そういう運命ってこと
特定の宗教を信仰しているわけではないけど、哲学的な話や方法論が好きなので、この考えいいな、と思ったら取り入れるようにしている。
キリスト教の「予定説」の話。
「この世界の物事は、神により全て予定されている」
自分という存在は、神によって作られたこのシステムの一部にすぎないと思っている。
日本に生まれたのも、この時代に生まれたのも、この両親のもとに生まれたのも、全て予定調和だ。もっといえば、あの日熱が出たのも、明日歌劇を観劇しにいくのも全て予定調和。
けれど向かう途中に電車が大幅に遅延して観劇できないかもしれない。
でも全てそうなる「運命」なのだ。
神は自分にとって悪いことは予定しない。
全てが自分にとって良い運命しか予定しない。
そういうもの。根拠云々とかはなく、そういうものなのだ。そういうもの。
だから失敗したとしても、これは神が自分にとって「良い」経験になるよう設計されたことだし、失敗した未来の方が成功する未来よりも良いものになるから失敗したんだ、と思う。
かつて友人から相談を受けた。
彼女は高校時代からの親友で、浪人をしたから学年は1つ下だったために、就活の相談にのっていた。
彼女は自分と同じ企業を第一志望としていた。
不合格でも連絡すると書いているのに、一次試験の選考結果が届かない、と思い悩んでいた。
企業によっては不合格通知をそもそも送付しないところもあるので、不合格なんだと思った。だから彼女にこう言葉をかけた。
「人生って、すべてがうまくいくように設計されてるんだよ。仮に不合格だったら今はドン底かもしれないけど、もしかしたら別の企業で素敵な出会いがあって、その人と結婚して子どもが生まれて、幸せな未来が待ってるかもしれない。合格するより、不合格の方があなたの人生が良くなるんだよ。そして、合格だった場合もそう。その方があなたの人生にとって幸せになるということ。そういう風に人生ってできてる。俺は全部の物事をそう考えるようにしてる。」
結果、彼女は企業に自ら問い合わせをし、ただメールが漏れていただけだったことが発覚し、その後の選考も無事通過し、今同じ職場で働いている。
自分目線、彼女と同じ職場になる運命で、その方が自分にとって「良い」んだと思った。
高校は全9クラスある中で、彼女とは高校3年間クラスが一緒だった。3年になると文系理系、私立国立志望でコースが分かれるけど、そこでも一緒だった。体育祭の係も一緒だった。
彼女とは強烈な「運命」を感じる。
少し話は逸れたけれど、
この「予定説」は自分が失敗をしたときに心を救う手段となる。だって失敗した方が自分のためになるから必然的に失敗したって話。
きっとこれを読んでいるあなたは、何かに思い悩んでしまうことがあるかもしれない。つい出来ない自分を責めてしまったり、嫌な過去や悪い未来ばかりを想像して苦しくなってしまうかもしれない。
多くの人は「気にしなくて大丈夫だよ」「出来ていることに目を向けよう」と声をかける。
そんなことは分かってるけど、あなたはつい気にしてしまう性格なのだ。全く悪いことじゃない。
世の中には何も気にしない人もたくさんいる。別にそれも悪いことじゃないけど。
悩んだあとにどう心をもっていけるか、じゃないかな。「予定説」、心が救われるからおすすめだよ。
自分で決めたくせに、この職業でいいのかな?と思う。でもそれは他の職業をするよりもその職業をすることの方があなたにとって良いからそうなってるんだよ。
本当に辛くなって限界を感じたら辞めればいい。もう少し頑張りたければ頑張ればいい。そのタイミングで決断したこと全てがあなたの人生が良くなるように設計されている。そのとき辛くても、その選択によって生じた物事は必ず良い未来に繋がってる。そういうものなのだ。
あなたには味方がいる。
ついマイナスなことばかり考えてしまったときは、「でも、まあ、私にはこの人がいるからな」って考えてみたらいいんじゃないかな。最後にプラスに持ってけばなんとなく心は上に向くよ。
人生は、自分の「選択」と他者の「選択」と人の手が及ばない天候や体調などの「自然現象」の中にある。人は、自分が決断して人生を進めていると思っている。でもそう思っているだけで、本当はそう決断するよう設計されているのだ。
キリスト教の「予定説」は、自分の生き方の中でかなり核としている考え方だ。
自分にはこうした生き方の「核」とか考え方の「軸」がいくつかある。
死ぬまでにそれをどれだけ増やせるか、というのをこの人生のテーマとしている。
哲学と方法論は自己を確立させてくれるし、何かに悩んだときに寄り添ってくれる。
就活で「あなたの将来の夢を教えてください」って言われたときもこんなことを答えたなぁ。
ちなみに「運命」というと
ベートーヴェン 交響曲第5番《運命》を思い浮かべる。好きな曲。
でも多くの人は第1楽章の冒頭しか知らない。
ジャジャジャジャーンは小学生でも知ってる。
第2楽章の華やかさ、第3楽章の美しさ、最終楽章の胸の高鳴り。どれを取っても素晴らしい。
第1楽章の冒頭しか知らないのは、小説の冒頭しか読んでいないようなものだ。
耳が聞こえず苦しんだベートーヴェンの物語を最後まで感じてほしい。最終楽章なんて悩みすら感じないくらい明るいんだから!
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