主には競技麻雀についての、にわかによる素朴な疑問

 さてさて、どうしたものかとしばらく考えたが、脳のリソースを部分的にでも占有し続けているのは日々のためにならないので、ここでビチャビチャとアウトプットしておく。

 まず最初に、これは麻雀界隈に縁もゆかりもなく、麻雀放送対局の存在はぼんやりと知ってはいたものの、マトモに視聴しはじめたのは昨シーズンのMリーグから、というにわかによる素朴な疑問テキスト(スーパー余計なお世話発言)である。
 ちなみに、雀荘などは一度も行ったことがないし、実物使った麻雀も20年ぐらい前が最後で、普段は麻雀アプリを無課金でポチポチ遊ぶ程度の、麻雀業界に利害関係を持たぬ者であります。

 麻雀に関して語ったnoteだの、誰ぞのブログだの、twitterのつぶやきなどをざっと見渡してもあまり触れられていない点について話してみようと思う。
 と言うか、組み込み開発界隈に身を置く人間としては、「ん、ん~~~~~????」と思わずにはいられない、素朴な疑問なのだ。

皆さん、あまり雀卓について語っていませんのね?

 いや、雀卓の新製品情報だのそういう話ではなく、おそらく麻雀という遊びについて根幹に当たりそうな部分なので、暗黙の了解的にアンタッチャブルな聖域扱いしてるのかなあ、という想像はしている。

 単に好きで遊んでるだけなら別にどうってことは無いんですよ。遊んで楽しければそれでよろしい。そこに文句を挟む余地は1ミリもない。

 が、ある一定ラインよりは本気に、「ガチに」麻雀を捉えてる層までもが聖域扱いしてるのってどうなのよ?という疑問が、ネット上に転がる意見を見る度にどんどんと膨らんでいった。
 運だの実力だの期待値だのの議論の前提となる条件だろうに。デジタルな捉え方にとっても大前提となる条件だろうに。

 麻雀における議論は、配牌や牌山のランダム性を暗黙の大前提としているようなのだが、それを作り出している雀卓という存在についてはあまり深くは言及されていないのな。
 何と言うか、「神様扱い」されているフシがある。「雀卓様を悪く言うなど、とんでもねえだよ」とか、祟りを畏れて「雀卓様」の名を口にすることも憚られる、みてえな。
 いやまあ、麻雀を打つ側としては、そこで用意された雀卓を使うしかなくて、それが分配した牌を「正」としてゲームを進めるしかないのは判る。自前で自動雀卓を作ることなど出来ないのであれば、用意された環境下で全力を尽くすしかないという主張も判る。

しかし、だ。

 そのゲームをプレイする瞬間としては「神様扱い」であるのは良いとして、何でもかんでも「神様扱い」はいけない。
 あくまで一企業が営利目的で製造している工業製品に過ぎないそれを、あたかも人間の力ではコントロール出来ない「自然現象」であるかのように扱うのはどうか、と言っている。

 さらに言えば、それこそ麻雀で生計を立てている麻雀プロ、それも競技麻雀プロにとっては、雀卓によって配られた牌によって人生を左右されることもあるとなれば、そりゃまあ確かに神様同然ではあるのだが、しかし同時に単なる工業製品であるそれに人生を左右されて黙っていられるのか。せめて、己の人生を左右するに足る雀卓であって欲しいとは思わないのか。

 ここでの「人生を左右するに足る」ってのは、別に高級品云々を言ってるわけではない。
 少なくとも、そこに関わる競技者間で合意が取れるだけの「正しさ」が保証されているのか、ということだ。

 また言葉の定義を五月雨で行うようで申し訳ないが、ここでの「正しさ」は、工学寄りな言い方をすると「何らかの基準をクリアしているのか」ということになる。

 まどろっこしい言い方はやめよう。疲れた。
 ぶっちゃけた話、要は牌の交ざり方に関して、何らかの基準があって、それを満たした雀卓を使ってますよ、ということが確認できるようになっているか、という話なのだ。
 さらにその状態が維持されるよう、ちゃんとメンテナンスされてますよ、ということが確認できるようになっているか、という話だ。

 「偏ってるのは仕方ないとして、それを了解した上で最善を尽くすのが我々です」ということであれば、にわかの外野如きが言うことは何もない。が、傍から見ていて「おいおい正気か?」と思ってしまう。
 もう一度言うが、それは「自然現象」などでは無いのだ。それが竹ひごとゴムぐらいにシンプルな物理現象任せで、誰が作っても凡そ同じように動くものであれば、「自然現象」と評価しても良かろう。しかし、そうではあるまい。その卓の中に詰まっているものは何だ。ネジの緩み一つで、構造材の歪み一つで、下手すると牌が上がってこなくなる代物では無いのか。設計がクソだと、ほとんど牌が交ざらずそのまま上がってくるような代物では無いのか。その程度の代物に人生を託せてしまうのですかい?

 このへんの意見が全然見られないのが不思議だなあと思う。
 過去にたくさん議論され尽くしたと仮定しても、同じく過去にたくさん議論されたと思しきネタが今も大量に発信されていることを思えば、このネタだけが議論終了となる理由が判らない。
 そして何より、議論が終わっているにしては、まさに競技麻雀のルールにおいて、雀卓に言及する文言がこれまた不思議なほどに少ないのだ。
 あるいは、「雀卓については深くは言及しないことにする」という形で議論が終了しているのかしらん。
 そのへんについては、麻雀界隈の議論の歴史とか詳しく知らんにわかなので申し訳ないとしか言えない。

 ちなみに、2023/03現在の各団体のWebサイトから手繰れる範囲でざっと調べた限りは以下の通り。とは言え、聞いたことある団体しか調べてないので、調査範囲が適切かは不明。

 いずれも、麻雀のルール自体は詳しく書かれているものの、使用する雀卓(と言うか、麻雀という「競技」を構成するハードウェア面)についての規定が詳しく書かれている文面は見つからなかった。
※各団体のWebサイトの範囲からは見えないところ(会員に配布される規定など)では言及されている可能性も一瞬考えたが、こういうのは一般に公開することに意味があって、内部情報に留める理由が1ミリも思い当たらなかったので、その線は否定した。
※Mリーグに使用されている自動卓は高価であるらしいが、基準や保証も示されていなければ、そんなものは「それがどうした」の世界だ。(と言うか、1シーズン当たり億単位の金が動いているであろうコンテンツのコア装置が100万かそこらというのは、逆に「え、そんなモンなの?」という感想を抱いてしまうのだが。良く知らないが、放送機材の方が圧倒的に高価ではないのか)

 仮にも競技を標榜するならば、「使用する自動卓は、当団体が定める洗牌基準XXXXに合格した、〇〇メーカーの△△シリーズを使用する」ぐらい書いていれば、観る側としてはぐうの音も出ない。当然ながら、規定文言だけではなく検査証や検査済みシールといった証明書も必要。(もちろんのこと、ガバガバでない基準と、不正が無い検査プロセスや証明プロセスが大大大前提)
 こうすれば、良くある「(不当なレベルの)運」という難癖も付きにくくなるし、仮に付いたとしてもその矛先は個人ではなく、基準やメーカー、装置を保有し管理する団体、に向けることができるだろう。
 逆に言えば、こういった記載がない限り、「運」という不信感を永久に抱え続けることになる。(言い換えると、納得のいく説明を永久に提示できない、ということになる)

 麻雀のランダム性についても同じで、結局のところは誰もガチでランダム性を保証してなくて、麻雀界隈で言われる「ランダム」というのは、「(ガチ検証するのも面倒だから、人の手が介在していないという一点を根拠として)ランダム(ということにしておこう)」程度である、という理解でよろしい?
 たまにランダム性が確定事項であるかのような主張を見かけるけど、そもそもそういう基準が提示されておらず、基準を満たしたという記録が無ければ、それはどこまで行っても「何となくランダムっぽく見えるので、ランダムということにしておこう」という感想止まりなんですよ。若手技術者が上司から突っ込まれて出直しを食らう案件そのものと言ってよろしい。
 そもそもの話、「ランダム」という言葉自体、一律で説明できる単純なものではなく、「何を以てランダムとするか」が定まっていないと話が始まらない、という性質の言葉だ。麻雀的に言い換えると「牌が交ざっている」は、どのようになっていれば「交ざっている」と言い切れるのかが、少なくともその団体レベルでの統一見解として定まっていますか?という問いかけになる。それが基準というものだし、それぞれの装置が目指す技術的な目標点になる。
 もしかすると現在において、メーカー側にはそういった基準が存在するのかも知れないが、残念ながら、同じく現在においては各団体の競技規定からはそれが見えない。情報の導線が無ければ、それが周知されていなければ、それを実効力のある主張とするには少々弱い。しかも、メーカー基準と競技プロの考える基準とが合致している保証もない(事前に綿密な協議がなされていれば別だが)。
 そういった基準が明示されていないというのは競技プロからすれば、「何となく交ざっていると思われる」フワッとした条件の元、人生を左右する麻雀を打っているということになる。利害関係を持たぬ外野からの大きなお世話で恐縮ではあるが、それでいいのか?

 この「フワッとした条件の元」という話は当然麻雀理論にも飛び火して、期待値とかデジタルって何じゃらホイという話になってしまう。「ランダム性が保証されていると仮定して」という、すげえ根本的な但し書きが必要になってしまう。
 こうなると、所謂「流れ」というのも決してオカルトではなく、ハードウェア的な都合という、実は恐ろしく物理的、工学的な要因で生み出されている、という可能性も出てくる。むしろ、こっちの方がデジタルの極み、であるのかも知れない。

 ま、あ、金がない金がないと言われている麻雀業界からすると、今よりも手間暇コストが増大すること間違いなしなので、このへんは「現時点では優先度が低いので後回し」ということになってるのかなあ。
 このへんの優先順位付けというか、ハンドリングは難しいと思う。
 当然のことながら、そもそもの基準を決めようとか、仕組みづくりをしようってのは超絶にメンドくさい。人手も時間もかかる。「はい、そうですか」と一か月やそこらで片付くようなモンではなく、数年単位の計画で段階的に進めるようなモンだ。もしかすると、実は既に水面下で現在進行形なのかも知れないが、これは外野からは全く知る由もない。
 しかしながら、これを単なるコストだけの話としてしまうのは早計で、「競技」を名乗る上での内外に向けた説明能力が一段上がることと、選手を守ることにも繋がると思うので、表からは見えにくいご利益は確実にあると思われる(この辺の「土台作り」的な話は数字に出にくいのが難点ではある)。

 そもそも自身からしてMリーグが切っ掛けで麻雀界隈に目を向けるようになったことも鑑みれば、認知度が上がることによって、「(長年に渡って暗黙の了解になっていたために)今までの麻雀界隈からは出にくかった指摘=いわゆる一般社会ならではの指摘」も増えてるんじゃなかろうかと思う。
 ということは、認知はされたものの一般感覚で観察、評価されて「なんだ、こんなモンか」と見切られてソッポを向かれるケースも当然あるわけですよ。そういった一般感覚を全部が全部呑み込むことは難しく、現実的には客層の絞り込みという戦略に繋がって、ならばもう手っ取り早くタレント商売アイドル商売にしちゃおう、という路線になったとしても全然理解できる話。
 故に、雀卓の基準付けなどという「細けぇ話」を気にしない客層に向けた商売をするんだとなれば、まあそりゃ仕方がない。それが団体ごとに異なる方針を取っているのであれば、団体が分かれていることの意味であるとも評価できるし。まあ、一つぐらいはそういうハードウェア面に目を向けた規定を掲げる団体があっても面白いんじゃないかと思う。

 単純に、観る側としては、クジ引きを眺めてるだけというのは無為にも程がある(手の込んだクジ引きに過ぎないならば、それならもうちょっとバラエティ性を要求したくなってしまう)ので、せめて知的に楽しみたいという欲求がある。
 そういう欲求のためにも、最低限コアとなる装置の公平性とか健全性は保証してもらいたいよなあ、というのが外野の勝手な願い。
 内にも外にも、ガチで取り組むにも楽しむためにも、「説得力こそパワー」だと思いませんこと?

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