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「自分でやってみる」ことの大切さ

自分の手で作業することを忘れてはいけない。
そんなことを定期的に思い出したりする。
年齢とともに指示を出す方へと回っていってしまうが、自分で機材を揃えて実験したり、できるできないを自分の体で理解していかないと、頭でっかちの人になってしまう。

今日も古いブラウン管テレビに出力テストをしていた。
どうにも比率が綺麗にいかない。ハイテクな現代のマシンと今ではローテクとなった4:3のブラウン管テレビと格闘していた。プロに任せればいいと思うかもしれないが、これは僕の遊びなので自分でやりたい。どうやら映像の信号にもいくつかパターンがあるらしく、適当に繋げば表示されるなんてのは近代生み出された天才の所業だとわかる。

もちろん自分一人の力では何もできない。
それでも自分でやってみた。そこから一人じゃ無理だと誰かを頼ることと、頭っから誰かを頼ることでは雲泥の差がある。自分の目で見て手で触れて、理解しないことには本当の意味で良いものは作れないのだと思う。

作品の展示で遊ぶアイテムがどんどん届く。
家はガラクタで溢れかえっている。でも、それはとてもワクワクする時間だ。自分で自分の表現をつくる。これが仕事でもそうだ。自分というフィルターを信頼してくれて、依頼がきてる。つくるってのはいつもワクワクしていなければいけない。そうでなければ、それは作業だ。僕は作業をするために生まれたんでもないし会社を作ったんでもない。これは僕の子。そういう気持ちでいなければ、どんだけ大きなことでも、どんだけ新しいことでも、それは色あせた退屈なことなのだと思う。

作りながら心が踊っている色は、アウトプットに伝播すると思っている。
アイデアを不安そうに提案するのはダメだよと生徒たちに教えたりするけど、本当そうなんだ。ワクワクした気持ちは人に伝わる。言葉や表情や空気で持って受け手に流れて広がっていく。

土日も忙しくしてたので土曜のおやつの時間にダウンしていた。
目をさましたらご飯の時間。焦らず急がず家族と飯を食べて、お風呂に入れて、歯磨きさせて、布団に送り出す。

遅れた仕事を出来るだけ終わらせて、積み残したものの整理をし、明日の算段を立てる。明日と思いつつ、日付は変わって今日のタスクだ。それらを終えて、電話を折り返そうと思ったら1時だった。流石に失礼なので明日の業務時間中に折り返す。カオスなデスクを整理して、会社の経理を少しして、ガラクタをいじり出す。展示はプライベートワークなので仕事を終えてから黙々とやる。辛くも苦しくもない。ただただ楽しい。

古い機構に触れるたびに驚きがある。
こうやって自分たちの使う道具たちは進化してきたのかと驚かされる。
人にとってはゴミの山。でも。僕から見ると宝の山に見える。

やるべきことはたくさんある。遅れているものもややある。
焦らず一つずつ、ちゃんと熱を注ぎ込んで前に進むしかない。
明日は夕方に出張。それまで打ち合わせラッシュ。しっかり寝て、明日に備える。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。