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「空気を読む力」を鍛える

会って伝える情報量とメッセやメールで伝える情報量はアジェンダとしては同じなんだけどディティールが全然違う。今日久々に社員全員がオフィスにいて、数時間程度一緒なだけなんだけど、確認事項とかを一気に共有する。依頼することも口頭で説明するとものの10分くらいだった。

これをオンラインで出来るだけ明瞭に伝えようとすると資料細かめに書いたりでその時間のロスがある。とはいえ、わざわざ仕事の共有のために集合して会うのも効率的じゃない。この間をとって、詳細伝える時はビデオ会議がいいかもしれない。

感性だけでドーン!みたいな仕事ではない。
いろんな関わりある人の力を借りて何かを実現するのが僕らの仕事であって、ニュアンスの伝わり方が間違えば、相手にリスペクトを欠く対応になってしまったり、本音でいうところを言わないままでいたり、これら日本人特有の空気を読むという領域なのかもしれないが、グルーヴを止めず大きくしていくことが大切なのが弊社の仕事。空気の共有というのを甘くみてはいけないと思った。

日本人だけが空気を読むと小馬鹿にされるが、であれば僕らだけの特徴の発露で世界と戦えばいいのではないかと思う。わびさびなんて世界が当たり前に知っている状態。行間のような世界を言語化できる日本人はすごい繊細な感性を持っているとも言える。

なので積極的に「空気を読む力」みたいなものを育てる方が面白くなるんじゃないかと思ったりする。


空気を読む力ってどこから生まれるのか気になった。
自分たちの子供を見てると、兄がすごい怒られてるのを娘がそっと見ていて、兄に優しくしたり、娘が急にお手伝いなんかしたりしているのをみると「あ、今空気を読んだのかもしれない」と思うのだ。今いい子しとかないと怒られる危険性がある!とか子供ながらに思ってるのかもしれない。

では、空気を読むの真逆はなんだろう?と考えた時
「各々好きなようにはしゃげ」とかなのかなと思った。
フェスとか、子供達と風呂で大騒ぎするときか、そういう状況のことかなと思う。これら二つは日常にあたりまえにあることだなと思う。

空気を読むは他者を慮ることと、その状況を観察して自分の立ち位置を考えて対話することだなと思うと、ものすごく高度なことをやってのけてるなと思う。
ちなみに日本は世界でも一人のプライベートエリアに他人が入り込む距離が圧倒的に近いので有名だ。ググると出てくるから見た方がいい。

そんな世界の処世術として身についた「空気を読む力」は武器にしてもいいんじゃないの?と思う。なのでうちのチームでは空気感をしっかり共有していこうと思う。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。