とは、「後発の作品を遊んでいるせいで過去作品に技術力の差を感じるから」ではなく、「今の常識が通用しない点に不安を覚えてしまうから」だと俺は思う。しかしそれを乗り越えて、古今東西の常識を身につけることさえできれば視野が大きく広がり、新しい体験に恐れることなく踏み出せるようになるに違いない。もしあなたに幼いお子様がおられるのであれば、とりあえず全機種のマリオをランダム順でクリアさせるところから教育を始めてほしい。きっといいプロゲーマーになれるはずだ(論点がずれとる)。

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