見出し画像

あの場で感じた確かな感覚

宮城に移り住んで8ヶ月。当初から不安を抱えていた義実家での同居生活と認知症の義祖母に対してのストレスが溜まりに溜まり、解決の糸口が見えないまま思考が堂々巡りを繰り返すようになっていた。自力では抜け出す事のできない思考のループから、誰かに外側に連れ出して欲しい...。そんな風に思うまで精神的にまいってしまう日が続くようになっていた。

そんな混沌としていた時に、葉山のstudio roda主宰のリエさんからいただいたトークイベントのお誘い。
力強い絵のビジュアルとサブタイトル"生命と美。いのちが輝くための場とは"に「なにか新しい知見をもたらしてくれそう...」と直感が働いた。そこで、生後6ヶ月の娘を抱いて参加させていただいた。

佐久間寛厚さんは、ダウン症の方のプライベートアトリエ・エレマンプレザンを長年運営されている。

事前に調べてその活動に興味津々になった一方で、身の回りにダウン症や障害を持つ人がいない私が深いところを理解できるかしら、とも思っていた。ところが、佐久間さんのお話が始まってみたら私のそんなちっぽけな疑心は全く杞憂に終わったのだった。

入り口こそダウン症の方の特性やアトリエでの活動のお話から始まったものの、佐久間さんの圧倒的な経験値に基づくお話はじわじわと、普遍的で本質的なことに迫っていった。
自分の心がたかぶっていくのが分かる。

ダウン症の方の絵は空間をつなぎ、調和させる力があるという。周りの人の気持ちや環境にとても敏感だからこそ、誰かとつながるための絵にもなり得るし(例えばお母さんに褒められたいがための絵)、魂の絵にもなり得る。

佐久間さん曰く、

美は、生命と直結している。
見ていると生命力が上がるものってある。
それは、自然の色彩バランス。
自然の本能に逆らわないで生み出されるのがダウン症の方の絵。

本能の絵。なるほどだからイベント告知のビジュアルに私は惹かれたんだ。

その後も、私自身の、そして母としての、在り方や考え方が揺さぶられるお話が続く。
そしてこんな話も。

自由と不自由がせめぎ合っている時、葛藤が生まれる。真に自由になった時あらわれるのは、調和である。

これは、トーク中にメモしたことをそのまま書いたもの。
イベントが終わって一週間経つけれど、
まだ、ぜんぜん消化しきれていない。
正直、話が深すぎて完全には自分に入っていかなかった話題もある。
それでも、あの場にいることができて、あの時確かに何かと繋がれた、という感覚がある。
魂が共鳴したとでもいうか。
その感覚を忘れないためにnoteに書き残してみた。全然まとまりのない文章だけど...

日常に戻って、相変わらずストレスを感じることもあるけれど、あの時に確かに感じた感覚を思い出すと頑張れそうな気分になる。

そういえば、佐久間さんはこうもおっしゃっていた。
人は、誰もが全面的な共感のもとに立っている。と。

この忘れたくない感覚が、まさにそれかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?