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「大丈夫」をきみに

何歳になったって、不安ってものは付いて回る。
不安は心を怯えさせ、体を疲労で満たしていく。心のことなのになんで体も重たくなるのか不思議だ。

打ち合わせの帰り際、「不安はないんですか?」と会議で色々英断していく僕を隣で見ていたデザイナーが質問してきた。その決定が100%正しいような自信を感じると。正直、それができるなら今のところ僕は億万長者だ。未来が見えてるに近い。でも、それは僕にはできない。

仕事柄いろいろ決める席に座るようになってしまった。
とはいえ、昔から小さなチームで大きなことを!という姿勢なので大して変わった感じはない。いつだって不安とともに駆け抜けている。僕だって、君だって。

ずっと前から「不安」という存在と向き合ってきたように思う。
広告畑にいて、新しいことばかりに挑戦する。そこには不安の大海原が広がっているわけで、その中を数名の仲間と筏のボートで進んでいくようなものだ。それが今は広告を離れ、ホテルや施設やブランドやプロダクト、行政の色々なプロジェクトなど、より広いレンジで不安と向き合っている。

今、まさに不安を抱えている人に一つ言えることは、不安は君そのものだってことだ。何か黒い空気みたいな邪悪なものじゃなくて、怯えているもう一人の自分だと認識すると心が楽になる。

その不安そのものであるもう一人の自分とゆっくり対話する。
何が不安か。ポツポツ語り出す言葉に耳を傾けよう。その不安は実は自分自身が動いて調べて検証すると、不安の構造がほどけていくのがわかる。不安で疲れるのは、それをほったらかしにしていることが原因だ。

現実の自分と、不安という自分は常に一緒に歩いてる。
影みたいなもので、いつだってどんなときだって、不安は一番側で君をみてくれている。家族や恋人より、一番身近な存在が「不安」さんなのだ。
そう思うと、不安の気持ちに「あざっす」と思うようになっていた。
ここ地雷あるんじゃない?みたいなことをもう一人の自分が気づいてる。

忌み嫌われる不安という存在は、その役割の見方を変えるだけで、力強いパートナーだなとハイパー不安に悩まされていた時に気づいたこと。
ただ、その不安さんとの付き合い方をわからない人はたくさんいて、僕に相談がきたりする。

いろんな現場や、送られてくるデザイン、やろうとしてるビジネス。
どう思う?って不安そうに見せてくれる仲間たちにアドバイスはもちろんするけど、ざっくりいうと「大丈夫!」という言葉になる。

さっきも言ったけど、僕に未来は見えない。
ある程度、こうなるだろうことは予測できるけど、見えてなんかいない。
正解も間違いもないのが未来であって、厳密にいうと僕らは正しい未来を作っていくことが仕事である。

だとしたら、今抱える不安に耳を傾け、直すべきところを直し、あとはやってみるしかない。今ある不確定な想いを正解に変えていくのが僕らの役目だ。未来を博打のようにあてることではなく、想いを成すこと。それでしかないと僕は思っています。

唯一、不安とはぐれた人は心配になる。
何もしないことで不安を抱かなくて済むから、不安が消えてしまった人。
仕事に限らず、人は生きている上で常に不安とともにある。
それを失わないようにだけ注意しないとだめだと思う。

不安に悩んでいる人のためになれば。
不安が驚くほど怯えているようだったら、その原因から最速で逃げるんだ。
それは不安ではなく危険。
不安さんはあなたのそのもの。もうひとりのあなた。しっかり向き合おう。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。