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志賀直哉『濠(ほり)端の住まい』読書会 (2023.8.25)

2023.8.25に行った志賀直哉『濠(ほり)端の住まい』読書会 の模様です。

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私も書きました。

潔癖の行きついた先の無慈悲

まず、なぜ志賀先生が松江になんか住んでいたのか? という問題があるが、麻布の実家で親父と喧嘩になり、小説家として生計を立てられる目処がついたため、大森に下宿して創作活動に専念していたが、次第に創作に行き詰まり、ノイローゼ気味になり、東京を離れたらしい。

夏目漱石が朝日新聞に連載している 『こころ』の後の連載枠を、志賀君にと推薦され、志賀先生本人も、連載小説を書こうともがいた。しかし、うまくいかずに、結局、連載を辞退した。苦しい時期だったそうだ。その経緯は阿川弘之の『志賀直哉 上』(新潮文庫P.237「松江」)に詳しい。

志賀先生の潔癖な性分では、想像上の人物をこらえて、物語をうまく回していくことは、できないだろうと思う。なるべく嘘を排除して、自分の肉体的感覚に基づいた文章を書くとすれば、志賀先生のような観察の細かい、あるいは自分の気持ちの移り変わりが、細かに叙述されている一人称の文章にならざるを得ない。

想像上でも猫を助けて、大工夫婦と喧嘩でもすればいいじゃないかと思うが、そんなことしてまで、創作のネタをひねり出すという山っ気は、志賀先生にはない。

太宰治だったら、巧妙に嘘を混ぜるだろう。バラを売りに来た農婦がいて、卑しい感じがしたけど、気の毒だから買ってやったら、でもやっぱり綺麗なバラが咲いて、


(引用はじめ)

神は、在る。きっと在る。人間到るところ青山。見るべし、無抵抗主義の成果を。私は自分を、幸福な男だと思った。悲しみは、金を出しても買え、という言葉が在る。青空は牢屋の窓から見た時に最も美しい、とか。感謝である。この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った。
(『善蔵を思う』 最終部)

(引用おわり)


といった具合の浪花節で終わる。

(引用はじめ)

私はそれを黙って観ているより仕方がない。それを私は自分の無慈悲からとは考えなかった。若し無慈悲とすれば神の無慈悲がこう云うものであろうと思えた。神でもない人間。ーー自由意志を持った人間が神のように無慈悲にそれを傍観していた点で或いは非難されれば非難されるのだが、私としてはその成行きが不可抗な運命のように感ぜられ、一指を加える気もしなかった。(『濠端の住まい』 最終部)

(引用おわり)

潔癖の行きついた先の無慈悲。

志賀先生にとって創作は生業ではなかった。太宰にとってはまず生業だった。ここに両者の平行線がある。

(おわり)

読書会の模様です。


お志有難うございます。