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ドイツの大学で英語を読む

今日の記事は、最初に学籍登録した公立大学通学に挫折した後間もない2022年11月に書いた記事です。ちょうど、昨日noteに投稿した以下の記事の続編にあたるので、ブログから転載することにしました。

学籍登録した大学への通学を断念し、最寄り都市にある大学の講義を聴講し始めて2週間経ちました。そして思ったのです。ああ、私は学籍登録する大学を間違えた。通学時間は非常に大きなファクターだった。私はドイツ鉄道をまだまだ舐めていた。

この最寄り都市への大学へはバスや路面電車を乗り継いで行くことができます。ドイツ鉄道を使用しない移動がこれほどストレスフリーで快適だったとは。バスや路面電車は10分から15分間隔で走っており、ほぼ定刻運行。ありがたくて涙が出てきます。「ドイツと日本は違うのだ」と頭では理解しているものの、「公共交通機関は定刻で運行されるもの」という固定観念が長年の日本暮らしで身体の隅々まで染みついているため、ドイツ鉄道のメチャクチャな運行状況に対し、私は想像を絶するストレスを感じていたのだと改めて実感しました。

...ということで、学籍は遠く離れた大学に残したまま(実際の距離を考えればそれほど遠くないのですが)、最寄り都市の大学に聴講生として通い始めました。最寄り都市の大学に学籍を移す努力をするか、このままそこで聴講生として興味ある講義のみをとり勉強を続けるか、この秋冬セメスターの間にゆっくり考えたいと思います。年をとってから外国の大学で、年をとってから習得した外国語を使い、学部1年から勉強し直すとなると、この先4年間、その他のことに回せる時間が殆どなくなるということがよくわかったからです。大学での学業がこの先の人生の礎石となる(ひらたく言ってしまえば、食いぶちを稼ぐための就職先を見つけることですが)のであれば、人生の一時期を学業に専念する価値はあると思うのですが、もはやその必要もなく(年をとりすぎました)、この先自分に与えられている時間が限られていることを実感している今、その貴重な時間を殆ど勉学に捧げるのは如何なものかとも考え始めたので...。「そういうことって、まず大学進学を決める前に考えることじゃないの?」という声がどこぞから聞こえてきそうですが、私はどうやら走りながら考える、もしくは走った後に考えてみるタイプの人間のようです。実際、やってみなければ、わからないこともあると思うし。...とはいえ、これもドイツの公立大学が、日本人の感覚からすると、ほぼ無料に近い状態だからこそ言えることではあるのですが。まあ、おかげさまでC1試験受験のための重い腰を上げることができましたし、私の日本での学位がドイツで正式に承認されたという副産物も得ました(評定平均までドイツの基準でシッカリ算出されました)ので、これはこれで良しとすることにします。

ところで、計らずもドイツの2つの大学で講義やゼミを(未だ短い期間ながら)受講するという経験をしたわけですが、日本の大学(あくまでも私が通った大学)との比較で興味深いことに気付きました。それは、導入と位置付けられている講義やゼミでも、参考文献や課題として読まねばならぬ文献に英語文献がズラリと並ぶことです。

学籍のある大学で何回か出席したローマ帝国史のゼミは「Proseminar」と呼ばれる初級ゼミだったのですが、課題文献も参考文献も「全て」英語でした。現在参加しているユダイズムの講義(近代・概説)も参考文献として挙げられている文献の半分以上は英語です。もちろん、文献は学術論文です。「これって、大学入学したばかり、または入学してから何年も経っていない学生が読むの?」というのが、私の紛れもない驚きでした。ドイツ語にはA1からC2までレベルがありますが、学術論文に相当するような小難しい文章が試験問題として登場するのはC1からです(受験こそしていませんが、確かB2試験問題には新聞記事や雑誌記事レベルの文章が並んでいたような気がします)。...となると、これらゼミや講義は、学生にC1レベルの英語を要求しているということになります。これには絶句しました。少なくとも、これらの英語学術論文を突きつけられても、18歳だった頃の私には全く歯がたたなかったと思います。これがこの2つのゼミや講義に限ったことなのか、はたまた歴史学に限ったことなのか、他の学部・大学でもこのうように導入レベルから英語学術論文をバリバリ読まなければならないのか、私には知る由もありませんが、それにしても、本当に20歳そこそこの学生が全てこれらを読んでいたら、私は彼らの前に平伏す。

ところで、東京の大学の一般教育の英語の授業で短い英文を読むにも青色吐息だった私。20代後半の頃には咄嗟に12(twelve)と20(twenty)の区別がつかないほど英語を忘れていました。その頃の私は、「私は日本人で日本に住んでいるのだから、英語なんて必要ない」と言い放っていたような...。ところが、30歳で初めて初めてヨーロッパを旅して感激、しかし、その一方、ツアーという旅行形態には馴染めず猛烈なストレスを感じました。そこで、一人でヨーロッパを旅行するために、行き帰りの通勤時間を利用して一人で英語を勉強し始めます(仕事が終わった後、語学学校に通う気力がなかったため)。少しずつ簡単な会話ができるようになると、次は英語で本を読み始めます。その頃読んでいたのは専ら推理小説でした。その後、暗殺されたロシア最後の皇帝の家族の遺骨のDNA鑑定やらボズワースの戦いで殺害されたリチャード3世の遺骨発掘・頭部復元に関する新聞・雑誌記事(英語)を読み、「この件についてもっと知りたい」と思ったが故に学術文献や論文を少しずつ読み始めるようになりました。最初は1ページ読むにも1時間くらいかかっていたような気がします。ですから、外国語としての英語で学術論文を読むということが、最初はいかに大変なことか、少しは身を持って知っているつもりです。

辞書がボロボロになるほど単語を調べ、ヨロヨロと一文一文読み進む。当時は「私は何でこんなことやってるんだろう」と思うこともありました。しかし、日々の好奇心を満足させるためだけに行っていた「英語を読み続ける」という地道な作業が、長い時を経て今役に立っています。あの時、疑問を感じつつも地味に続けて本当に良かった。努力して身につけたことで、無駄になるものは、もしかしたらないのかもしれないなあというのが私の今の感想です。「私は日本人で日本に住んでいるのだから、英語なんて必要ない」と言っていた20代の私を前に、「ちょっと、そこに座りなさい」と言って懇々と説教しそうな今の私がまた怖くもありますが。こんなことを書いていたら、20代の私が「精神論を語るようになったり、説教するようになったら、おしまいだよ」と言っていた記憶が、チラリと頭をよぎりました。

いずれにしても、大学で勉強することについては、今後も自分の体調や周囲の状況を考慮しつつ、どのような形で続けていくか、走りながら考えていこうと思います。そしてもう一つ、「転んでも、ただでは起きない」。この先も、これで行こう、これで。

後記

それから1年半の月日は流れ、私は国立大学に学籍を移し、そこで第1学期を無事終えました。第2学期からはいよいよ専攻分野(歴史学)の講義が始まるのですが、先日講義内容概要(Vorschau)に目を通したところ、来ました、来ました。やはり参考文献に上がっている英語文献の数々。公立大学2校と国立大学1校の3校でこの調子ですから、どうやら、「歴史学を専攻するには、ある程度英語文献を読めないと厳しい」と言ってしまっても良いような気がします。もちろん私が在籍するのは大学院ではなく学部です。
本当に20歳そこそこの学生が全てこれらを読んでいたら、私は彼らの前に平伏す。…そう言ったら、夫は「え〜、読んでないんじゃない?」と答えるのですが、そういうドイツ語が母語の彼は、英語・イタリア語・フランス語を使いこなし、更にラテン語・古典ギリシア語を読むことができます。そして私と結婚した後学んだ日本語で今はフツウに本を読んでいますから、まあ、ドイツの大学で人文科学系分野の博士を取得するって、こういうことなのかなと思ったりしています。はあ…。