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【2021年度卒展に向けて #7】原研哉先生が語る卒業制作と卒業生への思い

 基礎デザイン学科専任教授に「今年のゼミの出来事」や「卒業制作の意義」「先生ご自身の学生時代」を語っていただくスペシャル企画!
第7回目、最終回は原研哉先生です!

原研哉
日常をとらえ直す視点や、潜在する問題を可視化していく姿勢からデザインを展開。活動を象徴する展覧会に「RE DESIGN- 日常の21 世紀」(2000)、「HAPTIC- 五感の覚醒」(2004)、「SENSEWARE」(2007/09)、「HOUSEVISION」(2013/16/18)等がある。無印良品や蔦屋書店のアートディレクションなど、明快な思想を背景としたデザインに定評がある。2019年よりウェブサイト『低空飛行』を展開、日本の新しい産業ヴィジョンを提起している。

何かがあっても変わらないこと
とにかく淡々とやり続けること

──まずは率直に今年のゼミを振り返ってみての感想をお伺いさせてください。
 今年はゼミ旅行に行けませんでした。例年僕のゼミは毎年7月の終わりから8月にかけてゼミ旅行に行きます。ゼミ旅行では中間の報告もあるんですけど、みんなでゲームしたり、お酒を飲んで話したりします。ゲームをすると「あっ! こんな性格の人だったんだ」といった感じで割と個々人の性格がよくわかってくるので、そこからコミュニケーションの疎通がぐっと深まるのですね。ゼミ旅行はそのために行くものだと思うので、ゼミ旅行が出来ないってところは意外と大きいことなんですね。

──コロナの状況で逆に前向きになってる部分はありますか?
 
コロナがあってもなくてもとにかく淡々とやり続ける、そこは大事で変わらないことなのかなと思います。原ゼミでは毎年テーマを決めて卒業制作をしています。ある年は「生(なま)」だったり、ある年は「スレスレ」だったり、ある年は「甘い」だったりします。今年は「恥ずかしい」がテーマです。これは結構いいテーマだとは思ってるんですよね。人がモノを感じたり見たりする時に微妙に感じる、恥ずかしさ。つまり抵抗があるということは、そこに情報のヘソがあるっていうか、記憶に残るものの要点に「恥ずかしい」っていう感情があるのかなって思います。だけど展覧会で「恥ずかしい」っていうテーマは見たことないでしょう。そういう意味では結構いいポイントを探索できるテーマじゃないかと思って、今年は特に期待しています。

──ゼミのときに原先生が気をつけていることを教えてください
 今年は特に休講しないことかな、そしてコンスタントに学生と会うということです。コロナ以前は僕が「今週ロケがあるんで休みます」とか、「テーマも決まってるし1週間先生がいなくても進めといてね」って休講にした時もありますが(笑)。今年は定期的に学生に顔を見せてないとお互い不安になってしまうと思うので、休まないでしっかり学生と対面していくようにしています。

 ──原先生は学生が制作に行き詰まったとき、どんな風に声をかけてらっしゃるのでしょうか?
 僕は会社ではアートディレクションの仕事をしていて、デザイナーたちに「こうしてください」って具体的に指示をしていくわけです。だから方向を決定するのは僕自身ですね。だけど卒業制作の指導とか学校の指導はアートディレクションじゃない、相手の周辺にアイデアの種を蒔いていくことしかないんですよね。学生の人たちが向かいたい方向を向いてくれると、僕はそれに対してa,b,c,dと、可能性のアイデアを周辺にバラバラとばら撒くっていうイメージ。学生にはそれを参考に何かをつかんでもらって、そこから新しいアイデアの芽を出してもらって、それに対してさらにアドバイスをする、そんな進め方や考え方をしてると思います。逆上がりがうまくできない学生のお尻を持ち上げるくらいの感覚ですね。相手が考えるテーマの周辺に、自分が思いつく発想の種をぱらぱらっと撒いていく。多角的なリフレクターの役割だと思います。 

──今年のゼミで印象に残っていることを教えてください。
 初めて対面授業になった時に、みなさんの体のサイズが想像してたのと違ったことが新鮮な驚きでした(笑)。ずっと画面越しに会ってたから実際に会ってみるとその人のサイズが、意外と小さいとか意外と大きいんだなとか(笑)、人間って想像してる大きさと違うと、だいぶ感じが違うんだなと思いましたね。その感覚は2、3週目くらいからは無くなったけど、印象的なことはそういうことでした。

当時の卒業制作にも
内包されていた「編集性」という資質

──原先生は基礎デザイン学科出身ということで、ご自身の「卒業制作」はどのようなものでしたか?
 卒業制作は3人で作ったんです。僕はタイポグラフィの歴史を記号論で書き直すというものでした。「Seeing」っていうのが総タイトルで、僕のは「視覚記号の歴史と諸相」というタイトル。3人の研究を一冊の冊子にまとめたんです。具体的には「文字がどんな風に生まれて、どんな風に進化してきたか」ということを研究しています。タイポグラフィの歴史や美術の歴史の中で、文字のリアリティの変遷を追ったものです。最後は1950年代のスイス・タイポグラフィに……これ、基本的に論文なんですね。僕がデザインしたグラフィッックの作品やタイポグラフィ作品じゃなくて「パイオニアたちがタイポグラフィをこんなふうに切り拓いてきた」っていう視覚記号としての文字の歴史を記号論的な観点で書いてくってことをやりました。最終的に論文を冊子にまとめたんだけども、今見ると正直ダサくて(笑)。あんまり美しくはデザインできてないんです。だから卒業制作を改めて見直すと、僕の資質っていうのは「造形性」よりも「編集性」みたいなところにあるということがよくわかる。その部分では今とやってることはそんなに変わらないと思いましたね。

【原先生の卒業制作『Seeing』】

──卒業制作以外に、印象に残っているご自身の作品はありますか?
 3年生のときに、友人の佐藤篤司(今はブック・エディトリアルデザインを教えている佐藤篤司先生)と2人で本を作ったんです。授業で学んだことをかたちにしてみたい欲求があったから、当時僕らは杉浦康平が大好きだったので少しそういうデザインに触発されて、それ風のデザイン誌を大真面目に作りました。これもどっちらかというと、やはり編集的な内容で、テキストを書いてそれを少しタイポグラフィックな表現にしてみたわけです。この中でも特に、自分の中で残っているものは「言葉の星座」って言うコンテンツです。六角形の連続パターンに、名詞や形容詞を連続的に当てはめていくパズルのような構造体を作りました。例えば、「夏」という言葉がひとつ決められると、その周辺に「海」、とか「砂」とか、「サメの背」とか「サンダル」みたいに、連想される言葉を「夏」の周りに置いていくんですよね。さらに「夏」という名詞を中央に配した六角形の頂点にこれを修飾する形容詞をおいてくんです。「暑い」とか「うらぶれた」とか「やるせない」「酷い」「白い」って、夏を形容できる言葉をどんどん置いていくわけです。連想や修飾関係がスムースにいくような関係を保ちながら……。そうやって互いに関係する言葉の連鎖を連綿と作った。それを見ると、確かにある情景が共有できる。言語って案外とこういう構造なのではないかと思ったのですね。例えば「夏に団扇であおぐと」とか言われると、みんな頭の中に同じような関連連鎖を持ってるから、共通のイメージが頭のなかにすっと生まれるんだろうなって。つまり文法じゃなくて、言葉の背後にはイメージの連鎖みたいなものがあるだろうってことを表現しています。これは今見てもなかなかすごい。自分はやっぱり言葉の人なんです。当時から言葉にすごく執着していたわけです。 

──当時はデザインの学び方についてどのように意識されていましたか?
 当時の基礎デザイン学科(以下基礎デ)って今よりもずっと学究的で研究的だったんですよね。特に僕は向井ゼミでしたから、形を作るということよりも、概念的な作業が多くて文章をまとめることが多かった気がする。基礎デっていうのは僕らがいたころは論文を書く傾向が強かったと思うんです。今の基礎デの先生たちは、デザインのプロジェクトを実践してきた方々が多い。思考の深さは変わらないんですけど、かたちにして表現する方向で指導しています。だけど僕らの頃はもっと概念的というか、思索的なデザインが多かったから、そういうことをすごく真剣にやってた気がしますね。

──「編集」することが原先生にとってデザインの鍵になっているんですね。
 そうですね。タイポグラフィの歴史を記号論で書ける、そういうロジックみたいなものは学生時代にしっかりと作れたと思うんです。だから論理的にデザインをとらえて、それを客観的に記述したり、編集的にまとめたりということに関しては学生のころから濃密にやっていたと思います。ただ、言葉で整理はできるんだけど、アイデアをスケッチできないというか、頭の中にあるキラキラしたものを外に出す技術がなかった(笑)。大学院を終えてからデザイナーとして働き始めたのですが、働き始めた時にはアイデアを外に出す力が弱かった。だから僕は会社に入ってからクロッキー教室に通ったんです。女の人の身体を鉛筆でスケッチブックに描くトレーニングをしました。それを繰り返していくと綺麗な形は描けてくるけれども、別に加山又造みたいに上手くなるわけではない。だけど、もう思い切って炭で汚れた雑巾とかでガンガン描いてみると、まあそれはそれでいいような気がしてくる。女の人の身体に見えなくても、自分で描いたと思えればそれでいいっていうか、「見た」ことに対するリアクションは、それをドローイングというかたちで写すんじゃなくて、「反応する」ことですでに果たせているかかな、ってそのときわかったのです。人間は「反応」してイマジネーションを外化させることに躊躇があるわけです。クロッキーを続けることで、そういうのを思いきりバコーン! と取り払えた。下手なスケッチでもいい。「頭の中にあるものを外に出して人に伝えられればいい」ということのトレーニングになりました。

きっと未来で花開くそれぞれの「固い蕾」
無意識にすでに掴んでいるたくさんの可能性

──当時の「卒業制作」が原先生の「現在」とどのように繋がっていると思いますか?
 卒業制作でやっていたようなことを、今現在でもやっているのです。卒業制作の中にあったものは自分の活動の芽か種子みたいなもので、今の自分はそこから発芽・成長したものでしかないと思うんです。今はデザイナーとしての活動領域も広がったし、最近は建築も視野に入っていますが、それは決して後になってそういうものが異なる種から芽吹いたわけではないです。最初からそういうものが自分の中にあって、まだ芽吹かない状況だけれども、こっちかなと思う方向に動いていくうちに自然と芽吹いてくる。だからみなさんも卒業制作で無意識のうちにテーマとして選んでいることは、将来においても自分の基盤になっていくものを触っているんだと思います。今でも物事をどうクリエイティブに編集するかということが自分のデザインの核になってると思うから、それは大学の時から変わってないと思います。 

──「卒業制作」とは私たち学生にとって、どんな位置づけのものだとお考えですか?
 固い蕾。その中にものすごくたくさんの花びらや種子が内蔵されていて、それはやがて必ず花開いていく、そういう固い蕾が卒業制作だと思います。つまりこの時期に、それほど深刻じゃなく無意識に目をつぶって掴んでいることの中に、みなさんの未来地図が詰まっているんだと思います。だからその先にいろいろな可能性が渦巻いているので、そういう意味で卒業制作は大事にしてほしいと思います。上手くいったとかいかなかったとかは、まあどっちでもいいんですよ。僕は大学院の時にきちっと制作できなかった。締め切りを過ぎてしまって、100枚くらい修士論文の原稿を手書きで書いて、すでに大学の研究室が取り合ってくれない時期だったから、向井先生の自宅のポストに無理やりギューっと押し込んで提出しました(笑)。それでなんとか「可」の成績で卒業できたんです。しかしその大学院2年生の時に書こうとしてたことを今でも書きたいという衝動が蘇ってくるから、案外と大事なことを考える時間が持てていたのだろうと思いますね。若い時、自分が無意識に握っているものがやっぱり自分の未来なのだと思います。だからこの時間を大事にしてほしいですね。 

──今年の2022年卒業生に向けてのメッセージをいただきたいです。
 巡り会った自分の状況を貴重なものとして認めて欲しいです。今はコロナ禍で、世界が大きく変わろうとしてるでしょ?そんな世の中が変わるタイミングにみなさんは大学生活を送っていて、すでに歴史的な証言者になっているわけです。歴史的現場に立ち会っている当事者だということを大事に思って欲しいです。リモート授業があったこととか、社会がリモートワークで激変していくその最中を、大学3、4年で過ごしたっていうことを貴重な体験として覚えていて欲しいと思います。歴史的な句読点を21~3歳くらいで迎えたわけだから、10年20年経って振り返った時にそこは大きな目印になるわけです。その時自分はどんな風に過ごしていたか、そして社会はどんな風に変わろうとしてたのかってことが、後々により明確に見えてくると思うんです。そういう時にある種の手応えが反芻できるような過ごし方をしておくといいんじゃないかな。よく目を見開いて世の中の変化を見ておいてほしいと思います。 

──ありがとうございます。では、今回の卒業制作展に来場者されているみなさまにメッセージをお願いします。
 AIに凌駕されないクリエイションの世界を見に来てください。美術大学というのはやっぱりAIに凌駕されないクリエイティブを構想できる場所なんです。多くの労働やサービスがAIに置き換わっていく中で、置き換わらない創造性が、芸術とかデザイン、つまりクリエイティブの領域に残ると僕は思っています。自然に対する畏れの気持ちとか、身体に内在する宇宙とか……。データサイエンスには見い出しにくい、頭の働きや感覚の働きを、人間らしいロジックとして表現していくのがデザインの世界であり、基礎デの考えなんですね。そういうポイントをぜひとも見て、感じて欲しいです。学生のみなさんはこれから社会に出て、AIに凌駕されない発想やクリエイションを発揮して欲しいと思います。卒業制作展がそういうことを発信できる場所であれたらいいなといつも思っています。 

──最後になにかもうひと言だけお願いします!
 最後に……えーと……。僕は大学に教授として着任して今年で18年目くらいかな、結構経つんですよね。武蔵美に来始めたころは40代前半だった気がするんですけど、当時は仕事しながら大学に通うってことが、体力的に全然苦じゃなかった(笑)。でもそれがだんだん大変になってきて、仕事も実は加速度的に忙しくなってきていて。かなりスレスレで苦しいんだけど、でもやっぱり大学に通い続けて生徒のみなさんと全力で向き合っていたい。学生のみなさんはどうですか?大学に来るということには個別にたくさんの困難や苦しさがあるんだけど、それでもここに来てるのは、何か大事なもの、他では絶対に手に入らないものがここで生み出せているからだと思うんです。その根拠が基礎デにはしっかりとある。みなさんが、いろいろなものを乗り越えて通い続けたことにはきっと意味も理由もあるんだよ、ってことを、最後にみなさんに伝えたいですね。

(取材編集・有田礼菜 大場南斗星 松尾花)


ついに再来週は卒展です!ぜひお越しください!

令和3年度 基礎デザイン学科 卒業・修了制作展
【開催期間】2022年1月13日ー1月16日
【会場】武蔵野美術大学鷹の台キャンパス
【時間】午前9時から午後5時まで
【公開プレゼン】1月16日13時から 1号館103教室にて
【Twitter】武蔵野美術大学 基礎デザイン学科 卒業修了制作展
【Instagram】scd_graduation
【web】http://www.kisode.com/presentation2021/

卒業・修了制作展入場には予約が必要です。
1月7日(金)9時から 専用サイトにて予約開始↓

sns・website↓


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