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3年間

画像倉庫にしているFlickr、ここには「silent spring」というタグをつけた写真が何件も保存されています。以下はその写真を見ながら過ぎ去った3年間について、2023年7月に書いた記事です。

久しぶりに写真ブログ(135120)を更新しようとFlickrに蓄積してある写真を見繕っている時、「silent spring」という自分でつけたタグを発見しました。2020年春先からしばらくの間使用していたタグです。ここまで書けばご想像がつくと思いますが、コロナウィルスが席巻していた頃撮った写真に、私はこのタグを使用していたのです。そして、それはあらゆる意味での「未知」と対決しなければならなかった長い時間でもありました。

もちろんコロナウィルスは消滅したわけではありませんが、現在、街中のカフェの屋外席に座り道ゆく人々を眺めていると、私の周辺は少なくとも表面的にはほぼ2019年以前の状態に戻ったように見えます。先日久しぶりに会って一緒に食事した義理姉は「Corona ist vorbei(コロナは去ったのよ)」という言葉を口にしていました。そしてそんな今、あの先行き不透明、かつ厳しい行動制限が断続的にかかっていたあの時期は、私にとって一体何だったのだろうとふと思うのです。

私はもう人生の中間地点を折り返しています。そして、自分に与えられた時間は有限であるということを次第に身に染みて感じ出した頃にやってきたのがコロナウィルスでした。ですから、あの頃の私は「どんな環境下にあろうと、今のこの貴重な時間を『失われた時間』にしてはならない」と常に考えていたように記憶しています。不要不急の外出は厳しく禁じられていた時期もあったので、最初のうちはひたすら家で本を読んでいました。しかし、その期間が1年を過ぎた頃から、次第に「コロナ後」を考えるようになったのです。このままズルズルと人生が終わってしまうのは絶対にイヤだと思ったからです。

長い間働いた仕事を辞してドイツに移住した私は、それまで仕事に追われて手にすることが出来なかった自由な時間をひたすら楽しんできました。今日すべきことがないこと、明日の予定がないことは最高の贅沢だと考えてきたのです。この頃の私が唯一自分に課していたことは、「やるべきこと(=家事)をきちんと済ませてから遊ぶ」でした。しかし、コロナウィルスの来襲により生活環境がガラリと変わった時、図らずも自分の今までの生活と向き合うことになりました。

本当にこのままで良いのか。

たぶん生活環境が変わらなかったら、こんなふうに自分の生き方を考え直すことなどなかったような気がします。そして考えた結果、再び大学で学ぶという今までとは大きく異なる方向に舵を切ることを決めました。その準備過程で、もはや何事も20代の頃のようにこなすことは出来ないのだということも痛感しました。すなわち、この3年間に私は自分の現在の年齢での立ち位置や能力を身を思って確認することができたのです。そう考えれば、コロナウィルスが世間を荒らし回っていた時間は、私にとって失われた時間ではなかったのだと思います。そしてそう思うと、少し安心する。そんな私がここにいるのです。

外へ向かうベクトルが制限された分、全てが自分の内に向かい、ふだん考えなかったことを色々と考えさせられた、そんな3年間でした。

追記

コロナ禍下、自分の身の回りで変化したことがもう一つありました。それは運動が習慣化されたことです。まずは厳しい外出制限により街中を自由に歩けなくなったことがきっかけで、天候が許す限り近所の森や農地など人影が殆どない場所を、必ず毎日5km前後歩くようになったことです。その後、大学に出願するためにC1試験の勉強をしている際、勉強する意思はあるのに身体がそれについていかなくなった時(具体的には首を痛めてしまい、全く下を向けなくなりました)、その運動の内容を見直したことです。すなわち、ただ歩くのではなくポールを使用して、それを全身運動に変えることです。いわゆるノルディックウォーキングと言われている運動ですが、これがどうやら私には合っていたようで、現在ではすっかり習慣になりました。夏である現在も、気温と相談しながらほぼ毎日続けています。長い長いコロナウィルスとの3年間は、頭脳も身体も、既に20代や30代の頃とは全く変化してしまったのだ、これからはできるだけ良い状態を維持していくためには自分の努力が必要なのだということを、はっきりと自覚する機会になりました。

後記

2020年早春コロナウィルスがドイツ本格入国して3年間、ずっと持ち堪えてきたのに、ここに来てついに捕まり、2023年から2024年頭にかけてウィルスとともに自宅の一室で過ごすことになりました。順調には回復したものの、その後勉学意欲激減(「何で私は今更こんな大変なことをしているんだ?」)というコロナウィルス後遺症に暫く悩まされることになりました。「コロナ鬱」という言葉もあるそうで、私のこの著しい勉学意欲減退も、もしかしたらその一端なのかもしれません。
大学のオリエンテーションで「勉学意欲が湧かない時でも、ともかく決めた時間が来たら自動的に机の前に座り、自動的にテキストを開いてみる」と担当スタッフが口にしていたことを思い出し、ともかく毎日決まった時間に机に座るようにしました。最初のうちは座ってボケッと外を見ていただけだったのですが、次第にテキストに目を落とすようになり、ついにはコロナ罹患前のように勉強している自分に、ある日気付きました。この鬱期間(?)も含めると完治まで実に半月以上かかったことになります。本文中にも書きましたが、コロナウィルスは消滅したわけではないので、今後も気を抜かずに過ごしていきたいと思います。

…ああ、もう二度とコロナウィルスには罹患したくない。

(この記事は2023年7月20日にブログに投稿した記事に、後記を加えて転載したものです。)