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形のない匂い・香りはアートになり得るか?①

こんにちは。
香り演出家、郡 香苗です。

このnoteでは、香りの演出ウラ話、香りを仕事にするためにやったこと・やらなかったこと、私が最近気になっていることなどをお伝えしています。

芸術の秋ですね。
私も感性を磨き続けられるよう、プライベートの時間を見つけて様々なアートを観に行くようにしています。
そしてかならず、私の仕事である「香り演出」に結びつくヒントを得るように鑑賞しています。

すばらしい作品の写真たちを挿絵にして、テーマ【形のない匂い・香りはアートになり得るか?】を書きたいと思いますが、1回では伝えきれないテーマなので2、3回に分けて執筆しようと思っています。

ROKKO MEETS ART 2024

まずこのテーマを深く考えるきっかけになった、いつも懇意にしていただいている嗅覚アートに深く関わるお二人をご紹介します。

嵯峨美術短期大学 岩﨑陽子先生
岩崎先生はこのテーマで論文を発表されていますし、
参照:アートとしての香り ―香りがいかにしてアートになりうるのか

嗅覚アーティスト Maki Ueda
Makiさんはこのテーマの美大での講義を動画にされています。
嗅覚アートの教科書 / 嗅覚的な美の古今東西~香りがいかにしてアートになりうるか~

郡佑見子「芳香蒸留絵」

舞台芸術と香り

シーナリーセントは舞台作品に関わる香りを作品として創り出すことが多いため、「香り」と「アート」とは切っても切り離せない関係にあるお仕事をしています。そのなかで、どうしてもいつも私自身が葛藤している問題がありました。
それは香りが持つ機能性。精神的肉体的に香りの有効な効能を求めるアロマセラピーや、香水の役割=対人関係を良好にしたり自らがリラックスするための実用的な使い方とは異なり、純粋にアート作品として鑑賞してもらうための香りはどう生み出したら良いのか。どう伝えれば良いのか。どう表現したら伝えられるのか。

舞台芸術は一つの素材(役者)だけでなく様々な要素、役者・音楽・照明・映像その他演出効果などが一つになって初めて一つのアート作品として表現されます。私たちシーナリーセントが創る香りもその作品を構成するうちの一つであり、独立しているものではありませんが、五感で感じる作品の重要な要素として嗅覚を利用されることが多いです。

これまでにお作りした作品を遡って、純粋にアート作品だと言える香りをご紹介したいと思います。

草間彌生《ナルシスの庭》@直島

生と死の香り

死生観・生と死という概念は最も根源的で、かつ神秘的なテーマです。生きるということは、生命の始まりから終わりまでのその狭間に存在する瞬間の連なりです。

この生と死を表現する手段として「嗅覚」は特異でありながら、同時に原始的動物的なアプローチであり、時間や記憶、感情に対する即時的で身体的な反応を引き起こすため、私は、生命の儚さや永遠性を感じさせるには非常に有効な手段だと考えています。

私は数年前から、このテーマを香りを通じて表現することに挑戦していました。生と死は抽象的な概念でもあり、同時に私たちの最も身近な体験です。日常の中で生きていることを実感したり、また死を意識する瞬間は意外にも香りという感覚を通じて強く感じ取ることができます。

たとえば、生まれたばかりの乳児の優しく柔らかな匂い、故人の遺品に染みついた固有の匂いなど、何年経っても鮮明に記憶に残っているという経験は多くの人が共有するものと思います。

私が初めてこのテーマを香りで表現した作品は、2016年岩﨑先生からご紹介いただいたメディアアートの先生から依頼を受けた「Eurydiceの香り」がきっかけでした。Eurydiceは、ギリシャ神話に登場する美しい木の精です。彼女は毒蛇に噛まれて命を落としますが冥界では存在し続けます。依頼としてはその存在そのものを香りで具現化するというものでした。

その芸術的探究の中で、生と死の境界はなにか、冥界で存在し続けるとはどういう意味か。

【Eurydiceの香りオーダーシートから抜粋】
森のかおり、
苔や、ぬれた土のにおい、
若葉や、倒木の朽ちてゆくにおい、
野生の菫のにおい、
ユリ、スイセン、そしてヒヤシンスのような
肉感的でありながらどこか遠い憧れのようなにおい、
少女の腺臭のもつ不思議な魅力、
若い母のような近づくものを喜びで満たす力、
多くの人が知ってはいるが、忘れてしまった母の胎のにおい、
懐かしくはあるが、同時に死をもいとわない深い恍惚感を与える危険なにおい、
記憶の奥底にある最も懐かしいにおいを
エウリュディスはまとっていた。
そのにおいに詩人も歌い手も強く惹かれた
その命を落とすほどに、
生命そのもののにおい、
生まれたばかりの赤ちゃんのような・・・

塩田千春展@大阪中之島美術館

Eurydiceの香り

調香の作業において、香りは単なる香料素材の組み合わせではなく、感覚の層を積み重ねていくプロセスです。
生と死を表現するために私はまず、ベースとして肉体を永遠保存するために遺体をミイラにする作業に使用されていた自然界からの香り、没薬(ミルラ)を選びました。ミルラが持つ独特で複雑な香り(スモーキーで甘苦く深みのある香り)は単なる死の表象にとどまらず、それは肉体が終わっても精神は生き続けることで新たな循環が始まることを感じさせる、再生の香りでもあると捉えています。このように、死は終わりではなく、生命の永続性を表現する手段として香りの中に組み込みました。

次に私は、生きていること=命ある肉体として皮膚の匂いや腺臭を表現する香りを取り入れました。これは素材として自然界には存在しないものなので合成された香料を使用しました。これを用いることで生身の人間であるという生のエネルギーを表現する一方で、その肉体の儚さも同時に表現しています。生命が最も輝いている瞬間、それは同時に肉体の終わりに向かっているという二重性がこの匂いに表れています。

そうして完成した香りは最終的に、岩崎陽子先生率いるパフォーマンスアートプロジェクトとして、同志社大学で開催された第67回美学会全国大会にてお披露目されました。この香りは、視覚(メディアアート)と無限音階を使用した聴覚を合わせて生と死を表現した作品となっていました。
参照:EURYDICE2016109

このパフォーマンスアートプロジェクトを通じて私は、生と死の境界が実際には非常に曖昧であることを改めて実感しました。私たちは生きている間に多くの死を経験し、同時に死の中にも多くの生命を見出すことができる。香りはその曖昧な境界を表現する手段として非常に有効な媒体です。
なぜなら香りは直接的に感覚に訴えかけ、理性を超えて私たちの心に働きかけるから。

また、香りは時間と記憶を超える力を持っていて、ある特定の香りが何年も前の出来事や感情を鮮明に蘇らせることができるのは、嗅覚は私たちの記憶と深く結びついているからです。そのため、嗅覚アートとして生と死の物語を紡ぐことは、私たちが忘れがちな時間の流れや生命の儚さを表現し、改めてその存在を意識させる手段となり得たと思っています。

真鍋大度「Continuum Resonance(コンティナム・レゾナンス):連続する共鳴」@VS.


次回に続きます。

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私が代表を務める大阪・淀屋橋「株式会社SceneryScent(シーナリーセント)」では、エンタメのライブイベントや、テーマパーク、体験型学習施設などで香りを演出する事業を行っています。

世の中に「ある」香りの再現も、「ない」香りのオーダーメイドもOK。
また、香りを拡散する機器Scent Machine(セントマシン)を開発製造。販売はもちろんレンタルも行っています。

◆ライブイベント、ステージ、テーマパークでの香り効果演出
◆商業施設の装飾香り演出
◆結婚式・披露宴の香り空間演出
◆コンサートやお芝居など舞台演出での香り特殊効果演出
◆アニメやゲームなどの二次元キャラの香り

株式会社シーナリーセント https://sceneryscent.com/

香り演出家 郡 香苗


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