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🍺ビールに代わる日記🍺

プランナーとして考え続ける日々や経営しながら苦悩する日々をつらつらと書いていきます。読者の質問には全て答えていこうと思っています。 頻度:最低週1回(月4本更新〜) 対象:幅広く…
このマガジンを購読すると時々心が楽になったり、スーパーどうでもいい日記もあるんですが回り回って松倉…
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#自分

【全文公開記事】今日も、生きる。

雨音で目が覚める。 昨夜は22時には就寝し、ぐっすり眠りほうけた。 渋谷でトークイベントを行い、4500円のカプセルホテルで就寝。 朝6時に起きて、7時台の新幹線で京都へ舞い戻り、我らがスタジオのコンコン5周年にギリギリセーフ。酒を飲み、そこでもトークをし、テントサウナに入り、イベント中に昼寝をし、クロージング後、大宮の飲み屋で旧友らと酒を飲み交わし、そこでも眠り、起きてスナックに移動し、2時半までお坊さんたちとカラオケ合戦。ボロボロの体で家につき、そのまま気絶するように就寝

僕らは対話をし続ける。おそらく、死ぬまで永遠に。

「対話」という言葉は割と日常によく出てくる。 「コミュニケーション」というカタカナの方が頻度は高いだろう。 日常に溢れる当たり前の行為にも関わらず、この行為を軽視しがちだ。 今日はそんな対話の話。 slackやメッセンジャー、メールが僕らの対話を加速させた。 人が受け止め切れる以上の物量が日々投げかけられ、昔でいう集中してるのに肩叩かれるような集中の阻害が生まれている。そんなことにも慣れてくると脳みそは学習し、ただ言葉を情報として受け取り既読にしていく。 人間の脳みそはつ

他人の期待に応える必要なんてない

なぜか連続して村田沙耶香さんの「コンビニ人間」と大人計画の「ふくすけ2024」をみた。小説と舞台。ジャンルが違うようで偶然だが、自分を含む多くの人々が作る抑圧された社会の中で生きる人間の話だった。 「コンビニ人間」の主人公は、他の人とは少しズレたまま、そのズレを補正できずに生きてきた大学生がコンビニのバイトに出会い、店員という役割を演じている時だけは、社会の一部として生きていけている実感があり、38歳までバイトを続けながらも地震ではなく周囲のライフステージの違いでまた異端視

続けることは、その人の美学なんだな

滋賀やら丹後やら渋谷を行き来し、その現場現場で仲間たちと何かを作る。バタバタと東京からの終電新幹線に飛び乗って真っ黒な風景を眺めながら心の中で一人ずつ思い出す。 そんなことをしていると、ある共通項が見えてくる。 誰も彼もが「ずっとその行為を続けている」ということ。 諦めず、折れず、いや折れてもまた補強してるんだろうな、僕らの見えないところで。それでもその道をぶらさず歩いてきてる人たちだらけだ。 別にジョブチェンジが悪いとは一切思わない。 むしろ、周りにいる仲間たちは、これ

その言葉の中に君がいない。

友人の会社がイベントを企画しており、久々にライブハウスに行った。 その懐かしい空間に(筆者は大学4年間ずっとバンドをしていた)涙腺が緩むほどの空気が漂っていた。25歳以下のバンドマンたちをみて、確実に僕が音楽をやっていた期間より長い時間、音楽と向き合っているのに心の中ではもっとこうしたらいいああしたらいい、なぜなら自分たちはもっとうまくこうしていたからという感情が芽生えて後半具合が悪くなった。 そう思っている自分に気持ちが悪くなったのだ。 音楽はどれもこれも素晴らしく、爆音

他人のリズムに踊らされるな

決算月につき仕事より経営作業が圧倒的に多い6月。 先日、無事に41歳の誕生日を迎え、本厄に突入。なんだか全然調子がいい。というかバリバリ元気で仕事も順調だ。なんというか、いつこの概念が生まれたのか知らないが、はるか昔に生まれた厄年という概念は当時の日本人の寿命から考えると統計的に色々変化が多かったからなのだろうか。 いまだにTシャツ、ハーフパンツで過ごしているおじさんなんか当時はいなかっただろうし、時代は変わったのだ。もしかするともう少し先に厄年的な大変なことが時差を持って発

老化や劣化じゃなくて磨かれてるんだ

今のプロジェクトメンバーのアー写がいるなと思い、みんなバリバリ各界で活躍してきた人らなので名前で検索すると、僕が出会う前のみんなが出てきて思わず脱線してしまった。当たり前だけど、若い。それと、今の方がもっと良いなって変なレビューをしたり。 歳を重ねるイメージには色んな角度があると思った。 老化・劣化していくというのが一般的なイメージかもしれない。 でも、みんなの過去から今をダイジェストで見ると磨かれていったんだと感じるのだ。歳を重ねるって磨きをかけていくことなんだ。 イン

自分の人生の燃料を知らない

牛乳と各種燃料を販売しているらしきマルモ商店で思わずシャッターを切る。たしかにどちらも燃料だ。休みなく働く間のお散歩で見かけるこういう風景に思わず足を止める。 人によって仕事の過密さはバラバラだ。 他者の大変さは比較しようがない。誰かが体験できたとして、思ったほど松倉忙しくないかもしれないし、一瞬で心と体を壊すことだってあるはずだ。その人独特の重さみたいなものが人生とか責任なのだろうし、それはその人が生きてきた道によって異なる。なので比較するようなものでもない。 例年通り

2週間の地獄と成長

4月の頭から続いた追い込み時期が終わりをつげた。昨日大きなプレゼンを終え、結果を待つのみ。ふぅーと椅子にもたれかかってこの2週間ほどを振り返る。だいぶ心と体を追い込んだ。しかし、向き合うべきテーマだった。どのような結果でも後悔はない。伝えたいことはまっすぐ伝えた。 プレゼンを終えて質疑応答がいくつか。2週間の思考の凝縮を1時間で理解するのは難しいだろうと思う。琴線に触れるかどうか。確かに触れたなと感じたのが一人涙くんでいたことだ。よかった。彼には伝わった。 自分ですら、ま

「決める力」を養う

寒い時期が終わり、春が訪れる頃、だいたい毎年のように「ひとり経営会議」と題して旅に出る。役員は僕だけなので致し方ない。視察しておくべきホテルや宿、レストラン、施設を目掛けて出来るだけ今まで足を踏み入れてない土地に向かうことが多い。 たとえ役員がいたところで決めるのは自分だ。会社じゃなくても人生でも他者から決められたことにあまりいいことはない。社員に相談こそするが、判断材料として決める責任は自分にあるのだ。決めたところでその日に何かが変わるのではなく半年後、一年後、場合よって

生きるってどうしようもなくて、愛おしい

春が来た。ありがとう、ありがとう。と心で感謝しながら軽装に衣替え。もう冷えないでくれよ。 ふと、着替えていると物置だなに忘れていたカメラを取り出す。そういえば、この前「松倉さんのお散歩シリーズの写真めっちゃ好きです」とカメラマンに褒めてもらえて嬉しかったことを思い出す。 これ見れるのかな。 春の陽気に誘われながらも仕事があるので歩いてアトリエに移動。 そういえば自転車どこ置いたっけな。スタジオかな。わからない。 ポケットには最近届いたクリアラミー。かわいい。 なんかやたら

時間貧乏脱出大作戦

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銭湯の先生たち

老人に学ぶべきことの多さに驚いている。僕の倍ほど生きている先輩たちなので当たり前だが、それだけ生きてるからこそ気づけたことや、もう取り返しがつかないことをたくさん教えてくれる。僕は彼らを先生と読んでいる。 平常運転時には週に1回、多忙極まる時には週に最低2回は銭湯にいく。疲れを癒しにいくことが目的であったが、ここのところ別の目的がある。先生たちに会いにいくためだ。 常連たちのルーティンはDNAに刻まれているのか?というくらい正確だ。僕は大体8時か9時台に銭湯に向かうと、毎

理想って凶器かもしれない。

本当は、隠居のように自然あふれる山奥か海辺で静かにアイデアを考え、幾ばくかのお金で暮らしたいと果てしない昔から思っている。そのために努力を重ねるも、不思議とその理想から遠ざかっていくジレンマを感じる。 この仕事は天職である一方、本当にありがたいことにこれは松倉に依頼したいという指名が増える。年々とプロジェクト規模も大きくなる。会議に欠かせない存在となるし、できれば現地で、もしくはスタジオで対面したい。となる。 結果、日本中を移動したり、連日打ち合わせと酒を浴びる日々となっ