たくさんのお母さんたち

実家を離れ、もう長い月日が経っている。
京都には僕が「お母さん」と呼べる人たちが何人かいる。全て飲み屋の女将さんだ。大人になると叱られなくなる。お母さんと呼ばれる存在は飲み屋で子供に戻ってしまう僕らを正しく叱ってくれる存在だ。

そんなお母さんたちも代替わりやコロナで店じまいと1人また1人と飲み屋街を離れていった。今、唯一残っている店名は伏せるが70歳を超えたお母さんの店にこっそり顔をだした。高齢だということもあったがワクチン打ち終わったよ!との連絡を受けて顔を出す。

あら、久しぶりね。元気してた?といつも通りのからっからな声。
小さなL字カウンターには詰めて座って六人が限界だ。トイレに行くときは毎回頭をぶつけてしまう。お母さん、少し痩せた?とかコロナでダイエットなったわ!とかケラケラと元気そうで何より。

まだ僕らの事務所が木屋町の飲み屋街のど真ん中にあったころ。
経営や仕事やで疲れ果てた心を癒してくれたのがこの店だ。ぶらっと歩いて早駆けでも顔見知りなら開けてくれる。小さな椅子に腰掛けるとコップにビールを注いでくれる。ドンとビール瓶をおいてタバコに火を付ける。それがいつもの仕草である。古いお店だけれど隅々まで毎日掃除しているのであろう、とても綺麗な店内。

ここでは、小さい会社の経営者でもなく、クリエイターとしての自分でもなく、父親としての自分でもなく、松倉少年でいさせてくれる。この小さいたった数席のお店はいつも自分自身でいさせてくれる大切なお店だ。特になんの仕事をしてるだの聞いてこないのも粋だ。料理も全部おいしい。僕はシーズンメニューだけれど、あそこの銀杏が一番うまい。絶妙な塩梅と火加減。ぷりっぷりの黄金の実を頬張って、冷えたビールを流し込む。いろんなものが流し落とされる美味しさだ。あんたいっつも美味しそうに食うね。作ってて嬉しくなるわと褒められる。

以前も1人でふらっと暖簾を潜った時。いつも通りビールを頼んで、やっこをたのむ。松倉さん、あなたすごいのね。と急に言われてなんのことやら不思議な顔をすると、その日の新聞をポンとカウンターに出す。その日の新聞にはお誘いいただいた僕の記事が出ていた。新聞読んでたら、あら松倉さんと気付いてくれたらしい。なんだか子供の頃、母親に褒められた感覚と同じで心から嬉しいなと思った。見ていてくれているという感覚は大人になるとほぼなくなってくる。でも、なんだかここのお母さんは僕だけじゃなく、お店に来る常連の人たちをしっかり見ていてくれている。

久々に褒められてなんだか嬉しいです。というと頑張ってる松倉さんにこれをあげるとおまけでおでんをつけてくれた。生きてるとこういう嬉しい瞬間が訪れる。人生のご褒美だ。

オリンピックが始まったね。と話しながら他愛もない話を1時間ほど。
次のお客さんが暖簾をくぐり顔を出す。みんなお母さんの具合を見に来ている。そろそろいくねとお会計。いっつも安い。大丈夫かな。こんだけ元気だったら次また東京にオリンピックが来る時もみれるかもねっていうと、勘弁してよ先に逝かせてもらうわってカッコいいこというなぁ。ごちそうさま、またね。小さく細い手を振って、またねって笑顔。

もう引退したお母さんたちも元気かな。たまに連絡がくる。元気してる?会社潰れてない?って。実の母もそうだけど、僕はたくさんのお母さんに支えられて地面に足をつけて踏ん張っている。できるだけカッコいい姿を見せたいなと思う。みんな健康で元気でいてほしい。またこっそり酒を飲もう。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。