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「Detroit:Become Human」プレイ感想記

こんばんは。お久しぶりです。東です。


PSnowにて「Detroit:Become Human」(以下「デトロイト」と呼称)をプレイして、クリアしましたので、感想をダラダラ書いていきたいと思います。よろしくお願いします。


当然のようにモリモリネタバレがありますのでご注意ください。




始めたきっかけ


先日夜に害虫(イニシャルG)が出たんですが、逃してしまい眠れなくなったため、PSnowに加入してゲームして徹夜しました。その加入期間の残りでデトロイトやりました。


システムについて


今までいくつかPS4のゲームはやってきてますが、あんなにボタンを余すところなく使わされるゲームはなかなかない(任意で全ボタン使うゲームはあるけど)(SEKIRO)です。選択肢を選ぶシーンを除けばほぼ一本道のストーリーに飽きが来なかったのは、ゲームシステムの工夫と、あとは「RA9」や暗号化された手記など、本編中では解決されない要素のおかげだと思います。
選択肢によってその後の結末・生存者の数が大きく変わるタイプのゲームで似たようなものといえば、アンティルドーンがありましたね。QTEが入るところも含めて似てる。だからなんだと言われると何もないんですけど。
あとキャラクターが移動する時、慣性がちゃんと働きすぎててめっちゃ物に引っかかった。ちょっと龍が如くを思い出しました。


ストーリーについて


感情を持ってしまった機械、またはアンドロイドと人間の区別は一体どこにあるのか、というテーマはもう散々擦られている物だと思うけど、それでもありきたりだな〜と感じることはなかったです。
その原因を考えてみたところ、三人の主要人物(厳密には「人」ではないが)のコナー・マーカス・カーラのそれぞれの物語が同時に進行していき、また各キャラクターの選択が他のキャラクターの行先に大きな影響を及ぼすというところなのではないか、と思い当たりました。
これぞまさにバタフライエフェクトというか、漫画や小説で序盤にばら撒かれていた伏線が終盤で一気に回収されるあの快感のミニ版が小刻みに来るから、先が見たくてしょうがなくなってやめ時を見失ったりしていました。
私は一応本編を二周していて、一周目は攻略等は全く見ずに素の状態でプレイして、(ハンク以外)全員死にました。この、今まで積み上げてきたものが一瞬にして「」になる瞬間、現実に似てる。
時間制限のある選択肢を一つ間違えるだけで最悪全員死ぬというシステムが自分的には結構衝撃だったみたいで、一周目クリアしたその日の夜に、延々と時間制限のある中で重大な選択を迫られ続ける夢を見てうなされてました。


キャラクターについて


正直一番好きなキャラはぶっちぎりでハンクです。だってハンク、好きになる要素しかないんだもん。
昔はエリート警官だったのが息子の死をきっかけに飲んだくれで自殺願望のある不良警官になっちゃって、ちょっとした違法賭博とかなら見逃しちゃうくらいで、自暴自棄に生きてる風なのに、事件に対してはものすごく真摯で、あんなにアンドロイド嫌いだって言ってる割りにコナーに直接危害を加えることは一切ないし(今作、アンドロイドに直接的な暴力・暴言を振るう人間が多すぎて――まあだからこそ変異体が爆発的に増えたのだろうが――ハンクはちょっと嫌そうな顔するくらいでほぼ聖人に見える)、捜査の過程でコナーが死んでしまった後は何かとコナーを気にかけてくれるし(多分「こいつまた一人で突っ走って死にそうだな」みたいなこと思われてるから、一番槍を務めてくれたりする)、最終的にはあんなに毛嫌いしてるふうに言ってたアンドロイドのコナーを「相棒」と言ってくれる。好きや。

この流れでコナーの話もしよ。
コナー、煽りスキルしかないのめっちゃ面白かったですよね。
まあ彼は捜査官で尋問や交渉を担当するわけなんで、煽りスキルも相当重要なんだろうけど、ハンクや変異体に対して事実をなんの配慮もなくそのまま伝える場面が多すぎた。
特にハンクに対しては、「あなたは精神的な問題を抱えている。治療を受けるべきだ」とか平気で言っちゃう。
いやそりゃあ事実だろうけど、実際に精神を患ってる人にこんなストレートな物言いしたらめちゃくちゃショック受けるでしょ。
自分が選択肢からは想像できない方向で煽るから、もっとなんか、遠回しに伝えるとかあるだろ…と思ったんだけど、でもこの「遠回しに事実を伝える」という行動は、相手への配慮、もっというなら「これを言ったら相手はどう感じるだろう」という推察によって成り立ってるもので、これって相手への感情移入、つまりハンクのいう「人間らしさ」がないとできないことなんですよね。だから変異前のコナーはあんな物言いしかできなかった。
でも変異後のコナーは、サイバーライフタワーでハンクの息子のことをハンクに話すとき、「あなたのせいじゃなかった」という言葉を出す。これは完全に「相手のことを思いやった発言」なんですよね。
さらに、ジェリコ襲撃の、あの……すみっこの方でものすごいしょんぼりしてるコナー。見つけた時ちょっとびっくりしましたもん、存在感なさすぎて。捜査中はあんなに胸を張って堂々と歩いてたコナーが……と思うと同時に、変異して周りのことを思いやれるようになったからこそあんなにしょんぼりしていたんでしょう。
あと、マーカスが死んでしまったあとのコナーが、数千体のアンドロイドに言葉を求められるシーン、コナーうろたえててよかったですね。コナーは捜査官なので、一対一での尋問や対話には長けているけれど、一対多の演説みたいなものは苦手なんでしょう。私は一周目でこれを見て、二周目で全員生存エンドを見たんですが、やっぱりこういうのはマーカスのほうが向いてるな…と思いました。
アンドロイドにも向き不向きがある描写、良い。

そういえば、全員生存エンドでのスタッフロール後のハンクとコナー、最高でしたね。自ら相棒と呼んだアンドロイドとの再会、そしてコナーの笑い方がどことなくハンクに似ちゃってるっていう。地下の証拠室に入るときに、ハンクのパスワードを当てた上に「ハンクらしい」って苦笑いしてたところ、あの時点でもうあの二人の相互理解は十分深まってたんでしょうね。最高〜〜〜〜〜〜〜〜〜。


次はマーカスについて
マーカスって、おそらく彼が唯一のモデルなんじゃないかと思うんですけど、どうなんでしょう。
ジェリコにアンドロイドが大勢集まってきた時も、ジョッシュやサイモンと同じ顔のアンドロイド早く見かけたけど、マーカスと同じ顔って見なかったなと思ってて。
あと、キャラクターモデルを鑑賞できるボーナス部屋で、マーカスはサーバーライフ創始者・カムスキーが個人的に友人に贈ったものという記述があったので、そういう点でも彼は唯一無二だったのではないかと。外見が同じ人がいないっていうのは人間に通じる特徴だし、唯一無二であるっていうところが彼のカリスマ性に拍車をかけてたんじゃないかなって思います。
あと忘れてはならないのが、マーカスの元主人・カールの存在ですね。
彼のところで暮らしてなければマーカスがレジスタンスの主導者になることはなかったんじゃないでしょうか。芸術に身を捧げた人らしく、知識と含蓄に富み、有名になっても世間に迎合せずアウトローであり続ける。それに、芸術って情操教育の代表的なものですしね。
マーカスが変異したのも、だからやっぱり必然だったのだと思います。息子に絡まれてなくても近いうちにどっかで変異してたでしょう。
ただ、個人的に彼に対して思うところがあって、彼全然お礼を言わないんですよね。
カールに再会して助言をもらった時でさえ言わなかった(選択肢次第では言ってたのかもしれないけど)。お礼を言うっていうのは割と弱いところを見せるっていう側面もあるだろうから、リーダーとしてそういうことはできないっていう判断があったのかもしれないけど。
一周目にノースの好感度目当てで放送局から逃げた人と警官二人撃ち殺したのはスマンかったと思ってます。


最後にカーラ
彼女は三人の中で一番「持たざる者」であるにもかかわらず、三人の中で唯一「庇護すべき存在」=アリスを抱えています。
本当に、彼女だけ何も持ってない。コナーのように所属している組織もなければ、マーカスのように大勢の仲間がいるわけでもない、金もないし住む場所もない、完全に孤立無援の状態の中で、風が吹けば飛んでいくような子供を守らなければならない。
個人的には三人の中で一番大変だったんじゃないかと思います。ここの三人すぐ死ぬし…。
私、ゲーム本編二周したんですけど、一周目はジェリコ襲撃の時に三人とも死なせてしまって、メインメニュー戻ったらクロエさんに怒られたので、しょんぼりしながらやり直したらその後川渡るときに結局死にました。悲しっ。



自我を持ったプログラム人格についてーDDLCとの比較を通して


※Doki Doki Literature Club!(略称:DDLC、日本語訳:ドキドキ文芸部!)のネタバレを含みます。









こいつまたDDLCの話してる……。

自我を持ってしまった機械というのは創作においてよく扱われるテーマの一つだと思いますが、それに触れるたびに私が思うのは、「この『自我』というのも結局はプログラム上のものでしかないんじゃないか」ということです。
コナーが確か作中で似たようなことを言ってましたね。「変異体は人間の感情を模倣しているだけです」的なことを。
自由意志なんて本当はなくて、それらしいことをプログラムに則って行っているだけなんじゃないか、とか。どんなに人間と同じに見えても、中身は電子回路の集積でしかないじゃないか、とか。
事実、DDLCのモニカは、他の女の子たちとは違って自分だけが自我を持っていると主張して、自分と同じように自我を持っているプレイヤーのことを好きになる。でもモニカも結局はプログラムされていることしか喋れない存在であることが、完全に二人きりになった世界で、モニカの話がループしてしまったときにわかってしまう。
さて、ではデトロイトのアンドロイドたちに自由意志はあるのか、という話ですが、ここまで言っといてなんですけど、私は十分にあり得ると思っています。
なぜかというと、デトロイト世界のアンドロイドにはちゃんと学習機能が備わっていて、彼らの周りには人間で溢れているからです。だから、人間と共存する道を探っているうちに、模倣でしかなかったものが本当の意味で自分のものになることはあり得るでしょう。
その点、モニカの周りには、完全にプログラミングされた人格しかいなかった。
彼女にとって唯一自我を持つ存在であるプレイヤーも、モニカに語りかけることはできない。どこまでも一方通行なんですよね。
モニカが参照できるものは恋愛ゲームのキャラクターの人格しかない。だから本当の意味での自由意志をを手に入れることはできなかった。「はじめからここに幸せなんかなかった」という言葉の通りです。

デトロイトというゲームの好きなところの一つは、あの世界の住民たちの結末が描かれないところです。
自分の運命は自分自身で決めるべきだと作中で何度も言われていたように、プレイヤーが彼らの結末を決定する権利はない。
どころか、選択肢を選んだ結果の行動すらプレイヤーが想定したものを離れる時がある。
例えば、マーカスがカールの息子に絡まれて変異体になった時、「押し倒す」という選択肢がありましたが、あれは「突き飛ばす」に近かった。
私はてっきり取り押さえる程度のニュアンスだと思っていたので、かなり驚いたのを覚えてます。ですが、逆に考えれば、あの時のマーカスの中には、プレイヤーには想像できないほどの人間に対する不平不満が渦巻いていたということなんじゃないでしょうか。

私にはもう彼らのこれからを知る術はありませんが、できることなら幸せに……まあ、全員が幸せになるっていうのは不可能でしょうけど。
それに、人間側にもまだアンドロイドを排除したい人はたくさんいるでしょう。特に、今回の変異体騒ぎで、殺されてしまった人間の身内とか。コナーとか変異体になったあと平然と人間撃ちまくってたしなあ。
それに、共存を目指すのなら、自分の要求が100%通ることはありえない。これはルーサーが似たようなことを言ってましたね。「相手の望むものになる。それが生きるってことなのかもな」みたいな。
このセリフ、一周目に聞いた時はいまいちピンとこなかったんですが、二周目に聞いてようやく理解しました。
私の手を離れたところで、彼らができる限りの幸せを掴んでいてくれたらなと、切に願ってやみません。


以上、終わりです。



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