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何某かの"対人関係論"は自分の”おいかぜ”になるのかもしれないというおはなし

このnoteの連載を始めるとき、ボクはこの話題をもっと早く書くことになると思っていました。いろんな人に「ブログに書いてほしい!」って言われます。

それはボクなりの対人関係論です。

ボクを昔から知ってくれている人はボクのこの対人関係論にけっこう興味を示してくれます。かつてボクはこの対人関係論でサノワタルさんのiroiroというお店でイベントをしたこともあります。本を書きましょう!って言ってくれた人もいます。まあそれなりに面白がってくれる人がいて、自分でもわりと理論として体系化できてはいるのですが、世の中的にはこのテーマがちょっと非科学的だと思われているので、少し及び腰だったりします。そして今まで、noteにこのことを書くタイミングを完全に逃していました。

もったいぶるなって?そうですよねすいません。ボクの対人関係論はABO式血液型をベースにした理論なんです。

血液型。

ボク自身は信じて疑わないんだけれど人によっては眉唾もの、周りの目を気にするAO型男子のボクにはパブリックな記事を書くには少し時間が必要だったわけです。人の身体に流れる血液に型があって、それが性格や性質に影響を与えるって割とおもしろい仮説だなって思っています。科学で証明されたことだけが真実ではない!って信じて、ボクは生涯をかけてボクなりの対人関係論を通して、仮説検証していきたいと思っているわけです。

ABO式血液型をベースとしたボクなりの対人関係論。

生きていくうえで暮らしていくうえで、人と関わることを避けて通ることはできません。人と話をしたり、人と遊んだり、仕事をしたり、SNSをするのだって、誰かと何かをする必要があります。ボクは一人の時間は大好きだけれど、誰かと何かをやることは、自分一人では為し得ないことや、自分一人では味わえないような楽しさを感じることができる。誰かと何かをするって素晴らしい。そう思います。でも時として、人と関わることは摩擦や衝突を生むこともあります。みんな一所懸命だからこそ起こる人間関係におけるトラブルたち。

できればそんなトラブルたちに合わなくて、円滑な人間関係ばかりだとノンストレス。でもそいうわけにはいきませんよね。価値観や考え方が同じ人ばかりではないのがこの世の中。多くの先人や偉い人が汎用的な方法で人間関係の諸問題の回避の仕方を提案してくれてるのは、まさにそういうこと。人間関係に関するHOW TO本やそういうコンテンツは数多あるわけですが、ボクが自分なりに掲げているのがABO式血液型をベースとして対人関係論です。

ボクが血液型に向き合い始めたのは母親との関係性がきっかけでした。仲が悪かったというようなことではなく(ボクには反抗期すらありませんでした)、むしろ親子関係は良い方だと思いますが、母親の感情のムラと職人気質な性格がボクとはぜんぜん違ったこと、それを起点として周りの人間との違いを確認するようなことで血液型を意識していくことになります。BO型の彼女・彼女の兄妹(兄:OO/妹:BO)・両親(ボクから見ると祖父母 祖父:OO/祖母:BO)との性質と血液型の対比、夫(ボクから見ると父親:AA)・娘(ボクから見ると妹:AB)・息子(AO)との性質と血液型の対比。自分の家族を俯瞰して観察することと、自分と母親の違いを確認することで、自分がどうありたいか、そして自分自身の行動指針のようなものが見えてきました。そしてそれを家族以外の人間関係に拡張して、いまのボクの対人関係論は構築されています。ボクは小さなころから家族をマネジメント的に捉えていたところがあるように思います。家族の中でこうやって行動したら上手くいくということが割と小さなころからあったような気がします。

よく勘違いされるのですが、ボクは人の血液型を当てるのが上手な人ではありません。ある程度の行動パターンから推測することはあります。でもキーワードは”対人関係論”というところです。相手を血液型でカテゴライズするのではなく、人がそれぞれの血液型の性質をどう使うか、そしてそれに対して自分がどういう行動をするかというための行動指針なのです。

人がそれぞれの血液型の性質をどう使うかというのはとても大事なポイントです。例えばわかりやすいところでいうとA型の人は几帳面であるという性質、ボクがA型の人と接するとき”この人は几帳面だ”というふうに見ずに”この人は几帳面な性質を持っている”と見るようにします。この2つは同じ意味のように感じるかもしれませんが、ぜんぜん違います。その人が几帳面かどうかはその人全体にかかるものではなく、行動一つ一つに対してかかるものだと考えています。A型の人だからといって全てに・いつでも几帳面なわけではない、そう考えないとボクが自分の都合や解釈でその人の”几帳面という性質”を誤解してしまったりする可能性があります。カテゴライズしてしまうってことですね。血液型をあくまでその人の根本にある性質だと捉える、コンディションやシチュエーションという外的要因を絡めて、パーソナルな生い立ちや考えなんかがフィルターとなって、その人の行動になるわけで、それに対して自分がどういう対応をするかということが大事なことなのです。

ボクはおいかぜスタッフ全員の血液型を知っています。あんまり言うと少し気持ち悪いと思うので控えるようにしています。だから面接のときや入社前にはぜったいに聞かないようにしています(笑)。ほんとは聞きたいんだけど、対人関係論に取り入れているので、血液型が採用基準になってるんじゃないかって思われたら、それはとてもよくないことなので。もちろん採用基準ではありません。

ボクは相対する人の血液型をはじめて知ったとき、いったん頭の片隅に置くようにしています。そうやって人間関係を築いていくプロセスでボクが今まで積み重ねてきた自分自身の対人関係的血液型データベースに問い合わせながら”この人はこの性質をこういう風に使っている”というように人物像を構築していきます。そしてその人の言動に対して、どう接していくことが有効で効率的かを組み合わせて、対人関係を構築していく、そんなイメージです。

ボクの場合は血液型なんだけど、星座でも六星占星術でも四柱推命でもしいたけさんでもなんでもよくって、何かをベースとした自分なりの対人関係論を持っていると仕事や人生で役に立つんじゃないかって思っています。

いやはや。

やっぱり血液型のことをパブリックなところに書くというのはそれなりに気を使うところでありまして、ボクなりの血液型論、それぞれのタイプの対人関係論にまで踏み込んでいないのは、そういうご理解で読んでいただければと思っています。もし直接お会いしたときに興味のある方は血液型の話をボクにしていただければ、喜んで話をさせていただきますよと。そしてまた気が向いたらこのnoteの記事にも書こうと思います!

ボクが今日一番言いたいことは、みんな自分オリジナルの対人関係論を持っていれば、暮らすこと・はたらくこと・生きることの”おいかぜ”になるんじゃないかってことです。

みんな言語化してないだけで、自分オリジナルの対人関係論を持っているのかもしれませんよね。聞いてみたい。



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