見出し画像

大きな世界と小さき者

車の窓を開けると心地よい風が車内に流れ込んできた。
森や畑は青々と茂っており生命にあふれた風景が広がる。
同じ風に吹かれて原っぱに風の足跡が見て取れる。

視線を前に戻すとタブレットにはプロジェクトメンバー。
助席でビデオ会議をしながら目的地へと向かう。

道中、プロジェクトパートナーと最近のあれこれを話す。
何度この道を往復したかね。行きは仕事の話で、帰りは人生の話が定番コースだ。
公私共に付き合いの深い友人との出張は仕事なのか遊びなのか曖昧な感覚だ。

いくつものトンネルを抜けると雨はきれいに上がっており、
日本海が眼前に広がる。多忙も消し飛ぶほどのスコンと抜けた不思議な気持ちなる。
大小さまざまな仕事を目の前に、その物量ゆえに近景ばかりを眺めてしまっている自分に気づく。恐ろしく美しい。文字通り恐ろしいと思った。

お前の向き合ってるものなど、ほんの些細な一つにすぎない。
無言でそう言葉をぶつけられるような自然の圧倒的な存在感は、定期的に僕をリセットしてくれる。あれもこれもと追いかけられる、いや追いかけるが正しいかもしれない仕事の多くを、ぴたりと足を止めて、まぁ後で追いかけるよと諦める。


美しいなぁ


もうその言葉しか出ないまま車は走る。
なんかこの感情は記憶にあるな…と考え込んだ。そうだ「美味しいなぁ」と一緒だ。
とても美味しいものを食べている時、すべてのことを忘れ去っていける。
今、この目の前の美味しい一皿だけを考えちゃったりしている。

別の言葉だと「圧倒される」が近いのかもしれない。
小さな料理のお皿も、視界を超えて広がる大自然も。そのサイズは関係なく僕を圧倒することがある。その時、いつも喜びと恐怖みたいな感情が体を満たしていく。

出張先での仕事を終え、メンバーと夕食。
語り足りない地元メンバーは宿泊先に同行してそこからバカ話から真面目な話まで2時間半も語り合った。根無草な自分としては、仕事でまさか、本当に関係もない町の未来を思うとは思いもしなかった。

4時間ほど仮眠くらいの睡眠を挟んで京都へ戻る。
酒と疲れが全然抜けない。休みたい。が朝イチで会議。その後15時に会議。この二つだけはしっかり乗り越えよう。そうやってそれ以外はすべて体を休めることに集中する。

リビングで横になると不在で機嫌を悪くした猫が胸の上でマウンティングしだした。
そのまま猫を撫でて仮眠。「休」という時は「体」から1本線が抜かれてるなぁとうとうとしながら考えていた。一体何が1本抜かれたのか。気を張るという言葉がるが気を抜いているのかもしれない。気づけば夢の中。

猫と共に目を覚まし、ふとドライブの風景を思い出した。
見たことない小虫が車の窓ガラスに必死にくっついてた。
「こいつえらいところまでついてきちゃったな。大冒険だな。」
と観察していた。あれは自分なのかもしれない。ふと思った。

僕もあの虫も「小さき者」である。
計り知れないスケールの世界と向き合って、僕らは暮らしているのだ。
それを考え出すと自分の小ささに挫けそうになる。なので遠くを見ないように忙しなく目の前に仕事や様々なことの壁をこしらえる。タスクがなくならないのではなくて本来小さい存在だったことを思い出したくないからかもしれない。

しかし、自身の小ささを受け入れることで
本当の世界の広さを感じることができるのだ。
僕はこの世界に必死にしがみついている。
あの小虫と同じように、必死に世界に食らい付いている。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。