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新しいことを始めよう。恥じらいもすてて、子供のように。

子供がおさがりのPCをいじっている。覗き込むとUnityを触っている。
え、すごい。3Dモデリングが動いてる。古いマシンは鼻息荒く限界をアピールしている。時折フリーズしながらも負けじとマシンにかじりつく息子。
小5である。すごいなと感心する。

娘がリビングで工作をしている。それを猫が2人眺めるようになって久しい。娘は工作が得意だ。彼女は「猫のおもちゃ屋さん」を開いている。猫たちはおもちゃを作ってくれるのをしっている。いつしか猫たちが完成を待つようにまでなった。彼女のおもちゃは猫界ですごい有名なのかもしれない。食いつきが違う。

ちょっと前まで、息子・娘にとっては「できないこと」だった。
それが今ではできることになっている。できることの最中とも言えるかもしれない。それをみて、超良いなと思う。

今コロナで世界は大変な状況だけれど、家にいることが最善の策となった今、自宅でできる新しいことを誰もが始め出している。前線は超大変のはもちろんわかるけど、見えない家の中では誰かの新しい挑戦がきらめいているのかもしれないと思った。

普段は料理をしない人がキッチンでレシピとにらめっこしたり、
埃をかぶったギターを引っ張り出してきたり、
機材繋いで色々テストしてみたり、
久しぶりにゲームの電源を入れた人や、
いつもは読まないはずのジャンルの本を読んでみたり。

ソーシャルディスタンスで距離をとって過ごしている。
それはリアルだけではなく、オンラインのソーシャルでもディスタンスをとっている。タイムラインは割と高い確率で誰かを非難しているもの、正義かもしれないが暴力のような言葉が飛び交っているのをみてしばらくあけていない。一方的に投稿しているだけにしている。

あらゆる関係性から距離を保ち、自分自身やその生活を見つめ直した結果。
なんか新しいことや、昔好きだったことを思い出してやってみる。そんな世界中に溢れていることを想像すると、なんて美しい世界かと思う。そうであってほしい。

子供達の初期衝動に学ぶことは多い。いろんなものを試しにやってみる。
自分の幼少期を思い出しても同じだった。何が違ってこうも新しいことへの挑戦に億劫になったのだろう。寝る前に考えた結果「時間」だと気付いた。

子供の頃、僕らの時間は膨大にあった。手に余りあるほどの時間をどう消化して良いかわからず長い夏休みに好奇心をDIYしていた。大人には圧倒的に時間が少ない。働きすぎなのかな。その時間のなさが新しいことへの着手を鈍化させ、変わらぬ状態になっていく。

もっと子供のように膨大な時間を確保したまま大人でいれれば、もっとたくさんの可能性を僕らは持つことができるんじゃなかと思う。そして、今まさにそれが起きているのではないか。

なんて素晴らしい気づきだ!ってワクワクしている。
新しいことを始めよう。恥じらいもすてて、子供のように。
ワクワクする気持ちは自分でしか作り出せないのだから。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。