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マグロは寝ながら泳ぐ 水泳考5 競泳が衰退したわけ②

なぜ海外のスポーツ選手は特別扱いが許されるのか?

高校の頃を思い出す。放課後の体育祭の応援練習を免除され、練習に向かう時に背中越しに聞こえる怒声が。

なんで水泳部だけ帰れんだよ

不良達の大声が怖かったのは1年生の時だけ。2年生からは何も感じなかった。県や地域での総合優勝もあり、お前達とは違うという特権意識もあった。優遇されて当然と思い始め、クラスメイトを下に見るようになり、授業の時だけ教室にいて休憩時間は部室に入り浸るようになった。

25年前、カンボジアのナショナルチームを指導していた。まだ内戦の影響色濃く建物には弾痕が、路上には物乞いがいて充分な物資が無かった。果たしてそこで水泳をする意味があるのか自分に問い続けた。

カンボジアでもスポーツを続けてきた人々は存在し、国民の3分の1が虐殺されたポルポト時代を得てもスポーツを復興しようと躍起になっていた。そこでどんな産業よりもスポーツは優先されるのかという疑問がある。スポーツによる国威発揚、人々に希望を与える 青少年の健全育成 使い古された言葉が並ぶ。本質はわからないがなぜかどこの地域でも産業が衰退しても文化スポーツは優遇される。

では発展途上国でもなく、新興国でもなく先進国でスポーツ選手が優遇されるわけとは?自分が考えるに次の3つが考えられる。

1 スポーツ選手が特権階級
2 青少年がすることに寛容
3 国民のに経済的な利益がもたらされる

以上の3つだと思う。2は文化の違いでオーストラリアなどは、青少年の軽犯罪に関して寛容な印象がある。万引きなどは、軽く注意することで許されてしまうことが多く「子供のすることだから」で許されてしまう事が多い。

3の場合は中国などが良い例でスタジアムの建設やそれに伴う雇用やスポーツ選手を起用しての商品の販売などで大きな利益がもたらされる。そのおかげでスポーツ選手が特別に活動することで自分達の利益にもなるので自然と選手を応援する形になる。

1がやはり日本と一番、ちがうところではないかと思う。伝統のある国 特にヨーロッパのように貴族がいた国では,未だに特権階級が存在する。または貧富の差が激しく選手が裕福な層にいる場合。昔からの階級意識が存在する場合、特権階級階級のことを非難することが難しい場合がある。

日本も最初の東京オリンピックの場合だとまだこの3つに当てはまることが多かった。しかし一億総中流の時代を得て裕福な特権階級がいなくなり、公園で子供達が遊ぶ事さえ、うるさいとクレームをつける人々が現れ、オリンピックを開催しても一部の企業にしか利益がもたされず、逆に庶民には重罪が課せられるといった事態になってしまった。その怒りの矛先はスポーツ選手に向けられるようになる。


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