もし紫上が不器量だったなら~平安の養育状況シミュレーション~

「時々、若紫は源氏の目にとまるほどの美少女でなければ、どんな人生を歩んでいたのか考える。
または若紫と同じ境遇の少年だとしたら、どんな人生だっただろうかと。」

先日、このようなツイートをお見かけしました。正直、胸を衝かれました。紫上は幸せだったのか云々、正妻だったのか否か、そういう議論は尽くされてきた訳ですが、この視点は抜け落ちていた。そう全ては「あまた見えつる子共に似るべうもあらず」という、紫上の美貌を当然のこととして進んでいたからです。いえ、紫上だけではありません。うつほ物語の俊蔭女、落窪物語のヒロイン女君、みな「不運で貧しくみすぼらしい姿だけれども、きわだった美貌」であったからこそ、【王子さま】に格別に愛され、また読者も納得して読み進んだのです。では、不細工だったら、どうだったのか。

もし紫上が男児だったら?

「紫上がもしブスだったら」を語る前に、男児だった場合を片づけておきましょう。
このケースは、史実から推測可能です。平安中期に実在した貴族、藤原兼家・道長などを見てみましょう。彼らには妻が複数いましたが、本妻(子を男女共に生み、特に女児がのちに妃となった妻)との間の男児は、父の引きによりずんずん出世しました。一方、本妻でない妻が生んだ男児は、出世が遅れたり出家したりしています。紫上の場合、父の本妻には男児も複数いますので、彼らより下位の息子と位置づけられ、おぼつかない官人人生を歩んだことでしょう。出家せざるを得なかったかもしれません。

本題:もし紫上の容姿がフツーだったら

さて本題です。一般的な平安物語のヒロインたちは、「ひとめで惚れた!一生守るよ!」なんて言ってもらえるほど、図抜けた美貌の持ち主でした。ですからシンデレラ・ストーリーとなった訳です。では紫上がブチャイクだった場合、いったい何が起きたでしょうか。
…光源氏は小柴垣から垣間見して、「尼さんと女児がいるな、身寄りがないらしい。世は無常だなあ」と、しみじみしつつ素通りしたはずです。では。そのあと紫ちゃんはどうなるか。

コース1:玉鬘or近江君コース

平安の結婚、夫と妻は割とあっさり切れます。現代の彼氏彼女に近い感覚ですね、「家族」っぽさがあまりありません。子供が複数生まれるとか、男性主導で同居するとかしてやっと、今でいう「家族」になる感じです。
『源氏物語』でも、頭中将が「娘がいたんだけどね、貧しい暮らしをしてるだろうな」と語ったり、史実でも『蜻蛉日記』で筆者の夫・兼家が、別の女性との間にもうけた女児と音信不通だったりします。それくらい淡い関係だったんですね。子供は基本、母の家のメンバーと見なされていたのです。

という訳で、紫ちゃんの行く末「あり得たバージョンPart 1」は、【母の親族が乳母のもとで何となく育つ】です。
これは『源氏物語』に出てきた玉鬘、そして近江君という、二人の女性の例から推測できます。両人とも貴人の落し胤で、母がすでに亡い。つまり紫ちゃんと同じ状況です。玉鬘は母の乳母のもとで、近江は母とその親族の家で、実父に知られぬまま成長しました。
『源氏物語』はフィクションなので、玉鬘も近江も意外とラッキーで、実父に認知してもらえました(その後の明暗は分かれましたが)。しかし現実の場合、玉鬘が「大夫の監」という豪族に言い寄られたように、育った先で何となく縁づき、貴族世界から消えていったことでしょう。

コース2:父宮に引き取られる

紫ちゃんの行く末「あり得たバージョンPart 2」は、【実の父とその本妻が住む家で育てられる】です。「若紫」の巻の本文だと、実父の宮さまも引き取りの意向を見せ、本妻さんもOKを出してますので、かなりあり得たシチュエイションです。…しかしこれ、安堵できる道では全然ないんですね。

継子・継母の場合、何が起こる?

継母のもとで育つ子供は、どう扱われるか。『落窪物語』を見てみましょう。この話、絵に描いたような「継子イジメ」譚です。母亡き子であるヒロインは、姫君未満・使用人以上というポジションを与えられ、縫物にこきつかわれて暮らします。
ここまで露骨なイジメはあまりなかったでしょうが、注目すべきは、この物語の中でヒロインの父が言うセリフです。
「落窪君は、受領(中級貴族)あたりが勝手にデキたのなら、気づかぬふりで許してやろうと思う」
父上は中納言という上流貴族で、「悪い人ではないが老い呆けて、妻の言をうのみにするお人好し」というキャラ設定です。つまり、継母のような「コテコテの悪役」キャラではないんですね。ですから彼の発言・発想は、当時の人の一般的思考に近いと思われます。
またもう一例、『源氏物語』にも参考になる話があります。蜻蛉式部卿宮の姫君が、父の死後、身分低い男に言い寄られた際、冷淡な継母がアッサリOKしてしまう、という逸話です。
当時の結婚は、婿取りという形式で、新婦方の出費が多大でした。ですから正式に晴れ晴れと結婚できるのは、両親そろってバックアップしてくれる、もしくは片親でも熱烈に後見してくれる、そういう姫君だけだったんですね。

したがいまして、紫ちゃんが父宮に引き取られた場合、上記のようなルートをたどったと推定できます。つまり、家の中で最下位姫君として家事を押しつけられ、いずれ出入りの男と縁づいて、という感じです。子を産んだらその子も家内の最下位に…と、召使い階級に降下していったことでしょう。

実の父がよくしてくれるかも?

平安の親は子供差別が激しくて、「可愛がる子」と「そうでない子」という表現が頻出します。今のような学校などもない時代ですから、可愛がられる子は親から勉強や楽器スキルを授けられ、可愛がられない子は無教育に育ちます。原典の紫ちゃんは抜群の美少女ですので、父宮も「可愛いねえ」とデレデレしていますが、…美女じゃなかったら、「おぼえ」てもらえないかもしれません。ただでさえ、紫を可愛がると本妻がヘソを曲げること確実という境遇です。つまりあまり愛してもらえず、従って本や絵を見ることもできず、書道も音楽も習えない、そういう育ちになったと思われます。

もし紫にワンチャンあるとしたら?!

平安社会は、「思う人(親など後見人)に先立たれた不運」という表現が出てくるくらい、後見人による教育や出世バックアップが大きな意味を持つ世界です。つまり紫ちゃんは、母・祖父母を亡くしている時点で、「人生、詰み」に近い訳です。では何か、起死回生の手はないのか…? 実はあります。女児だということです。
平安VIPたちの政権争奪戦は、「天皇の後見人になる」ことで勝敗が決まりました(平安社会における後見人の重さがわかりますね)。天皇の祖父やおじは天皇の庇護者として政治を指揮できる立場でしたし、また制度的にも重いポジションや高収入がくっついてきます。なので天皇の身内になる者、天下を制す! VIPたちは競って娘を後宮に入れ、跡取り皇子を産ませようとしました。したがって、娘なら父に欲しがられ、大事に育ててもらえる率が高かったのです。

ここでも運がない紫ちゃん

ただし! 紫ちゃん、ここでも不運なのです。なんと【異母姉妹が多い】のです。
それでも年が違えば、まだマシだったのですがね。異母姉たちと適齢期がずれていれば、(姉娘たちはみな嫁がせてしまったが、紫が成長したら〇〇親王にめあわせよう)という胸算用が働いて、大事にしてもらえたかもしれません。しかしあいにく、異母姉妹たちは同年配で、しかも本妻さんの子供たちだったのです。なので本妻さんの目から見れば、紫は将来、自分の娘たちと良縁を奪い合うライバル。…という次第で紫ちゃん、実父に引き取られても「お先真っ暗」です。

継母は、こんな行動に出るかもしれなかった!

落窪君の継母は、典型的な悪役キャラですので、落窪君を好色な老人に犯させることで、その良縁を妨害しようとしました。そこまでヒドイ扱いは実際には、そうそう無かったとは思いますが、実子のライバルになりそうな継子は、きっちり蹴落としておきたくなりますよね。そういう場合、平安社会にありそうな手が「実子の女房にしてしまう」です。
女房とは、貴人に仕える侍女、つまり使用人です。使用人なので身分が低い…訳ではなく、逆です。平安社会で貴人の傍に寄れるのは、身分がなりに高い人だけなのです。ですから平安文学で「女房」と呼ばれ、貴人の周りで働いている女性たちは、自宅に帰れば「奥様」「姫様」であるレッキとした貴族。特に「上臈」と呼ばれる上位の女房たちは、主君の姪、おば、従妹など、近い親族に当たる女性たちでした。
血縁なのに片方は「主人」、片方は「家来」。それが平安の貴人と上臈女房の関係です。当然、女房の方の立場に喜んでなる姫君はいません。「女房堕ち」するのは、訳アリお嬢さまです。多くは親を早くに亡くして零落し、貧苦に耐えかねて、というパターンです。
『源氏物語』に出てくる赤鼻で有名な末摘花の姫君。彼女も叔母から「たまにはウチの子に会いにきてくださいよ」と言われていました。現代人には、ただの親戚づきあいに見えるセリフですが、平安にはコレ、女房化への第一歩です。貴族女性はめったに外出しないご時世ですから、自邸に誘い込んでしまえば袋のネズミ、なし崩し的に「家来」にしてしまえる訳です。ましてや、行くあてのない紫ちゃんなど、身の振り方は本妻さんの胸先三寸。実娘たちのライバルにさせないためにも、「女房にしてしまえ」というのはあり得た道筋です。

実は「近江君コース」と同じ「常陸」の道

上の方で、紫ちゃんの「あり得たバージョンPart 1」として、【母の親族が乳母のもとで何となく育つ】を挙げました。この道筋をたどった近江ちゃんは、その後、異母姉である弘徽殿女御の女房になっています。彼女は明るい性格(考えなしともいう^^;)なので、「御便器持ちだって致します!」と勤務しましたが、ふつうの姫君なら、もっと心中複雑だったことでしょう。
その実例が『源氏』の常陸殿です。彼女は、おばに当たる人の女房となり(上臈)、おば亡きあと、その夫・八宮のお手つきになりました。しかし子を産んでも認知してもらえず、逆に面倒がられ遠ざけられてしまいます。おばの遺児たちは「八宮の姫君」として愛育されているにもかかわらずです。常陸殿はこの件を「私だって血筋はおばと同等なのに、女房であるばかりに」と口惜しがっています。
史実でも血筋は高貴な姫君が、女房に出た悲話が多々あります。紫ちゃんも父宮の家で肩身を狭くして暮らしながら、いつしか上臈女房になっていた、そんな道もあり得たことでしょう。姉の夫の手がついたかもしれません。

作者が選んだ出来すぎワールド

以上、光源氏にスルーされた場合の、紫ちゃんのその後をシミュレーションしてみました。いずれにしろ、先行きかなり暗かったことがおわかりいただけたと思います。臨終まぎわのお祖母さんが光源氏に、「時々通うだけでも、妻と数える中に入れてやってください」と言ったのも無理もない、絶望的状況なのです。…結婚させたからって、保障はまったくないんですけれどもね。平安男性の妻ポイ捨てぶりや、警察なんてない社会の無法度合いを思うと、『今昔物語』の「六の宮の姫君」のように、ホームレスになって困窮死でも驚きません。
ただ、そこはそれ、『源氏』はファンタジーですので、そんな平安のリアルは書きませんでした。もっと夢々しく、紫ちゃんは絶世の美貌に生まれつき、【王子さま】に大事大事にかしずかれ、「上(奥方さま)」と呼ばれて御殿「六条院」に君臨するのです。その幸せっぷりが最高潮に達するのが『玉鬘十帖』。紫ちゃんの立場があまりにどっしり安定して、もはやドラマにならなくなったので、「玉鬘」という新ヒロインが投入されたパートです。光源氏はいちお「お約束」的に玉鬘にホレて迫りますが、(まぁ仮に妻にしても、紫上ほどは愛せないもんなァ)と明言されており、紫ちゃんの立場は小揺るぎもしません。そして、極めつけに現れるのが、玉鬘十帖の終盤を飾るキャラ、髭黒というオジサンとその奥さまです。

髭黒一家のホーム・ドラマと紫の「上」

髭黒という男性は特異なキャラです。玉鬘十帖という、新ヒロイン玉鬘が出会う貴公子みなを恋のトリコにしながら貴婦人として開花していく物語、その後半に不意に現れ、とつぜん彼女を射止める殿方です。が容姿は武骨でイケてません。身分も、いずれは太政大臣になれるだろうという高貴さですが、皇統である光源氏には適いません。
つまり、「世間的には最高の男性貴族だけど、光サマには適いませんね」という、セカンドランク・キャラに造型されているのです。玉鬘が、さまざまな魅力を備えつつも、紫上には及ばぬヒロインであるのとそっくりです。要するに玉鬘・髭黒ペアは、光源氏・紫上を頂点とする作品世界の中、既に出来あがった秩序を壊さぬ範囲で、デュエットダンスを披露するカップルなのです。
そのこと自体は、別に驚くことではありません。源氏物語の各巻が書かれた順序には、古来さまざまな説がありますが、『玉鬘十帖』は前後の巻からやや浮きあがっており、後から挿入された可能性が高いからです。源氏物語の、俗に第一部と呼ばれる部分が終わったあと書かれ、現行の位置に押し込まれたとすれば、既にハッピーエンドが公開済みの物語の中、予定調和的な活躍しかできないのも無理はありません。
という訳で、『玉鬘十帖』は、既に先の読めた物語です。玉鬘姫は髭黒と結ばれ、なりにハッピーエンディングとなりました、めでたしめでたし、で済む話だったのです。しかし、作者はその最終盤に、興味深いキャラを3人、あえて登場させました。髭黒の奥さま・北方と、その召人(愛人)である女房、木工・中将です。

『源氏』世界に不意に現れた「異母姉さん」

この北方が、「実は紫の異母姉!」なのですね。何とも藪から棒に、
「紫の上の御姉ぞかし。式部卿の宮の御大君よ」
と語られるのです。この女性が夫・髭黒に捨てられて悲しみ、夫婦に仕える木工・中将も、自分らの失恋を加味して悲嘆する。その有様が「真木柱」巻には、妙に生々しく描かれるのです。…殿方が他の女性に心を奪われて奥方が嘆くというストーリーは、平安物語、定番中の定番ですが、召人たちの悲哀まで書くのは、あまりないんですね。なぜ「真木柱」巻ではフォーカスされているのか?
この理由を推し量るには、正直、現代に残る平安小説が少なすぎます。ですので推測になってしまいますが、考えられる理由を挙げてみましょう。
1) 想定読者層が女房だったから
女房は貴人のお手つきになることが多い立場でした。「身分違いの想い」の悲しみは彼女らの共感・支持を得た。これが想定できる理由の第一です。
2) やや穿った見方になりますが。読者に「紫の『上』本来の身の程」を思い出させるため。

紫の「身の程」を示す愛人たち

この2の方の理由、もうちょっとご説明しましょう。上で述べたとおり、紫ちゃんにあり得た人生コースは、「父に引き取られ、異母姉妹の上臈女房にされてしまう」道でした。そして当時の結婚は婿取婚。婿を迎え、まるで客人のように歓待して、できるだけ多く通ってもらい子供を期待する、という結びつきです。そのために魅力ある女房を多数かかえ、婿を「接待」するのが常識でした。
つまり、紫は光源氏にもし引き取られなかったら、異母姉・北方の上臈女房となり髭黒の手がついて、木工・中将のような女になっていたのではないか、ということです。特に中将が、もともと北方づきだったと語られているので、「パラレル世界の紫」と言えることでしょう。同じ世相を生きていた当時の読者たちには、明記されていなくともそれが見えたのではないでしょうか。だとすれば、

「紫の『上』の御姉ぞかし」

と語られた瞬間、「紫ちゃんは本来なら、あちら側にいて今泣いていたかもねえ」「それが『上(奥方さま)』というお立場に…」と、そのシンデレラぶりを実感したことでしょう。

紫上の優雅な境遇

髭黒は玉鬘と結婚したあと、騒動の果て北方とは離婚となります。北方一家は髭黒を恨み、玉鬘と、そして紫上をも呪いました。可愛がられず育った紫上が、父や異母姉への仕返しに、玉鬘を養女にして髭黒を誘惑したのだろう、と勘ぐった訳です。それに対して原文は、

春のうへは、聞き給ひて、「ここにさへ恨みらるる故になるが苦しきこと」と嘆き給ふ

と、紫上のおっとりとした、貴婦人らしい反応を語ります。相変わらず「春の上」という、超ゴージャスな敬称を使いながらです。また髭黒自身の口からも、

大殿の北方(←紫上のこと)の知り給ふことにも侍らず。いつき女のやうにて物し給へば。(玉鬘の結婚に紫上は関わっておいでではない。ご自身が、光源氏さまの愛娘のようにかしずかれていらっしゃるのだから。)

とも語らせています。父には愛育されなかった紫上が、今は光源氏の「いつき女(愛娘)」になり、「北方(ご本妻)」と呼ばれている姿です。「いつき」とは「神に仕える」という意味も持つ、すごい言葉。「北方」も貴人の妻たる、重い敬称です。
…上に挙げてきた紫ちゃんの、本来なら真っ暗だった行く末と比べてみてください。何たるファンタジー、夢物語でしょう!

まとめ

『玉鬘十帖』の最終盤。当時の読者はこのような描写を読み、「紫上は何とグッドラックだったのか」と、再認識したことでしょう。また、木工・中将らが髭黒に容赦なく棄てられる「情けなき」くだりは、召人にさえ「情けを見え給ふ」光源氏の、格別さをも再アピールしたことと思うのです。

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