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【2021年度卒展に向けて #2】板東孝明先生が語る卒業制作と卒業生への思い

 基礎デザイン学科専任教授に「今年のゼミの出来事」や「卒業制作の意義」「先生ご自身の学生時代」を語っていただくスペシャル企画!第2回目は板東孝明先生です!

板東孝明
武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒。専門分野はデザイン論、タイポグラフィ、シナジェティクスによる超軽量多面体構造の研究開発。欧州、アジア各国でデザインワークショップを開催。’12年バンブーシェルター制作(インドネシア)、’18年「懐中時計礼讃」デザインギャラリー1953、’21年向井周太郎著『形象の記憶 デザインのいのち』(武蔵野美術大学出版局刊)企画構成デザイン。

「表現者としての矜持」を持つこと

──まずは率直に今年のゼミを振り返ってみての感想をお伺いさせてください。
 今年のゼミのみんなは超真面目で真剣で、迷っていることがあっても逃げないから感心しています。それから、今年はゼミの出席率がとてもいいんですよ。例年この時期になるとゼミに来る学生が半分くらいになるんですが、今年のみんなには最低限のことはしてほしいと思い、「出席取るよ」と教員生活20年で初めて厳しく言ったんです。そしたら、みんな来てくれて。ゼミは卒制の灯台のようなもの。率直に嬉しかったです。

──ゼミのときに板東先生が気をつけていることを教えてください。
 できるだけそれぞれの意思や、やりたいことや、やるべきことを重視して、その上で助言するっていうことにとどめていますね。4年生というのは、体が半分透明になって社会のほうにスーッと移行している最中だと思うんです。就活や企業でのインターンなどで経験しつつあると思います。そういう意味で学校と社会との間を行き来しつつ、心は揺らいでいると思いますので、意見の押し付けだけはしないように気をつけています。ゼミでの僕の役割は、みんなが走ってる横でメガホンを持って「イッチニ、イッチニ」って掛け声かける役だと思っています(笑)。だからできるだけみんなと伴奏できるように自分にもノルマを課そうと思って、木曜日のゼミ以外に週末にもゼミをやってきました。正直、木曜のゼミだけでは雑談や無駄話の時間があまりないんですよ。これはゼミ生が多いからなんですが、その足りない時間を埋めるために週末にゼミをしています。とはいえ、結局みんなの作業の進捗を聞くことで時間一杯になりますが。

──板東先生は学生が制作に行き詰まったとき、どんな風に声をかけてらっしゃるのでしょうか?
   「苦しいだろうけど、絶対に自分を信じてやって」って伝えます。僕が学生の時は、なんでそれを自分がやろうとしてるのか、それがどういう意味があるのか、それをやることでどういうものが結果として表現できるのか、そういう事ばかり考えていました。そして当時の思考が今でも役に立っていると思います。その訓練ができるのが4年生だと思っていますね。僕はとくに「表現者としての矜持」をみんなにしっかり持って欲しいと思ってます。じゃないと社会に出た時「あなた美大出てるとか言ってるけどそんなの通用しないから」というような、いわゆる「何者でもない」扱いを受けてしまう。そうならないためには強い精神性が必要になります。例えば所属する会社でやってることが自分が考えてることが違ったらキッパリやめてしまうとか……。今後社会に出たら、卒業制作のような自由な時間はなかなか訪れないので、何をどうやってやればいいかわからない恐怖や不安があったとしても、この機会に「表現者としての矜持」を培っていただきたいなと思ってます。

──板東先生ご自身が行き詰まったときはいかがですか?
 自分が行き詰まった時ってどうしたらいいかわからないんですよね。人間は不思議なもので、問題があったら逃げたくなって、ちょっと映画を見たりゲームをしたりして少しでも問題に触れないように気を逸らします。それをしばらくやると、だんだんそれが普通になってきて、気がついたら卒制のことを何にも考えなくなるんです。僕も仕事でそうやって気を逸らしますが、朝起きる時のように、強引に「えいやっ」って問題に気を向けると、その時点では何も解決しないけれど、ご飯の時とかお風呂に入ってる時とか人と話してる時にふっとアイデアが出てくるんです。その瞬間を待つ感じですね。問題に向き合っても1日や2日ではほとんど変化がないかもしれませんが、1週間や2週間、1ヶ月の長い単位で見ると考えや状況が大きく変化していると思います。だからみんなには、自分の思考を育てていくために日々ドロドロと考えることを嫌がらないでほしい。最初の苦痛な時間を通り過ぎたらあとは楽しい制作の時間が待ってるので、そこにどう自分を持っていくかを4年生の時間で学んで欲しいですね。

──今年のゼミで印象に残っていることを教えてください。
 本当は「ゼミ旅行が印象に残った」と言いたいんですが、できませんでしたね(笑)。大きなイベントはなかったけれど、ゼミでそれぞれの学生が自分のテーマをめぐってうんと悩んでるっていうのは、ものすごく身近に感じましたし、ひたすらみんなと話しあったのは思い出です。でも、全部終わったあとに、みんなと羽をのばして遊びたいなと願っています。

「connecting dots」
すべてはつながっている

──板東先生ご自身の卒業論文は どういったものだったでしょうか?
 現在3年生のタイポグラフィ論の授業を担当している山本太郎くんとの共同制作です。はじめはそれぞれ別でやってたんですが、向井周太郎先生が「2人ともタイポグラフィなんだから一緒にやったら?」と言われて……。とくに仲が良かったわけではないんですが一緒にやることになりました。内容は、前半を山本先生が西洋のタイポグラフィ、ヤンチヒョルトについて、後半は僕が日本のタイポグラフィについて。欧文と和文のざっくりとした分け方で「ブックタイポグラフィ」についての論文を書きましたね。山本くんは当時、ぶっ飛んだタイポグラフィ好きで、例えば研究のためにベルギーの印刷図書館に行って夏休み1ヶ月過ごして、大量のコピーを持って帰ってきたんです。これは何かと聞いたら「必要な文献全部コピーしてきた」って。そしてなんと彼は夏休み中に卒論を書き上げたんですよ。同じ頃、僕は何をしていたかというと、基礎デでは養えない、スキルを勉強したいということで、デザイン事務所で勉強してたんですね。仕事が面白くて週4日くらい仕事をしてました。ところが夏休み中に相棒はやるべきことを終わらせたということで、さすがに焦って、10月末の芸術祭ぐらいにいよいよやらなきゃということで原稿を書き出したんですが、なかなか集中できなくて。だから最終的には〆切りに追われた作家のように2週間旅館にこもって仕上げました(笑)。場所は品川の大森の駅前で、とても安い木賃宿のような雰囲気の旅館があって、そこに篭りましたね。

──なぜ品川という場所だったんでしょうか?
 その旅館の前に、知り合いがやっている小さな印刷所があったからです。当時はコンピューターがなかったため、卒論はほとんどの人が原稿用紙に手書きでしたが、僕らの論文は「ブックタイポグラフィ」だからこれをやるのに手書きじゃまずいだろうということで、印刷をしてもらおうと決めました。当時の印刷方法は写植と和文タイプライターで版下を作成し、それを原版としてオフセット印刷するもので、完成までに時間がかかるものでした。本当に締め切りギリギリだったので、書き上げた原稿を印刷所に持っていって刷って、書いて刷って、を繰り返して論文を作り上げましたね。

板東先生_卒制写真-
板東先生_卒制写真2--
【板東先生と山本太郎先生の卒業論文】


──当時はデザインの学び方についてどのように意識されていましたか?

 これは他の先生もおっしゃると思うけど、自主的な実践が基本だと思いますね。基礎デザイン学科(以下基礎デ)って、学科自体がめざす方向が広すぎて、逆にいうと自分がしっかりしてないと訳わかんなくなるんですよ。だからみんなそれぞれ自分の専門領域をなんとなく想定しつつ、周辺の領域にも目配せしてきたし、みんなにもそうして欲しいと思います。これは後で、スティーブ・ジョブスがスピーチで同じことを言っているのを知って「それだ」って思ったのが「connecting dots」という言葉です。「ドットを繋いでいく」つまり若い頃にやっていたいろんな出来事、1つ1つの点が将来全部つながっていくっていうのがわかるよっていうことなんです。僕も全く同じように「あの時基礎デにいって、あの時タイポグラフィに出会って、あの時向井先生に出会ってないと多分今の自分はないな」とはっきり思うぐらい、僕にとって学生生活は大切なものです。もちろんみんなが今出会ってる友達もそうだし、全部関係してるんだけど、今は客観的に自分がどういう状況かって説明できないと思いますが、後から全部それらがつながってくるんですよ。そういう風に繋げることによって意味が成されるというか、例えばみんなが観た展覧会とか、感銘を受けたものとか、感動した人の作品とかが、全部「connecting dots」で繋がってるっていうことですね。

──板東先生がひとつ目のドットである「基礎デザイン学科」を選んだのはなぜでしょうか?
 すごくいい加減な理由でした(笑)。僕は一般大学を目指して3浪してたんです。3浪って言うと「芸大受験ですか?」って言われるけど、芸大なんか1回も受けてません。そもそも高校が進学校で、美術とか音楽の授業は無く、その時間に英語の勉強をしていました。そんな悲惨なところにいたので、美大の情報なんて全然なかったんです。でも本屋さんへ私立の大学の願書を買いに行った時、手に取ったのが某一般私立大だったんですが、ふっと見たら「武蔵野美術大学」って横に置いてあって。これもたまたまなんですけど、その頃に村上龍さんという新進作家に憧れていて、彼は「限りなく透明に近いブルー」っていう作品で群像新人賞取って、その後芥川賞取ったんですが、略歴を見たときに「武蔵野美術大学基礎デザイン学科中退」って書いてあったんですよ。「めちゃかっこいいな。美大途中でやめてこんな小説書くんだ」って。入試要項の詳細を見たら絵の点数が少ないから受験してみたら、たまたま基礎デに拾われて武蔵美に入れた。実にいい加減な動機ですが、これが基礎デというドットとして僕の人生と繋がりました。

──学生生活はいかがでしたか?
 僕らの時は正直基礎デの入学倍率は低くて、工芸工業デザイン学科(以下工デ)や視覚伝達デザイン学科(以下視デ)に入れなかった人たちが多かった。だから逆に言うと基礎デに入学して、美大が拾ってくれたという喜びと、自分で自分の道を開かなければいけないという強い意志をもったのかもしれません。入学してからは、グータラな浪人生時代からは考えられないほど真面目になりましたし、好きなことやってるから真面目になれるんだと気づきました。授業で、絵の具を使ってグラデーションを作る課題が出たとき、周りのみんなは「高校や予備校でやってるじゃんこんなの。美大でやるなんて。」とけっこう嫌がってたんです。でも僕はやったことがないから超楽しいんですよ。「うおー!グラデーションってこんなに美しいんだ!」って。1つ1つの授業や課題が全部新鮮で楽しかった。

──学生生活中の「ドット」についても教えてください。
 たくさんありますが、向井先生に出会えたのは本当にラッキーでした。本質的なデザイン学の教育を受けて、「これは深い」っていうのが直感的にわかりました。いわゆるデザインの職能教育じゃなくて、デザインをもっとクリティカルに、深いところから考える人材を育てなきゃいけない。みんな気づいてないかもしれないけど、視デとか工デじゃできないことをやろうってことで、向井先生が基礎デを作ったんですよ。みんな視デに落ちた工デに落ちた。だから滑り止めで基礎デに入った。これは僕と同じですよ。どうしてもここじゃなきゃいけないっていう人もいるかもしれないけど、そうであってもなくても、基礎デとの出会いを「conecting dots」として、将来の人生とつなげていってほしいと願っています。

──当時の「卒業論文」が板東先生の「現在」とどのように繋がっていると思いますか?
 現在と深く繋がっています。山本太郎くんはこの論文を書いたことによってモリサワに入社して、その後Adobeでディレクターをしてるんですが、そういう意味でいうと彼はまさにこのタイポグラフィの論文で一生が決まったようなものですね。僕はグラフィックデザイナーになりたかったから、タイポグラフィってすごく面白いなと思ったのは事実で、これが自分の活動のベースになりました。その後、40年近く懲りずにやってます。

基礎デと基礎デのみんなを愛しています

──「卒業制作」とは私たち学生にとって、どんな位置づけのものだとお考えですか?
 学生のみんなはなんとなく今年1年のプロジェクトだと思っているかもしれませんが、一生のプロジェクトの圧縮版だと捉えて欲しい。本人は自覚がなくても、その人の大きな方向性がここで決まる。実際僕はそうだったので、そのぐらい大切だと思っています。また、今後の制作スタイルを決める1年でもあると思いますね。自分のスタイルを自覚してどう付き合っていくか、例えばグータラな人は、グータラな自分を認めつつうまくやっていくことが大切です。怠けてしまうなら最初に負荷をかけて頑張ってやるとか、人より時間かかるんだったら倍の時間をかけるとか、そういうことを自分に強いて、自らの性格に自覚的になる時期だと思います。

──先生ご自身の制作スタイルはどのようなものですか?
 グータラでほっとくとギリギリまでやらないタイプです(笑)。だから今まで延々と徹夜して、この自分とどう付き合うかで悩んで苦しんできましたね。若い時はそれでなんとか仕事をやってこれても、年を取ってくると体がガタガタになって次の仕事ができなくなっちゃうんですよ。だからある日、自分の学生時代の生活と30代40代とがほとんど変わっていないことに気がついて、「このままじゃいけない」って思い立って、ようやく仕事の時間配分の初めに苦しいことを持ってくるスタイルに変えたんです。でもこのスタイルがようやくコントロールできる用になったのは50歳を過ぎてからですよ。だからみんなには「もっと早くから制作しよう」って学生時代の自分に言い聞かせるつもりで言っています。だって卒業制作の提出〆切りの1週間前と今の1週間って同じでしょう。だったらあの時の僕みたいにならないように、今頑張ってって思うんですよね。

──今年の2022年卒業生に向けてのメッセージをいただきたいです。 「You’ve got to find what you love」ですね。スティーブ・ジョブスの言葉ですが、「あなたが本当に好きなものを、本当に愛するものを見つけなさい」。人生もその通りで、ともかくみんな頑張って生きていって、自分のやるべきことを見つけてください。会社に入ったらダメな上司がいるかもですが、こんなダメな上司の下でどうやったらいい作品が作れるかをチャレンジしようとか、タフに生きていく術を身につけていってほしいと願っています。これについて、田中一光さんというグラフィックデザイナーがエッセイの中で「自分で1番良い仕事をしたと思ったのは、1番最悪の条件の仕事だった」と書かれていました。何かというと、中国の思想家、魯迅の展覧会のポスターを依頼されて、送られてきた資料が手はがきぐらいの解像度の悪い写真だったんです。彼はどうしようと困ったんですが、逆にこの汚いテクスチャーを拡大して、ポスターにドーンと大きく入れて、ラフなシルエットだけの作品を作ったんです。それは力強いポスターに仕上がって彼の代表作のひとつになった。良い条件の仕事ではなく、むしろ最悪な条件の仕事を自分の手によって良いデザインにして、人に届けたことを誇れるということ。これはデザイナーにとって最高の喜びのひとつではないでしょうか。また人が見向きもしない分野を自分で見つけて、そこを耕してデザインっていうフィールドにしていく、パイオニア精神を持って欲しいですね。あなたが開拓するまでは誰もデザインの領域だと思っていなかった。そういう新しいプラットフォームを作るデザイナーになってほしい。

魯迅リサイズ
【田中一光による「魯迅展」のポスター】(DNPグラフィックデザイン・アーカイブ収蔵品展2 田中一光ポスター1953-1979より)


──ありがとうございます。では、今回の卒業制作展に来場者されているみなさまにメッセージをお願いします。

 基礎デのみんなが悩んで苦しんで走り抜けてきた4年間の血と涙と汗の結晶をぜひお楽しみください。それしか言いようがないですね。この前の石岡瑛子展のコピーがこれでした(笑)。(石岡さんは男社会のデザイン業界で性別なんか気にせず、男の何百倍も素晴らしい作品をガンガン作ってらっしゃった。)

──最後になにかもうひと言だけお願いします!
 いろいろと言いましたけど、僕はみんなのことを、愛していますから。だって基礎デで出会ったんだもん。出会い方はいろいろあって、いやいや出会ったり、すれ違って出会ったりする場合もあって、でも4年間何かしらの形で付き合ったっていうのは、これはもうどうしようもないことですよ。このどうしようもない出会いと過ごした時間っていうのを、大切にするかどうかで将来の人生が決まってくると思うんです。だからいつ卒業した人でもどのゼミの人でも、いつでも話があったら僕はなんでも相談に乗りますよ。それだけやっぱ基礎デと基礎デのみんなを愛していますから。

(取材編集・松尾花 有田礼菜 大場南斗星)



次回記事は明日公開!第3回目は小林昭世先生のお話しをお聞きします!

令和3年度 基礎デザイン学科 卒業・修了制作展
【開催期間】2022年1月13日ー1月16日
【会場】武蔵野美術大学鷹の台キャンパス
【時間】午前9時から午後5時まで
【公開プレゼン】1月16日13時から 1号館103教室にて

卒業・修了制作展入場には予約が必要です。
1月7日(金)9時から 専用サイトにて予約開始↓


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