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自分を表現し続ける〜自由を求めた美術家〜

今年3月に107歳で他界された美術家の篠田桃紅さん。

どこの美術団体にも所属せず、比較的自由に仕事をしてきた。しかし歳をとるにつれ、自由の範囲は無限に広がったように思います。

この方の「自由」とは、

自らに由(よ)る。私は自らに由って生きていると実感しています。自らに由っていますから、孤独で寂しいという思いはありません。むしろ、気楽で平和です。

と言われています。
しかし、本当に生涯自由な人は、「自由」という概念すら出てこない。当然、あの時代を、女性が、独身で、美術家という仕事をしていくには、自由を制限するできごとがあったと想像することは難しくないでしょう。

そのような置かれた状況を想像すると上記の言葉が、「それでも自分を表現し続ける」ことの大切さを謳っているように感じます。

103歳の時に書かれた『103歳になってわかったこと』

初めての書展で、その時の評価は、書道界の人から、才気煥発だけれども、根なし草だと批判されました。戦前は、平安朝の名筆を、下地にして書くことが主流だったのですが、私はそれをしませんでした。名筆を写さなかったので、根がない、と嘲笑されました。
手厳しい批判を受けて、私は、根とは何かを考え、日記に次のように記述しました。
「私の根は、私が今まで触れたすべてでできている。家にある軸、額、書、紀元前の甲骨文字、古今集などあらゆる古典。また文字でないものでも、あらゆる影響、感動、拒絶すら、なんでもが私の根になっている・・・」
植物の根は、地中、水中で、水分と養分を吸収して、植物を支えます。人もまた、置かれた境遇の中で、つねに、さまざま知識、経験などの養分を吸収して、自信を形成します。平安朝の名筆は、特に書家にとって、たいせつな養分の一つですが、それだけが根ではありません。
養分をいかに吸収し、形成するかはその人次第です。私は、自分の根がつくり出す、かたちや線を可視のものにして見たい、と思いました。
あれから80年近くが経ちますが、根は、他者にあるのではなく、その人自身の一切だと思っています。

自由を求めるといっても、篠田さんがこれまで評価されたのは、社会内に存在しているからだ。人間はほぼ例外なく社会外では生きられない。

この文章から自己表現の代名詞でもある美術界においても、なんらかの束縛、固定概念があったと推測できる。どの世界でも形成されやすい制約。そこから解放されるものの考え方を学ばさせていただいた。

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