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創作するための「技術」は、だれでも、いつでも身につけられる

シナリオ・センターのあらいです。

嬉しいことに、カドブンというKADOKAWAさんが運営する文芸WEBマガジンにて、ラランド・ニシダさんが、【最近出会った一行】として、新井一樹『プロ作家・脚本家たちが使っている シナリオ・センター式 物語のつくり方』(日本実業出版社)をご紹介くださいました。

「今創作している自分を肯定する何かを欲して」本書を読んでいただいた中で、

「何を書くか」×「どう書くか」=面白い物語

という方程式が書かれている。
「何を書くか」が作家性であり、才能であると本書の中では定義されている。そして「どう書くか」は技術である。そして、この二つの関係性に関して書かれた以下の一文が、わたしを多少なりとも救ってくれた気がするのだ。

「どう書くか」という表現技術が習得できていないだけなのに、才能という言葉で、創作から逃げてはいけません

カドブンより

「何を書くか」✖️「どう書くか」というこの方程式は、本書をお読みの多くの方に、「そういうことか」と思ってもらえているようです。
もちろん、この考え方自身も祖父の新井一が、もう相当昔から言っていることなのであるのですが……こうして、時を超えて、多くの方に伝わってよかったです。

さらに、ニシダさんは、

才能という言葉が、わたしは大好きである。ない自覚があるから欲してしまうのかもしれない。
けれど、本書では才能と技術は別だと言い切っている。
才能が全てを決める要素ではないのだと。創作は天才にのみ許された知的創造だと無意識に思っているけれど、技術に関しては誰でも習得できるのだという言葉が、一つ安心材料になった気がした。

カドブンより

芸人の方は、「センスがある」「あいつは、才能がある」という言葉が、頻繁に飛び交う世界に生きている方だと思います。一般の方よりも、「センス」や「才能」という言葉を意識するのではないでしょうか。
だからこそ「才能」というものは生まれ持ったもので、そうでない人は売れない、面白くない、賞を取れない、人気が出ないなどと思うのかもしれません。

ですが、芸事には全て「型」があるように、笑いにも、笑いを生み出す型があるはずです。
なので、こうも言い換えられるかも知れません。

「何を書くか」×「どう書くか」=面白いネタ

物語をつくることにも、ネタをつくることにも「シナリオ・センター式 物語のつくり方」が役に立ってもらえたらうれしいです!
ニシダさんが今後ネタを書くのかはわかりませんが……

シナリオ・センターのあらいでした。


『シナリオセンター式 物語のつくり方』も、引き続き、よろしくお願いします!
どんな本なのか?甚だ簡単ですが、まとめています。

・マガジンにまとめています


『プロ作家・脚本家たちが使っている シナリオ・センター式 物語のつくり方』(日本実業出版社)2023年7月28日より好評発売中。

大人になっても「書くこと」を好きでいたい君へ 『シナリオ・センターが伝える 14歳からの創作ノート』(KADOKAWA)2024年6月19日より発売!

シナリオ・センターは『日本中の人にシナリオをかいてもらいたい』と1970年にシナリオ講座を開始。子ども向けキッズシナリオも展開中。アシスト、お願いします!! https://www.scenario.co.jp/project/kids_assist/index.html