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嵐ヶ丘を行く 1.

ハワースまで

私には、旅行よりも写真よりも、幼い頃から何にも増して好きだったことがあります。それは読書。

今でこそヨーロッパ中世史や言語学関係など専門書を読むことのほうが多くなりましたが、子供の頃はもっぱら外国文学ばかり読んでいました。なぜか日本文学ではなく、外国文学。しかもヨーロッパの文学ばかり。誕生日に両親がプレゼントしてくれた、子供用に易しく書き直されたエミリー・ブロンテの『嵐ヶ丘』は、そのなかでも最も幼い頃に読んだ「文学」だったと思います。

都会から人里離れた田舎に越して来たロックウッド。隣人であり家主でもあるヒースクリーフが、夜、窓を開けムア(moor)に向かって叫ぶ姿を、彼が目撃するところから物語は滑りだします。ムアは確か「荒れ野」と訳されていたような気がします。幼い私を引きつけたのは、話の筋よりも、その舞台となった風景描写でした。「荒れ野」って、どんなところなんだろう。いつか、夜、私も荒れ野に面した窓辺に立ち、その窓を両手で広く押し開け、「キャシー、入って来い。たのむ、もう一度来てくれ」と泣き叫んだヒースクリーフのように、荒れ野を駆け巡る風の音を聞いてみたい。それがまだ幼かった私の一つの夢でした。

それから何十年も経ち、今、私はドイツにいる。最寄りの国際空港から飛行機に飛び乗れば、イギリスまでひとっ飛び。行かないという理由はない。そんなこんなで、ドイツにやって来た2回目の秋、私は夫を急かすようにして、エミリー・ブロンテの故郷、ハワース(Haworth)に向けて旅立ちました。

しかしながら、ひとっ飛びした後が想像以上に長かったのです。

マンチェスター(Manchester)からイギリスに入り、列車に乗り換えリーズ(Leeds)を経由してキースリ(Keighley /ˈkiːθli/)へ。ハワースへは、そのキースリからバスで向かいます。私たちはハワースが小さな村だということを知っていたので、バスの停留所は一箇所しかないはずと勝手に思い込んでいました。ところが、ハワース村内の停留所はいくつもあるようで、一体どこで降車したら良いかわかりません。おまけにバスの内部には停車予定の停留所名を書いた表示もなければ、停留所名を告げるアナウンスもなし。乗客は土地の人ばかりで、自分が降車する停留所がやってくると、運転手に「Thank you」と声をかけて次々にバスを降りていきます。その後ろ姿を見て、私たちがどれだけ不安になったことか。日はすでに傾き初めています。もうじき暗くなるというのに、どこかとんでもない場所に連れていかれてはタイヘンと、私たちは夏の間だけ観光用の列車が停まる小さな駅の前の停留所で降りました。ハワースという駅があるのだから、そこは間違いなくハワースである。そう思ったからです。

バスを降りたものの、今度はどこへ向かって歩けば良いか全くわかりません。駅の近くにあった小さなスーパーマーケットで、宿泊予約を入れたホテルの名前を言い道を訊ねると、スタッフは無情にも目の前の急な坂道の上のほうを差し出し「この道をひたすら登ると、ハワースの目抜き通りに出ます。その道の一番てっぺんに、あなた方が予約したホテルがあります」と言うではありませんか。いったい、どれだけ坂を登れば良いのか。私たちはそれぞれ10kg以上あるスーツケースを手にしているというのに...。私たちの行く末を暗示するかのように、その間にも空には刻々と灰色の雲が広がっていきました。

今でこそ、定期的にジムに通い身体を鍛えている私。しかし、当時はまだ、長年ひたすらPCの前に座り動かず仕事をしていた結果、フニャフニャになってしまった筋肉を抱えた「へたれ」でした。そんな私にとって、この延々と続く坂道(しかもご丁寧にデコボコの石畳が敷いてある)をスーツケースを引きずりながら登るのは、本当にタイヘンでした。あの猛烈に急な坂道、今思い出しても頭がクラクラしてきます。「ああ、ブロンテ姉妹もこの坂を登ったのかしら」なんて気分に浸る余裕は1ミリもありませんでした。坂道の最後の1/3は完全に根を上げてしまい、夫にスーツケースを運んでもらったことを、ここに告白しておきます。

坂道をヘナヘナになりながら登っているうちに、空は完全に雲で覆われてしまいました。そして、私たちがようやくハワースの目抜き通りにたどり着いた頃には、とうとうポツポツと雨が降り出しました。人影のない目抜き通り(...といっても、車2台、すれちがうことができるか怪しいくらい細い道です)を登りきった場所にあるホテルに青色吐息の状態でたどり着いた時、雨は本降りになっていました。

その日の夕食はホテルの1階にあるパブでとることにしました。記憶が定かではないのですが、このパブ、ブロンテ家唯一の息子であったブランウェルが通ったパブだったと、どこかで読んだか聞いたような気がします。夕食を終え、部屋に戻って窓から外を眺めると、先ほど登ってきた坂が延々と下っていくのが見えるだけ。遠景は雨の向こうに霞んでおり、荒れ野らしき風景を臨むことはできませんでした。次第に風が強くなってきたようです。この日は、風に吹かれ時折カタカタと鳴る窓枠の音を聞きながら眠ることにしました。大丈夫。明日はきっと、雨があがる。この足で荒れ野を歩くことができる。そう考えながら。

参照)
Emily Brontë『Wuthering Heights(Collector's Library) 』CRW Publishing Ltd, 2003

後記

東京で働いていた頃、特に最後の数年間、私はかなりブラックに働いていました。週末にイベントが入ることが多かった秋には、約1ヶ月全く休みなしという時もありました。幸い、きちんと労働の対価を支払ってくれる職場だったので、その頃の私の唯一の精神安定剤は、稼いだお金を注ぎ込んで夏と冬の休暇中にヨーロッパを旅することでした。休暇取得の見込みが立つとすぐに航空券を買いホテルを予約し、旅立つ日を目標に働いたものです。
しかし、所詮「日本の休暇」ですから、さほど長期間連続して取得できるわけではありません(それでも一般的な日本企業に比べれば、かなり恵まれていたほうだとは思いますが)。旅先での時間を有効に使うため、移動時間を極力減らし、滞在地は簡単にアクセスできる場所ばかり選んでいました。自然と空港がある「都市」が、その旅先となりました。
ドイツに住み、比較的余裕がある日程で旅することができるようになって最初に選んだ旅先の一つが、このハワースです。辿り着くまで苦労しましたが、それもまた良い思い出になりました。

(この記事は、2019年7月20日にブログに投稿した記事に後記を書き加えた上で、転載したものです。)