日の丸半導体と新横浜とサンデーサイレンス。

ちょっと面白い話。
このタイトルでピンとくる人がいるだろうか。一見無関係に思えるこれらの言葉がきれいにつながったお話。
いろいろ調べてたら出てきたのでまとめてみた。

1980年代の日本は半導体が隆盛を極めていた。半導体自体はNEC 東芝 日立 富士通といった大手企業の半導体がバンバンうれていた。それに合わせて周辺の半導体製造装置やツール等もものすごく好調だった。そこで財をなして馬主になった人が何人かいる。その中での二人。

まず一人目
金子真人氏 いわずもがなリアルダビスタを個人で出来てる伝説の人。彼が経営する株式会社図研が回路設計などで使うCADをこれらの半導体企業に販売して拡大していった。これによって会社の拡大や株式上場など馬主としての下支えになったことだろう。その後の馬主活動で一番有名なのはディープインパクトだろう。日本競馬の最高峰といってもいい。
1984年に自社ビルを新横浜に立てた→後に都筑区に移転。

もう一人が
臼田浩義氏 
馬主としてダービー馬スペシャルウィークの馬主さん
まさにこの日の丸半導体ブームのど真ん中で半導体製造装置の大手である東京エレクトロンで活躍し、そこから1987年にイノテック株式会社の設立メンバーとして参加し代表取締役に。
なんとコレが所在地が同じく新横浜。

共に日の丸半導体による好景気で大きな活動と財をなし、会社を横浜で起こし、ちょうどその頃に生まれたサンデーサイレンスの子供で馬主としてスペシャルウィークやディープインパクトといった大活躍をするといった面白い共通項。色は違えど鋸歯の勝負服なのも共通。
今やEDA分野でそれぞれが起こした会社が競合やっとなっていたり、片やウマ娘初期主人公で片やウマ娘化されるのかされないのかでモヤモヤされているという対比も面白い

まったく関係ない話のようだけど不思議な共通項。ウマイこと時代と場所が合わさるという面白いお話。

日本の半導体が復活という話が出てるが、またこのような人が出てくるだろうか?その時にその人たち縁の地はどこでどの馬の子供だろうか?

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