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11人の若者

15時を少し超えたあたり。zoomを開くと静かな教室に11人の若者がいた。静かな教室。数年前に大学の非常勤講師は辞めており、年に1、2度の特別講義だけを引き受けていたがイレギュラーで学生の質問に答える講義のゲストとしてzoomで登壇した。

学生たちのためになるなら、断らない。そう決めている。いい大人振りたいからでもなく、純粋に画面の向こうにいる学生たちの年齢の頃、多くの活かした大人たちが無償で僕らに時間を割いてくれたから。先輩たちから受けた恩を今僕ができるだけ次の世代に返しておきたい。そんな想いだ。

僕が学生だった頃と比べると時代も状況も常識も全てが違う。
何より今の学生たちはとても大人びている。もう少し僕はバカでした。
大人になることを急ぐ必要がなかった時代なのだとも思う。そう思うと今の学生は急いで大人にならざるを得ないのかもしれない。

藝大を出てるわけでもない僕自身がクリエイティブ業界で働いているのは少しだけ珍しい。学生時代には憧れたものの芸大を出ない限りほぼ無理だとか周りから色々言われた。世の中の常識的に僕もそれを否定はできなかった。

今日登壇した大学も同様だった。しかし、そこにはかつての僕のように何かクリエイティブティを武器に生きていきたいと思い出している若者がいた。
普通の大学を出て、藝大で非常勤で教えた経験からいうと、クリエイティブは誰にでも可能であり生き延びた人たちを見ているとその強度でしかないと思う。

実際、同世代のプレイヤーはどんどんと消えていったし、別の職についたり、偉くなったり、さまざまだ。それでも僕が若手のペーペーの時代から今もなおフレッシュに活躍している人たちもたくさんいる。その誰もが狂気を感じる人たちだ。一定量の熱量は周辺を痛ませるほどの熱量で前進する。その熱を自身に宿せるか。それに自身が喰われないか。

zoomの画面を閉じて、11人の20や21歳の若者たちを見たときに可能性の塊だなと当たり前のことを当たり前に思った。かつてはあそこに自分もいた。同じように可能性の塊だと言ってくれる大人たちがいた。なんとなく、こういう感情で言っていたのかと気付かされた。

何者かになりたいという願望は一度タンスにしまって欲しい。
自分自身の中を覗き込んでみてほしい。深淵というか真っ暗で空っぽだ。
自分には何もないんだと驚くと思う。でもそれは全て可能性が収納される空席だ。そこを埋めていくのが、君たちのこれからなんだと思う。

自分の中は基本的には真っ暗だ。
あかりを灯す必要がある。それがなんなのかを見つけるんだ。
永久機関のように心を灯し続ける何かが必ず何かあるはずだ。
それが僕はアイデアだった。料理の人もいるかもね。映像の人もいるかも。テクノロジーの人だって、なんだって、誰かから借りてきた価値観ではなく、君を突き動かすプリミティブな何かが必ず君に宿っている。

20年という月日を生きてきた時間や
そこで交わされた言葉、嬉しかったこと、傷ついたこと、悲しかったこと、楽しかったこと。自分だけが経験した膨大な20年という時間の中に自分を突き動かすヒントがある。周りを見ても君の未来を指し示すものはないともう。心の羅針盤となる自分自身を突き動かすものを焦らず急がす、鴨川でも眺めて一人考えてみるといい。

その灯火は今の所38歳になったおじさんでも灯ったままだ。
悩んだり困ったりしたときには、その明かりが示す方向へ進むことにしている。
そういった揺るぎないあなただけの羅針盤を見つけ出して欲しいと思う。
そして、未来のどこかで何かワクワクするものを一緒に作ろう。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。