第4回:ハイエク全集を読む

 前回は、高校生になって中川八洋の影響を受けるようになった話について書いた。今回はその中川の影響を受けて読むようになったフリードリヒ・ハイエクについて少し書いておきたい。この人の名前はさすがに中川よりはるかに知られているはずだとおもうが、最初にWikipediaレベルの紹介をしておこう。

 フリードリヒ・ハイエクは、1899年にオーストリアのウィーンで生まれた経済学者。ジョン・メイナード・ケインズとの論争でも有名。経済学以外にも政治哲学などにかんする著作も多く、単に経済学者というよりも、自由主義を信奉する思想家と呼んだほうがいいかもしれない。「ネオリベ」と称される新自由主義の起源を辿るという文脈で名前が出てくることも多い。

 さて、紹介はこれくらいにして、私とハイエクとの付き合いについて書いていきたい。前述のとおり、中川の著作においてハイエクは「真の保守主義者」的な扱いをされていたから、高校時代に中川信者であった私はすぐさまハイエクの著作へと向かうことになった。一番初めに読んだのは、彼の著作の中でもおそらく一番有名であろう『隷属への道』だったはずだ。この著作でハイエクは、計画経済の危険性を指摘し、そうした観点からファシズムと社会主義を批判している(そしてもちろん自由市場が擁護される)。彼は保守主義者らしく、人間の理性を過大に見積もることをせず、完璧な計画を立てることなどできないと説くわけだが、こうした近代的な理性への懐疑は私の思考と相性の良いものだったし、後にそうした理性への懐疑という点ではハイエクと共通している、ドゥルーズなどによるいわゆる「ポストモダン思想」の研究へと向かったのも、今考えるとある程度の必然性があったのだろう。

 この『隷属への道』を読み終えると、私は(おそらく人生で初めて)「~全集」というものを購入することになる。高校生の時に買ったのは確か、ハイエク全集の『自由の条件』および『法と立法と自由』という著作だったようにおもう。どちらも邦訳で三巻の及ぶ大著であり、高校の朝の読書時間とかにちまちま赤鉛筆で線を引き、やたらと付箋を貼り付けながら読み進めた。正直、当時の自分がどこまで理解できていたのかは微妙なところだ。現に、もう内容をほとんど忘れてしまっている(まぁ、今でも読んだ本の内容はすぐに忘れていくが…)。とはいえ、当時の自分にとってとても印象的だった概念がある。それについては書いておきたい。

 それは、「自生的秩序」という概念だった。自生的秩序とは、めちゃくちゃざっくり説明すると、人間が人為的に作り出した秩序とは対照的な、様々な人間の営みや試行錯誤を通じて自然かつ漸進的に形成されてきた秩序、とでも言えるだろう。ハイエクはこの自生的秩序を非常に重要視するのだが、この考え方は前述の人間の理性に対する懐疑と密接につながっていることがわかるだろう。こうした自生的秩序の例としては、インターネットがよく引き合いに出される。

 ところで肝心なことを書き落としていたが、ハイエクはめちゃくちゃに資本主義を擁護する。その理由はもう明らかだろう。資本主義は自生的秩序だからである。またそれゆえに、計画経済を導入することで資本主義における自由な市場の良さを台無しにしてしまう社会主義やファシズムを彼は執拗に批判したのであった。

 高校生の時の私にとって興味深かったのは、こうした自生的秩序としての市場の擁護を、経済的な観点以外からもハイエクが行っていたことだった。それはすなわち、市場を通じて社会に偏在している部分的な知識が上手く統合される、という形での擁護である(もちろん、このようにして知識が上手く統合されることで経済運営が計画経済以上に円滑にいくという話なので、全く経済的な観点が考慮されていないわけではないのだが)。これについては、いろんな人たちの編集によって作成されているインターネット百科事典であるWikipediaのことを念頭に置けば理解しやすいだろう。

 ここまでの説明では、自生的秩序の例としてインターネットとWikipediaを挙げておいた。この例について少しでも考えてみればわかるように、ハイエクが言うほど自生的秩序は素晴らしいのか、うまくいくのか、というような疑問は当然直ちに提出されうる。ただこの文章はそういうことをする場でもない。より重要なのは、当時の自分がこうした自生的秩序を評価するという考え方になぜ惹かれたのか、という疑問を解消することである。

 ここで第1回で紹介した、中学生になってまだ少しの時期の私の状況を思い出してみてほしい。その頃は、教師や学校に対して漠然とした違和感を感じていた一方で、「男らしさ」を誇示しつつ教師たちに反発しているようで実は彼らと馴れ合っているいるようにしかおもえない不良たちにもまた憧れと反発とがないまぜになった複雑な感情を抱いていた。この二者どちらでもない第三の道として、私はネトウヨっぽくなることを選択した。選択してしまった。それは言い換えれば、不良のように実際に行動することは極力回避しながらも、学校や教師といったわかりやすい権力には反発し抵抗しようと試みる道ではあった。

 これも完全に後知恵であるが、今おもえばハイエクの自生的秩序という概念は、特に行動をせずとも(なんせ自生的な秩序なのだから余計な手出しは無用なのである)、ファシズムや社会主義といったわかりやすい権力は徹底的に批判するという位置を私に与えてくれていたのだろう。というかそのような形で当時の私はこの概念を受け取ったのだ。理性を妄信する左翼とかの連中は、イキって経済計画を立てたがそんなものは上手くいかないだけでなくて強権的な支配を帰結するだけ、余計な手出しはせず市場の「神の見えざる手」を信頼するほうが上手くいくし、こちらのほうがはるかにスマートなんだが、といったところか。ネトウヨっぽくなったものの教師を裏で腐すのがせいぜいで、結局のところ何か行動を起こしたわけではなかった私の、何かに熱心に取り組んで実際に行動を起こすことに対するコンプレックスがよく表れている。

 しかし残念ながら、世の中そんなうまい話はない。実際、ハイエクらを源流とし、政府による介入を排した自由な市場を信奉する新自由主義は、その純粋な自由市場を実現するためにかえって様々な人為や権力が招来されるということが知られている。もちろんこんなことを知ってハイエクの思想を相対化するようになったのは大学に入ってからだった。現在の私は新自由主義や資本主義に対してかなり懐疑的である。とはいえ、自生的秩序的なものへのこだわりが大学入学以降全く消えたというわけではない。例えば大学生になって出入りするようになった地下アイドルの現場のあり方を、私は確実に自生的秩序の一例と見なし、またそれゆえに惹かれていった面があったようにおもう。しかし地下アイドルの「オタク」になると一つ大きな変化が生じる。地下アイドルはオタクである私を、それまででは考えられないくらいに行動へと駆り立てたのだ。この辺りの話はもう少し後ですることになるだろう。ひとまず今回はこれくらいにして、次回でアイドルと同じくらい重要なトピックである哲学について、それにハマったきっかけなどを振りかえっていくことにしたい。


 

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