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不思議な校歌

       幼年の日をおくる
       まなびや〇〇〇〇、
       幼年の日よ しづまれ
       みどり野に永くとどまれ。
       そのかみの貝塚よ
       そのかみはわだつみ
       いにしへは魚(いお)あつまり
       魚(いお)もうたひけむ。
       われら何を記(しる)すべき
       われら何をまなぶべき
       われらの行くところに
       師よみちびきをあたへてよ。
 
 この歌は室生犀星が昭和24年(1949年)に作詞した東京都大田区の小学校の校歌です。
 歌詞には一番二番は無く、思いを一気に表現している。
 この歌で不思議なのは、謳っているのは魚なのだ。
鳥が歌うと言うのはあると思うが、どうして魚がうたっているのだろう。
犀星がこの校歌で魚に謳わせた動機・理由を考えてみた。
 犀星は大変魚が好きで、自らを「魚眠洞」と号して、魚を題材とした詩や小説を書いている。そのなかで小説「不思議な魚」に校歌の魚と思える表現の部分がある。
 
   /その魚は美しい白魚のような形をした、それでいて、瞳もあり、    
   足や手のある美しい人間のような魚です。その眼はきらきらとし 
   た美しい黒い瞳をしていました。
   水面(みなも)に白い魚がきれいに列(なら)んで、泳ぎながら美しい 
   声をそろえて唄っていました/
 
 これは、校歌に出てくる魚のイメージにそのものだ。不思議な魚は、精霊であり永遠の生命を表している様だし、校歌にも永遠の命を与えようとしたのかも知れない。
  さらに、その前の部分
       幼年の日よ しづまれ
       みどり野に永くとどまれ
これも、犀星の作品に似たような心情の詩がある。
         犀川の岸辺
       茫とした
       ひろい磧は赤く染まつて
       夜ごとに荒い霜を思はせるやうになつた
       私はいくとせぶりかで
       また故郷に帰り来て
       父や母やとねおきしてゐた
       休息は早やすつかり私をつつんでゐた
 
       私は以前にもまして犀川の岸辺を
       川上のもやの立つたあたりを眺めては
       遠い明らかな美しい山なみに対して
       自分が故郷にあること
       又自分が此処を出て行つては
       つらいことばかりある世界だと考へて
       思ひ沈んで歩いてゐた
       何といふ善良な景色であらう
       何といふ親密な言葉をもつて
       温良な内容を開いてくれる景色だらう
 
       私は流れに立つたり
       土手の草場に座つたり
       その一本の草の穂を抜いだりしてゐた
       私の心はまるで新鮮な
       浄らかな力にみちて来て
       みるみる故郷の滋味に帰つてゐた
       私は医王山や戸室や
       又は大日や富士潟が岳やのの
       その峯の上にある空気まで
       自分の肺にとれ入れるやうな
       深い永い呼吸を試みてゐた
       そして家にある楽しい父母のところに
       子供のやうに あたたかな炉を求めて
       快活な美しい心になつて帰つて行くのであつた
 
犀星は生後すぐ養子に出され、実父母の顔を知らず、養父母に育てられた。
犀星の幼い日は辛いことが多かったと言われている。
しかし、生まれ育った地を離れると、辛かった故郷のみどりの地は暖かく向かい入れてくれた。故郷で得たやすらぎは精気を与えてくれた。
そして、その先の海には人魚のように美しい魚の唄が聞こえる。
犀星はこの様な気持ちを詞に込めたのではないか。
こうしてみると、この校歌は犀星自身の心の中の世界を表現している様に思われる。
ただ、犀星は多くの校歌を作詞しているが、自身の心情を強く表現しているものは他には無い。校歌としては異端だが、何故この様な歌詞にしたのか分からない。
 

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