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すべてに最適化されたデザインはないのかもしれない。

さくっと昨日の日記を逃している。
年1で大学で講義をしている。土日に合計10時間。
慌ただしい濁流のまま、昨今学名で大荒れの京都造形芸術大学・大階段の前まで流されついたまま5時間講義に突入。
疲れ切った私は、気付けば飲み屋でビールをあおっていた。飯も食わず酒だけを飲み続けて気付けば部屋で眠っていた。

日記を書く余裕など微塵もなかったなと寝起きの寝癖だらけの顔を洗いながら残り5時間の講義に出かける準備をした。
最近はタクシーをスマホで呼べる。この場所に迎えに来て!とピンをさせば、GPS情報を元にぴったり目の前に迎えに来てくれる。
迎えに来てくれるのだが、今朝はちょっと違った。あなたを迎えに来るタクシーが地図上に表示されているのだが、なにやらぐるぐる回っている。

しばらく待てど予定時刻を超えてもなおぐるぐるしている。
ピタリと止まったのは1本筋が南の通り。タクシーが見える。そして電話がかかる。松倉さん、指定の場所にいらっしゃいますか?と。
おそらく同じ地図をみているはずだ。おそらくそちらが1本筋を間違っていますよ?と伝えると、どうにもおじいさんドライバー。地図が細かくてよく見えないという。

はぁーなるほどなーーと感心した。
GPSでここにきて!って便利だ。あそこまでいって!って目的地まで登録できるし、だいたいこんくらい!って料金もでる。時代だなぁと思う一方。タクシードライバーには恒例の人もいる。共通で配布されるドライバー側のアプリケーションを見せてもらうと、僕ら世代のデザイン設計がされていた。一見使いやすい。しかし、恒例の方にとってGoogle Mapの細かい地図はもう薄いベタ塗りの何かに赤いピンが刺さってる程度なのだ。
そりゃわからないよ。超納得しました。とドライバーに伝えた。

テクノロジーファースト、利便性優先で身近な道具を開発していくと、ある一定の層を切り離すことになるのだと学んだ。
もちろん全ての人に愛される・利用されるものなんて、とても少ないのはわかっている。でも、鉛筆もペンもノートもだれもが使える。なんてよくできた道具何だろうと思う。そういった過去のテクノロジーに比べ、発展途上の最新ツールは完全なようでいて不完全だし、全ての人に最適化を目指すことは省かれてしまうのかもしれないなと思った。工数を考えるとえげつないからね。そういう理由とかで対応しなくなっていく。

今日、教える講義でも出来るだけ、専門的な言葉は避けて教えようと思った。いろんな世代、背景の人がいる。特定の人しかわからないことではなくて、今僕はどういう道具を与えようとしているのかをわかりやすく丁寧ウニ子供でもわかるくらいに伝えていけたらと考えながらタクシーで大学へと向かったのでした。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。