【ライブレポート?】situasion 2ndワンマンライブ『I would prefer not to』

※以下は、ライブを一切観ることなく書かれた、ライブレポート擬態型文章です。こんな文章書かない方がよかったのですが。

 situasionの2ndワンマンライブ『I would prefer not to』がほんの数時間前に終了した。ライブパフォーマンスがいかに素晴らしかったのかについては、今さら多言を要すまい。むしろここでは、そのパフォーマンスに感化されながら、このワンマンのタイトルの含意を探ることを手掛かりとして、今後のsituasionの行方について考えてみたい。

 言うまでもなく、『I would prefer not to』とは、アメリカの作家ハーマン・メルヴィルの短編小説「バートルビー」(1853年)の主人公バートルビーが発する決め台詞である。この短編小説は、ドゥルーズなどの様々な哲学者や思想家に取り上げられてきたことでも知られている。

 今回のsituasionのワンマンのタイトルにバートルビーの呟きが選ばれたことには、必然性がある。situasionとバートルビーの呟き。一見無関係に思われても仕方ない両者を結びつける鍵となるのは何だろうか。それは、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンによる〈生の形式〉の議論である。アガンベンは、バートルビーの呟きに表れているような抵抗のあり方を、〈生の形式〉という概念によって論じている。そして、この〈生の形式〉を論じるにあたってアガンベンが念頭に置いているのが、あのアンテルナシオナル・シチュアシオニストなのである。

 これも言うまでもないことだが、このアンテルナシオナル・シチュアシオニスト(Internationale Situationniste)の理論こそが、situasionというアイドルの活動の理論的根拠をなしているものである。このことは、situasionと書いてシチュエーションではなくシチュアシオンと読ませていることからも明らかである。

 本日公開されたインタビューにはこうある。

私たちのコンセプトは〈新しい状況を構築する〉というもので、楽曲の中でいろいろな状況になるんですよ。例えば、ストーカーになったり、死んでしまったり、奥さんに先立たれてしまった旦那さんの気持ちになったり。そういう普通はすることのない体験を、自分たちが表現するんです(situation『I would prefer not to』新たな状況を構築する新進アイドルの現在と未来に迫る!

状況を構築すること。これはまさに、アンテルナシオナル・シチュアシオニストが掲げていたコンセプトに他ならない。そしてこうした状況の構築は、彼らが「スペクタクル」と呼んだ、我々の生から多様で流動する可能性を奪って固定化する仕組みを破壊することを目指す。

 これと同様の試みをsituasionが志向していることもまた、明らかである。同じインタビューでは次のようにも言われている。

同じライヴがないのが私たちのウリで、同じ曲をやっても、お客さんの感想や評価が毎回違うんです。(situation『I would prefer not to』新たな状況を構築する新進アイドルの現在と未来に迫る!

この言明を、単に毎回のライブがマンネリ化しないように頑張っているといった程度のこととして捉えるのは早計である。ここで述べられている単純な反復の回避という営みは、すでに確認したスペクタクルの破壊、そのための状況の構築と見なすことができた時、初めてその意味と射程を十全に理解することができるものである。

 思い返せば、2010年代のアイドルに理論的根拠を与えたのは、東浩紀の哲学であった。それに従えば、現場にまたぞろと集まって来るアイドルオタクたちは、テーマパークに集まる「観光客」なのであった。これに対してsituasionの試みは、私的な生と公的な生が極端に重なり合うアイドルに現代の典型的な〈生の形式〉を見て取り、そこから状況の構築を目指すものであると言える。そこでアイドルオタクたちは、もはや観光客のままでいることはできない。少なくとも理論上はそうである。状況は参加するものではなく、自分で作り出すものであるからである。そのことにアイドルもオタクも関係ない。今日のワンマンを目撃したのであればなおさらであろう。

 こうした企図を有するアイドルが、新型コロナウイルスの流行に伴うアイドルシーンの閉塞感の中で登場してきたことは、何とも喜ばしいことであると言えよう。今後のアイドルを取り巻く状況がどのように推移するにせよ、situasionが2020年代におけるアイドルの新たな方向性の一つを示しえているということは、間違いなく言えるのではないか。

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