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あたらしいまいにちノート

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まいにちのあんなこと、こんなこと。
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2019年5月の記事一覧

主人公なんていない世界

海にあぐらをかいて日差し直撃で考え事。 鳥取は皆生温泉の浜辺で過去に想像の手を伸ばす。 この地のことや、これからのこと。決して順調にきているわけではない背景を見て、自分たちができることは何か。考える。 一番の救いは、この地に住む若い人たちが、みな元気なこと。 心の芯のところがどっしりとしている。そんな印象を受けた。 飛び抜けてみんないい人たち。この人たちがいてくれるなら、自分たちにもできることがあると確信する。 自分たちの力は何かを考える。 建物が建てれるわけでもない。美

料理できない男が漬物に学んだ話

仕事はしたことないけど、飲んだり食べたり飲んだりしている田中さんが、二度目の挑戦をしている。新しいPicklestone!! 応援というか、初号機に僕はべらぼうに感激したので料理できない僕がせめて漬物でもとトライして体験したことを今日は日記に書こう。世の料理できない男子よ。漬物おいしいだけでだいぶ存在感取り戻せるので是非読んでくれ。 「え…野菜すごい」が最初商品より先に「野菜すごい」という言葉が出てしまう。 あと、塩。塩で野菜の水分出る。なんか地球すごいとか思ってしまう。

「わからない」を認識することは大事な一歩

「わからない」と言う事実を把握することが大切だ。 どう思う?どうしたらいいかな?何をしたらいいだろう…という相談が基本的にうちには多い。まず僕らが行うことは「わからない」ことを把握していくことが最初の一歩となる。 なんとなく世の空気として「わからない」ことは「よくない」と思われている節がある。なのでわかったふりをするなんて言うケースもあるがそれが一番危ないと思っている。わからないことは決してダメなことでも、恥ずかしいことでもない。わからないことに目を背けることの方がはちゃめ

プロジェクトの起こし方

どうやって新しいことを始めてるんですか?という質問が講演会で多い。 確かに始めるにはコツがいるかもしれない。始め慣れているというのもある。じゃあ、今度noteに書きますね、と伝えて数ヶ月。今思い出した。 主に「お仕事は別に新しいことを始めたい人」のために書いています。 なんとなく今のままじゃダメだ!と不安にかられている人。結構多いみたいなので少しでも参考になれば。 先に結論だけ書いておく。 方法は以下だ。 自分に目を向ける → ドキドキを言葉にする → 仲間に伝える →

眼鏡あわない問題

眼鏡が合わない。似合う似合わないとかそういう話じゃない。 顔がでかい。顔がでかいと大抵の眼鏡はおもちゃ見たく見える。サングラスも同様だ。遺伝か何か、僕は顔がでかい。子供達も。ごめんな。 そして、僕は目が弱い。目が悪いのもあるけど、仕事のせいか夏に近づくにつれ目が痛む。真夏なんて外出ただけで日差しに目が焼かれる感じだ。なのでサングラスが必要になるが、これが似合わない。困ったものだ。サングラス・コンタクトレンズというものがないのか。 これはもうJINSさんとかに顔が大きい人向

僕らの炎も混ぜてくれ

高速道路を駆け抜ける車。助席でどこまでも続く山々を眺める。 仲間とともに京都を北上する。この道は何度目だろうか。 ドライバーと視線が合うことはない。黙々と会話をし続け、目線は前に。 未来の話をあっちへいったり、こっちへいったり。 移動時間と家にいるときだけが休んでいる。 休んでいても未来の話でワクワクしている。暮らしも仕事も垣根がない。 あるとすれば仕事は一つの実験でしかない。この暮らしと仕事の間くらいの言葉しかない時間を僕は愛おしく思っている。 車の灰皿は僕の銘柄でいっ

謎のアイデア集団の初動がすごかった話

4月をワークショップに費やし、遠方はビデオでレクチャーし総勢80名以上に脳みその準備運動を終えたのち、すぐにクライアントワークに突入。 うちに舞い込んできた新聞広告のアイデアを考えるというもの。 これがすごかった。想像以上だった。ちなみに謎のアイデア集団については以下を参照くだされ。 結論:3日で50案以上が生まれた今回のミッションに参加したのは80名中30名ほど。 それぞれのタイミングで参加できる人が名乗りを上げてもらう方式を試した。 結果、正確な数を数えるのを諦める50

闇を見つめる

ハンモックに揺られて琵琶湖を眺めている。 もう完全にこのハンモック欲しい。家に持って帰りたい。 あと琵琶湖も欲しい。 夜遅くまでアイデアをにらめっこしていた。 アイデアを出すことより、どう活かすかが今回の役割だ。 食材がでてきて、どんな料理でお出しするか。料理下手だけど。 気がついたら3時間以上ハンモックに揺られていた。 パタンとPCを閉じて妻と電話。 子供たちの話。遠くの街の光を眺めている。 家と移動中以外、基本仕事をしている。 ほとんどが打ち合わせだ。少なくて1本。平

決断には体力がいる

今日、いくつかの打ち合わせが連続であり、はしご状態。 それぞれで考えたり議論したりといい密度の打ち合わせ。お陰で資料関係はあまり進まない。しょうがない。資料を書くだけに特化した自分をコピーするしかない。未来まち。 家族との夕食を終え、リビングで寝落ち。気付けば子供達はシャワーを終えてさっぱり。波打ち際に打ち上げられたようなくたびれたおじさんだけが横たわるリビング。いや、隣で妻もゴロゴロしていた。さすが夫婦。 これはやろう。これはやめよう。これは…うーん、どうしよう。 こう

人生の岐路はいつ訪れるのか?

人生にはいつかぐいっと方向性が変わるタイミングがあるんだろう。 そんなこと思いながら、おじさんと呼ばれる年齢に至ってしまった。 この年齢になると若い頃、出会った時と同じ仕事をしている人はほとんどいなくなってたりする。なのに僕はわりと新人時代から同じ仕事をしている。 サラリーマンから農家になった人もいる。 エンジニアからホステルの経営をやっている人や、 デザイナーだったが受託案件をやめ、謎に豊かになっている人。 何か人生の岐路があったのだろう。勝手に想像している。 果たして

母の日のこと

一足早く「母の日」のために子供達と街をぶらぶら買い物に出かけた。 「何がいいかな?」という子供達に「ママが欲しそうなものを想像しよう」と言葉を返す。そう、自分で考えて、感謝の気持ちを形を変えて届けよう。考えるんだ。 子供達をお店に放って僕も考える。妻は何を喜ぶかな。 たぶん、「子供達が選んでくれた」それが一番嬉しいことだろうなと思った。 娘が「パパ、これどうー?」と指さすのは小さいハサミ。 妻がアクセサリーを作るときに小さいハサミを使っているのを見ていたのだ。 ムッチャい

旅するサーカス団

深夜一時の吉野家で一人もぐもぐと牛丼を食べている。 不思議と寂しさはない。数人いたお客さんも気付けばいなくなっている。 疲れ切った肝臓にあさりの味噌汁が染み渡る。 終電を過ぎた駅周りでは車はまばらで静けさがある。 GWを過ぎると京都も人が減り始める。この土地に住む人からすると少しだけ平穏が訪れる。間も無くして膝から崩れ落ちそうな湿気がこの街を覆っていく。 テクテクとタクシーを拾えそうなメイン通りまで歩く。 タバコに火をつけてプカプカと煙を後方に置き去りに歩き去る。 慌ただ

人の夢を笑うな。

10日間という壮大な連休を終えて仕事が始まった。 特に後半の折り返しからは連日深夜まで飲み続ける日々に人生何が起こるかわからない展開を繰り返し、クタクタの内臓と満たされた心で嘔吐することなく全て飲み込むことができた。 浜松の海辺でぼーっと海を眺める時間があった。 片手にビール、片手にタバコ。ひさびさに一人で考える時間がふと生まれる。 知らない町にフラッと足を運ぶ。知り合いが増えていき「お、まっちゃん!」と手を上げてくれたり、なんか知らん人と大盛り上がりしたり。 やはり自然

🔄リロード

完全に休日に飽きている。何が理由かわからないが吹き出物すら出てきた。 退屈のストレスなのかなんなのか。思い出せるストレスといえば楽しみにしていたDAYS GONEがただのお使い退屈ゲーだったことくらいだ。なんなら時折、びびらされるし。 家でゴロゴロするのも、腰が痛くなるレベルになってきたので子供達と散歩に出かける。自転車の空気が抜けていたのでついでに自転車屋さんに立ち寄る。 商店街を歩いて公園で子供たちが遊ぶ。数秒で息子は知らない子と友達になる。すごい才能だ。そういう力って