見出し画像

孤独と退屈は人生のスパイス

会社をやっていると1年に1回強制的に振り返ることになる。
決算で見えてくるのは数字の流れ。去年の決断の結果が出てくる。
本当、予想通りの結果にやはり人は想像したように努力するのだとわかってくる。

時代の速度が速い。そういうことも同時に感じた。
なんとなく近未来予測の回数をもっと増やさないと危険だなと本能的に感じている。だいたい本能的な判断は今まで正しかったように思う。上の考えで行くと正解にしていったとも言えるが。

そうであれば、欲しい未来は作れるはずだ。
しかし、それには孤独と退屈が必要だともおもう。初年度なんて一人ぼっちの会社なもので必要なお金も固定費もイージーモードだ。生まれてくるのは膨大な時間。

どんな自分の未来を作っていきたいかを喫茶店でタバコを加えて、ぼうっと考える。うん、利益全部社員に回そうとか。そういう個人的に決意を決めて選択する機会が生まれる。そして、自分の何が間違っていたかも冷静に考えれたりする。

社員も増え、賑やかに仕事をしていると自然と仕事は増える。
仕事が増えると時間が減る。孤独と退屈の時間が減る。
そうなると未来を考える時間が失われる。自分を振り返るキッカケも減る。
目の前の仕事にだけ向き合い続けて精彩を欠いていく。
そして、たぶんうちの会社は潰れる。

今日、家族と飯を食い。睡魔が襲ってきたので早々に子供達とシャワーを浴びて、布団に入ってそれに気付いた。このままだと退屈な人間になってしまう。
仕事も会社も順調なように見えて、緩やかに死に向かっている。これまた本能的に感じた。つまり、多分それは僕の人生において正解でありアラートだ。このままではいけないのだ。

なんとなく今まで会社や仕事が順調であれば、人生は豊かだと思っていた。
それがどうやら数年のそういう体験を経て、そうではないかもしれないと思い出している。やはり組織は巨大化を目指さざるを得ない社会の構造を持っているし、大きくなればそのスケールのリスクになり、それに恐怖し安定を求め出す。結果、選択は全て退屈なものになる。企業のジレンマかもしれない。そして、いい企業を作ることは僕にとって最大の目標ではない。

より小さく、より野蛮に、より強く、より本能的に、正しいことを。
なんとなく、そんな言葉が浮かんでいる。
今まで忙殺されていた中で失われた孤独と退屈を感じる時間を意図的に作っていかなければと思っている。

世の中を面白くしていきたいと忙しくしている間に
そうおもう本人が面白くない人間になってしまう。
やはり人生には孤独と退屈は必要なのだ。それを感じることで次の選択を想像するようにできているのかもしれない。

孤独を手に入れよう。
退屈を作り出そう。
その時間が人生をもっと面白くいい方向へみちびくスパイスなのかもしれない。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。