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根本的に元気であることの重要性

9月末にHOTEL ANTEROOM KYOTOで久々に展示企画をしている。

展示ってさ、急にシュッとしてドーンだなって思ったの。
シュッとしてドーン。わかる?何度もやってきたけど、シュッとしてドーンを自分もしてきた。

でも、相当人気がない限り、大抵の展示って「誰?」ってなる。自分の名前だしても誰?となる。こういう展示において、なんかの集大成とかお披露目とかなのでしっかりやることに集中しちゃう。でも、実家の両親とか安藤忠雄とかギリギリだし、村上隆とか絵を見せないとわからない。
急に大御所だしたけど。なんかこういうレベルデザインが間違ってたのかもしれないと思ったりなんかしている。

よくズルイとか言われるけど、僕はデザインでもアートでもインタラクティブでも、そこの本流にいない。その大きな川の隣でビールを飲んで眺めている人だなと思っている。時にはその川に飛び込むけどね。対岸でヌートリアみたいに転がり上がっているのが少し先の自分だったりする。

外から見てると感じることってのがある。第三者というか、限りなくフレンドリーな第三者だと自分では思っているんだけど、こういうことがたりてないんじゃないかな?という感じで切り口を作る。あってるとか、まちがってるとか、おいといて、自分はこう思うっす。そういう展示テーマにしてみたし、その制作プロセスすらも遊びながら公開していっている。

この序々文を公開すると、ともだちのごんちゃんが「元気」ってのが最近のテーマだとシェアしてくれた。この「元気」ってキーワードに移動中の電車の中でビビッと条件反射してしまった。本当、そうなんだよ!って。

今回、僕は「遊び」をテーマに展示企画をしている。
これは人気出るからとかじゃないくて「自分に足りてなかったかも」という反省の意味が大きい。仕事が忙しく遊ぶ心の余裕がまったくない。それって金を稼ぐためだけのサイボーグみたいなもので、それは近い未来に僕の首を締めるだろうと感じていた。

なので、反省文みたいなものだ。さーせん、忘れてました遊び心!みたいな。でも、その根底にあるものが「元気」という無形のエネルギーだと思った。仕事忙しいと元気を失っていく。なんか仕事忙しそうですねってよく言われるようになった。そこに甘えてやばいんですよーとリアクションしてしまう。それって何か一緒にやろうよ!遊ぼうよ!を自ら殺しているに近いと思ったの。それがなんなのかわからずに、でもとりあえずパーティーは続けようみたいに遊ぶ機会と仲間に声をかけ続けた。SNSに宣言文的にだした言葉で「元気」という昔から知ってる超シンプルでプリミティブな言葉に、わーそれやった!となったのが今日。

元気でいること、元気であること。
それって人として超強い魅力だと思った。
活動的に色々攻めてる人って元気やわーってなるじゃない。
その逆って忙しそうだねーとか噂にもされないみたいな、沈んでいく感じがある。そう、元気が一番大事なんだ。元気であることは行動を変える、結果を変える、多分未来を変える。

その根本がない状態で、面白い未来をつくる!って発言には説得力がないし、元気を装っても意味がないと思う。根本的に正しく元気であることが重要だ。そんなとても大事なことに気づけた火曜日。
元気を損なわないために晩御飯食べて子供と遊びます。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。