家が火事になった話

 小学校1年生の時に家が火事になった。
というと、皆に驚かれる。それから、「そんなことあんまり誰にでも言うもんじゃないよ」と忠告してくれる人もいた。なぜ言わないほうがいいのかは教えてくれなかった。

 小学校1年生の夏休み前だったと思う。深夜に家が火事になった。うちは父と母、それに私と2つ下の弟の4人家族で、当時たくさんあった大きな団地のとある棟の2階の部屋に住んでいた。団地の中には幼稚園と小学校があって、団地の子はみんなそこに通っていた。
 その晩のおかずは天ぷらだった。父は仕事人間でいつも帰りが遅く、私たち子どもがとっくに寝静まったころに帰ってくる。でも母はそんな父の帰りを毎日寝ないで待っていて、父が帰宅したらちゃんとできたてのご飯を出す。その日もそんな風にして、父の晩御飯のために母が天ぷらを揚げていたのだった。具体的にどんなことが起きたのかはわからないけれど、それでうちは火事になった。カーテンに火が飛んだ?燃え移った?みたいなことだったらしい。

 もちろん深夜なので私と弟は別室でぐうぐう眠っていて、そこに父親がふすまをバンっと開けてずんっと入ってきた。私はその気配と音でぼんやりと目を開けた。父の背後から光が差していたから、表情はあまり見えなかった。父は片方の肩に私をかつぎ、もう片方に弟をかついで持ち上げた。弟はたぶん、そこに来てやっと起きたと思う。なんだかわからないうちに私たち姉弟は父の両肩にかつがれ、玄関へ運搬された。その途中で居間の方に目をやったら、一面が見たこともないまばゆいオレンジ色だったことを覚えている。

 そのあとの記憶があまりなくて、外から自分の家のベランダに水をバンバンかけているところをぼーっと突っ立って眺めたことと、そのあと夏休み中ずっと祖父母の家にいたことしかわからない。
 祖父母の家で火事の話をした記憶もない。もともとうちは両親共働きで、長い休みがくると子供は父母双方の実家にリレー形式で長期滞在するスタイルが定着していたから、夏休みになっておばあちゃんちに長くいることにあまり違和感も感じていなかった。
 夏休みが明けて家に戻ったら、元のように住める家になっていた。おそらくその状態に戻すのには結構な苦労があったはずで、しかも集合住宅なので上下両隣のおうちにもなにかしらの迷惑をかけているはずで、両親は相当大変だっただろうと、今になってようやく事の重大さが分かる気がする。

 夏休みが終わってからもしばらく学校を休んだように思う。2学期が始まってしばらくしてから久しぶりに学校に行ったときに、女の先生から「おうちのことは大変だったね、でも学校ではそんなこと気にせず普通にして大丈夫だからね」みたいなことを言われたような記憶がある。それで、自分が客観的に見て「大変だった」とされる状況にあったことを認識した。

 小学校、中学校、高校、まで実家のある福岡で過ごした。大学進学を機に上京し、大学でできた友達に「小学校のとき家が火事になった」と話をしたら、ものすごく驚かれた。その時に初めて、家が火事になったことがある人は珍しいのだ、と気づいた。
 当たり前なんだけれど、自分としては「小学1年生の時に家が火事になる」人生しか送ってきていないから、それを基準に物事を判断していたんですね。未熟だった。それで、大学でも、社会人になってからも、誰かに話すときは少し考えるようになった。当たり前のことじゃないんだ、これはみんなが経験することではないんだ、と。

 極端な例だけどこの話の教訓は「人はみんな自分の経験をベースに生きている」ということだ。私の人生には「家が火事になる」経験があって、それは誰もが通る道ではなかった。でも「これって誰もが通る道だよね」みたいなのももちろん、ある。夏休みの宿題を最終日までためてつらい思いをするとか、スーパーでお母さんと思って後ろから抱きついたら知らないおばさんだったとか。

 記憶があいまいだけど断片的にすごく強い印象に残っているのが、父の肩と背中の大きさ(火事場の馬鹿力ってやつか)、玄関からのぞき込んだ居間のオレンジ色だ。だから私にとって火の色はオレンジ色なのだ。金曜ロードショーのオープニングの映像みたいな、黄金色とオレンジ色の中間みたいなきれいな色のもやもやが一面に広がっていて、事情が良く分かっていなかった私はすごく「きれいだな」と一瞬だけど思ったのだ。
 あのとき誰もケガがなく、家財が燃えただけだったのは、救いだったと思う。もし家族か、隣近所の誰かがケガをしたり、万が一亡くなったりしていたら、それこそ人に話すことなんてできなかっただろう。

 私自身は家で揚げ物はしない。あの火事のことを意識しているつもりもないし、母から何か言われたわけでもないし、特別な理由はないと思っていたけれど、もしかするとあの火事のことが影響しているのだろうか。ガスの炎やたき火や焼き肉の炭火なんかをぼーっと見ていて、あのオレンジをふと思い出すときがある。自分の中では、悲しい思い出でもつらい思い出でもなく、「ただ人生で起こったこと」としてあるのだけれど、同時に「火は怖い」という気持ちもなんとなく自分の根底にあって、それはやはり火事にあったことが大きいのかなと思う。

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