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Summarit 5cm F1.5

先月訪れたウィーン。そこで私は憧れていたレンズを買うために、長い間手元にあったレンズを何本か手放しました。その中の1本がSummarit 5cmでした。このレンズは私がLeica M2を手に入れたあと、最も初期に手に入れたレンズで、10年以上手元においていました。しかし、次第に「自分の画角」が35mm定まってきたことに加え、もう一つ大きな理由があり、手放すことに決めたのです。その理由を書く前に、とりあえずこのレンズで撮影した写真を選んでみたいと思います。

かつてPRO400Hというフィルムがありました。その製造が中止されて既に何年も経ちますが、容易に手に入った頃は、春と秋にSummaritとPRO400Hで近所の風景を撮るのが私のささやかな習慣になっていました。様々なレンズを使用して同じ季節を撮ってみましたが、SummaritとPRO400Hで撮る写真がやはり一番好きでした。しかし、このフィルムの製造が中止されて以来、次第に私がSummaritを手に取る機会が減っていったのです。大好きな組み合わせだったからこそ、その片方の消失に必要以上の落胆と喪失感を感じたのかもしれません。

カラーフィルムがないのなら、白黒フィルムで撮れば良い。そう思ってSummaritを使って随分白黒フィルムで撮りました。しかし、 Summaritは絞り開放で撮ると輪郭線が大幅に滲んでしまうのです。カラーだったら色でその不明瞭な輪郭を補うことができますが、白黒だと場面によっては全体的にボヤボヤしたメリハリのない写真になってしまいます。もちろん、この特徴を活かし上手に写真を撮ることができる方はたくさんいらっしゃると思いますが、私にはどうにもピンときませんでした。代わりにKadakのカラーフィルムでも撮ってみました。しかし、PortraもEktarも、私はその色味がどうにも好きになれません。PRO400Hの青味がかった緑が大好きだった私とは、残念ながらどうにも相性が悪いようです。そう、最初に書いたもう一つのSummaritの使用頻度が減った理由とは、PRO400Hというフィルムが手に入らなくなったからなのです。その結果、少しずつ手に取る機会が減っていったSummarit。特にSumarronを入手し、その35mmという画角にのめり込んで以来、ほとんどこのレンズを手に取ることはなくなりました。そこで、新たな35mmレンズを手にいれるために、思い切って手放すことにしました。

「綺麗な鏡胴だなあ」
中古カメラ店のスタッフは、私が差し出したSummaritを手に持ち、中空にかざすようにしてそう言いました。「大切に使いました。でも前玉には拭き傷があるんです」というと、スタッフがこちらを見て「このレンズはとても柔らかいから、それは仕方のないことです」とニッコリ笑いました。どなたか、このレンズを大切にしてくれる人の手に渡ると良いなと、レンズの絞りリングの動きを確認するスタッフの手元を見ながら私はそう思いました。そして、心の中でそっと「さようなら」と呟きました。

今日、こうして改めてSummaritで撮った写真を並べて眺めてみると、正直なところ、やはりうっすらと「後悔」という文字が浮かんできます。何だかんだ言っても、私が右も左もわからないドイツに少しずつ馴染んでいく時間、常に私の傍にいて、その記憶を撮り続けたレンズだからです。語学学校に通っていた頃、頻繁に立ち寄った、そして何年も前に閉店してしまったカフェも写っていました。その懐かしさに、思わずこみ上げてくるものがありました。あの頃は、自分が本当にドイツ語を習得できるのか、毎日不安を抱えていたことも思い出しました。すべてSummaritが撮った記憶です。しかし、視線を左に少し動かせば、手元にはようやく手にいれることができたレンズをつけたM2が置かれています。これからは、このレンズでまた新たな記憶を撮っていこう。そう思い直しました。

古いレンズやカメラ。私はそれをバトンだと思っています。今は確かに「私のもの」として私の手元にある。しかし、これはいつか誰かに手渡すものを、今仮に所有しているに過ぎないと思うのです。このレンズという名のバトンが私の手にある間は、このレンズでしっかり記憶を形にしていこう。そして、未来に渡す誰かのために、できる限り最良の状態を保つようにして大切にしよう。新たに受け取ったバトンであるSummicron 35mmにそっと触れながら、私はそんなことを考えました。

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