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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』読書会 (2022.2.18)


2022.2.18に行ったヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』読書会のもようです。

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私も書きました。


マチズモの甘ったるい感傷
 

ヘミングウェイのようにマチズモ(男性優位主義)溢れる作家がいる。先日亡くなった石原慎太郎氏もそうだった。それ以前にも、マチズモあふれる開高健がいて、その後にも村上龍氏がいる。私は同性として、大自然の中にロマンを求める男性作家のマッチョな身振りには、憧れを感じないわけないでもない。ただ、演じられたマッチョな男性像と、その奥に秘められたその子どものような純粋さというのは、やはり、それを理解する素質を持った女性のロマンティックな視線がなければ、滑稽かつ虚しいのである。マチズモのある人にありがちな、チラチラ女性を気にするスケベ心が、なんだか哀しいのである。セイ! セイ!

私生活を全て小説の創作の題材にするという営みの苦しさを感じる作品だった。俺はクリエイティブな人間だから、私生活なんかないんだと言わんばかりの、主人公のハリーの言い訳が、見苦しい。

赤十字活動を通じての戦争体験、パリの下町の貧困生活、フロリダのブルジョワの贅沢な生活への感情的反発、死の間際に、そういった想念が走馬灯のようにぐるぐると頭をめぐり、ハリーは、なんだか自分自身に腹を立てているのである。

パリ・コミューンの末裔の政治的潔癖を描きながら、その対称であるアメリカのブルジョワに苛立ちを覚えていてそれでも、軽蔑するブルジョワであるヘレンの庇護のもとに生きる妥協をして、そしてやっぱり、ハングリーさを失って、徐々に創作意欲を枯らしてしまったことに、うだうだとテントの中で葛藤している。

アフリカの荒野でのハンティングにはリスクが付きまとう。なぜ、リスクを冒すのか?

傍観者としてのヘレンがいるからだろう。エロスとタナトスを弄ぶのにも、女性の視線がなければ成立しない。この男のリスクとは、所詮、確率分布である。すべては計算に入っており、死にゆく自分を冷静に演出できるのである。こういう男は、サイに突かれたり、カバに噛まれたり、飛行機の墜落したり、といった不意の死は訪れない。徐々に蝕まれて死んでいく。
 
生命の維持と種の保存が、私生活の核心であるとすれば、この主人公は、そういう私生活を創作において切り売りしながら、暮らしている。そのうえで、その作為に満ちた私生活を憎んでいるのである。これは矛盾である。
ブルジョワ的私生活において冒険のリスクを負うのは、私生活の切り売りに対する復讐というアリバイ作りである。

自分の生命の維持への無関心を装うことで、自身の売文業の作為に溢れた生活の虚偽を、裁いているのである。裁くことで、この男は、怒りっぽくなる。怒るというのは、カラマーゾフの兄弟のフョードルと同じで、結局、気持ちいいから怒っているのである。

壊死した足が、インポテンツの比喩であり、二人づれの自転車に乗った警官のような死神が、ヘレンの夢に出てきた亡くなった夫と飛行機事故で死んだらしい娘であるかもしれないという相関関係のほのめかしが、よく計算されている。ヘレンがどこか精神的に自分を軽蔑して、非難しているのではないかという勘ぐりは、この男をヘレンに感情的な八つ当たりに駆り立てるが、八つ当たりによって、彼は、この女を救っている気なのである。面倒くさいのである。

資産家の女性の支援と尊敬の中で生きることで、甘やかされてしまった自身に復讐しているのであるが、これは、共依存関係である。この女とサバンナに来たせいで死んだんだ、と、暗に、非難しているのであるが、それもこれも、期待の地平の出来事だ。そうでなければ、二人の死神を彼女の夫や娘との相関関係の中において描くということはしないだろう。干し草を取りに来た老人と、彼を射殺した少年の関係も、その相関関係のうちに含まれるであろうから、思い出したのではないかとも読める。

キリマンジャロが好きなのではなく、キリマンジャロぽいものに自分の孤高の後ろ姿を投影しているのである。一方でこの男は、その孤高の後ろ姿を、羨望の眼差しで眺める教養深い女が必要なのである。そして、なおかつその状況に腹をたてることで、自意識にケリをつけているのである。こういうレイヤーの重なったやっぱり面倒くさい男である。

作家になるような人は、世間と自分に折り合いをつけるために書いているのだろう。折り合いのつけ方には、色々なレイヤーがあり、そのプロセスが、魅力的であるが、自分の生命への徹底的な無関心を装うというのは、畢竟、やせ我慢があるような気がした。キリマンジャロを夢見ながら死んでいくというのは、私には、感傷的すぎて、少々鼻についた。

この男は、今際の際におよんで、セルフネグレクトをこじらせ、ますます自暴自棄の破滅にのめり込むのであるが、それが南国の果物が腐ったような甘ったるい感傷を臭わせている。

(おわり)

読書会の模様です。

お志有難うございます。