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人間関係の交通ルールがわからない


交通ルールを学ぶように
人間関係にも交通ルール的なものがあるように思う。

ここで話を聞いた方がいいとか
ここでありがとうと言った方が

人間関係的な意味で事故が少ない。
みたいな。

おそらくだが
僕はこの人間関係的な
交通ルールを学ぶことなく大人になった。


あるいは教えてもらっていたのかもしれないが全然身に付かなかった。


人間関係的な意味での交通ルールを学ばないまま大人になるとどうなるのか。

例えば交差点で赤信号が光っていれば
赤信号は止まれだなと分かるわけだが

人間関係的な交通ルールでこれを学んでいないので
「何か赤く光ってるな。」としか思わない。

人間関係的な意味でひかれそうになったり
実際にひかれたりして怪我をする。
人間関係的な意味で。

しかも「馬鹿野郎気を付けろ」
などと
さも当然のようにこちらが悪者として叱責を受ける。

なんで一方的に俺が悪いことになってるんだ?

「よく見ろよこの野郎」
などと言われるのだが

何をよく見ればいいのだ。

仕方ないので今度は人間関係的な意味での交差点で立ち止まってみる。

赤く光っていたものが青くなったようだ。
よしこの調子でよく見ていよう。

後ろから声がする。
「早く進めよこのばか」

一体何がどうなっていると言うのだ。


人間関係的な意味での交通ルールを
学ばないまま大人になった僕は
ぶっちゃけた話今でもよくわかってない。

なんとなくうまくいきそうだとか
なんとなくヤバそうだとか
なんとなく全体の流れをみて
経験則とヤケクソで進んでいる。
交通ルールを見てるわけではないのだ。

その結果として
自営業として何とか生きているのだから
一定の成果は得ていると思いたい。

北海道から鹿児島までいった。
来月からドイツ行く。

なんとなく普通ではない気はするが
他のやりようがわからない。

引き換えのデメリットに
日常的に胡散臭いと言いがかりをつけられる。
言いたいことはわかるのだ。

おそらく交通ルールがわかっている人間にとって
僕は
「おや!ここに交差点がある!
 この交差点は!もしかして渡れるのかな!?
 右見てー!左見てー!おーけい!渡るぜ!」
とか1人で言って見えるのだろう。

何が狙いだ?ってなるだろう。
いかにも変なやつに見えるだろう。

僕的には交通事故に遭い続けてきた結果として身に付けた処世術なのだ。

人間関係的な意味で
僕からみれば多くの人が
予告なく右折したり左折したり
直進したり停止して見えている。

なんでそれで事故しないのか
意味がわからない。


なんでこんな事を文字にまとめたかというと

もしかして俺みたいなやつ
他にも結構いるんじゃない?

と思ったから。

そういう人は是非力を合わせて
生きていきましょう。

ありがとうとか嬉しいとか
沢山言いあいましょう。

言われるとさすがの僕でもわかりやすいです。

こんな私たちでも
ラブリーに生きられますように。

しんろくでした。

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