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「四月某日」業(ゴウ)~独り言だと言われても~作 を読んで:唱和

感想文集ー統合失調症をもつ人の著作を中心にー no.7



忘れるという能力が欠如して
四月に僕は泣きそうになる

この印象的な一文で始まるのは、「四月某日」という詩です。
作者は 業(ゴウ)~独り言だと言われても~ さんです。
上のリンクからぜひ読んでみてください。


私は詩に感想文を書くことができません。
詩は真珠のようで、私の言葉など滑り落ちてしまう。

それでもこの詩について何か言いたくて、和歌でいう返歌ならどうかなと思いつきました。
といっても和歌も返歌もよく知らないので、「返歌の方法」を調べてみました。

返歌の方法として、あきらかに二点指摘できる。

第一には、返歌は贈歌の内容を受け、
それを必ず返歌の中に盛り込むことである。
それが徹底すれば、贈歌に使用されている用語を、
そのまま返歌でも用いることになる。

第二には、贈歌の言おうとしていることに、
あまり素直な言い方をしない点である。(以下略)

折の文学 平安和歌文学論 久保木哲夫。吉田裕子の国語エッセーから借用
https://ameblo.jp/yuko-yoshida-teacher/entry-11391306709.html

なるほど・・・。
しかしながら、そもそも返歌は自分に贈られた歌に対して作るもので、贈られてもいないのに作るのはお門違いだと気づきました。


そこでさらに調べると、「一方の作った詩歌に答えて、他方が詩歌を作ること」を「唱和」というそうです。

この場合は、もとの詩が自分に贈られたかどうかは関係ないようです。

ただ漢詩の文化らしくて方法がさっぱり分からないので、
そこは返歌の方法を真似て、もとの詩の内容や用語を織り込むことにします。

私は詩作になじみがなく、もし失礼だったらどうしようと心配なのですが、
もとの詩が好きだから唱和したくなった、その気持ちが表れていればいいなと願っています。



「四月某日」業(ゴウ) への唱和

忘れるという能力が欠如して
私が泣くのは二月
あの人は何月だろう
この人は何月だろう

信号機の点灯が一巡りする
桜が散ってまた咲く
偽物の星が軌道を廻る

銀河の裏側の
犬と猫とヒトの区別がなくなる場所へ
溶けて還るそのときまで

循環する時間の中で
私は泣きそうになる





(追記)
業さんがこの記事についてツイートしてくださいました。
コメントもいただきました。
ありがとうございます。


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