#3 with complete abandon
こんにちは、SCAメンバーのゆうきです。
前回のBBスタディでは、p.85, 2行目〜p.87, 8行目までを学びました。
前回のBBスタディは「翻訳」に関する議論が多く、自分自身の中でも内容の整理に時間がかかりましたが、その中でも特に印象に残ったポイントについて簡潔に書くことにしました。
"with complete abandon" という言葉について
前回のスタディで特に印象に残ったのは、原文にある “with complete abandon” という表現です。
現在の日本語版ビッグブックでは、この部分は「思いきって」と訳されています。
しかし、原文には「complete(完全に)」という言葉が使われており、より深い意味が込められているように感じました。
「思いきって」という訳には、どこか軽快で日常的な印象を受けますが、原文の "complete abandon" には、それ以上の「完全な自己放棄」や「全身全霊を捧げる」、「すべてを神に委ねる」のような、完全な降伏のニュアンスがあります。
「成長」と「完成」の狭間
ビッグブックは、「私たちは霊的な完成をではなく、霊的な成長を求めている(p.87)」と強調していますが、時にこのプログラムが求める努力の水準は非常に高く、まるで「完成」を求められているように感じることがあります。
たとえば、今回の complete abandon という言葉には、ある種の完全性を求めているようにも解釈できます。
しかし一方で、この本を書いた人たちは「私たちは聖人ではない」とも述べています。この一見矛盾したようにも見えるメッセージの強調は、私たちに「完全を達成することはできないけど、その方向に向かって成長し続ける必要がある」と教えてくれているような気がしました。
まとめ
今回のスタディを通じて感じたのは、「成長を求める」という言葉の中には、「理想を持ちながらも、自分の不完全さを受け入れる」という意図が込められているということです。
私たちは決して「完璧」にはなれません。それは自分を神の位置に置くような愚かで達成不可能な目標です。
それでも、理想を目指して日々努力し、少しずつ進歩していくプロセスこそが、このプログラムの本質なのではないでしょうか。
" with complete abandon " という言葉に込められた深い意味は、私にとって「プログラムに真剣に向き合うとはどういうことか」を改めて考えさせてくれるものでした。
ご拝読いただき、ありがとうございました。
ゆうき