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11月29日(2003年) モチベーションとは何だろう

 迷った。
 悩んだ末に、この日にした。

 2003年11月29日(土)、浦和レッズは埼玉スタジアムに鹿島アントラーズを迎えて、J1リーグ2ndステージ第15節(最終節)を行い、2-2で引き分けた。アディショナルタイムにレッズが同点ゴールを決め、鹿島が目前で優勝するのを阻止した。

 レッズがヤマザキナビスコカップで待望の初タイトルを獲ったシーズン。ナビスコ杯優勝の5日に行われたJ1リーグ2ndステージ第12節で勝利し、ステージ首位に躍り出た。残り3試合に勝てばステージ優勝も手にできる。
 初戴冠の祝杯をまだテーブルに置かないうちに、次の乾杯の準備をするようなもので、レッズ界隈の盛り上がりようは大変なものだった。

 僕は第12節が終わるまで、ステージ優勝をそれほど意識していなかった。
 この年、1stステージは6位。前年の1st11位、2nd8位、年間11位に比べてかなり前進しているが、優勝に絡むほどではなかった。2ndステージも第5節を終わった段階では2勝1分け2敗で下位だったが、その後は6試合負けなしで徐々に順位を上げた。ただ6試合負けなしといっても3勝3分けだからバク進したわけではなく、ナビスコ杯決勝前の11試合で挙げた勝ち点は19で、優勝争いする“相場”よりは少し低い。それでも第11節で首位に勝ち点1差の3位まで上がってきたのは、上位で星のつぶし合いがあったからだろう。

 正直なところ、8月以降はナビスコ杯準々決勝、準決勝をFC東京や清水エスパルスに競り勝って決勝に進んでいる時期で、そのことに意識が集中していたと思う。10月8日に決勝進出を決めてからは、鹿島に前年の雪辱を果たすことで頭がいっぱい、というよりもMDP決勝特別号の製作でてんやわんやだった。

 第12節で首位に立ったとはいえ、勝ち点は22。勝ち点3差内に6チームがひしめく状況だった。
 レッズはその後2連敗し、優勝争いから脱落。13節・清水戦、14節・名古屋グランパス戦。このどちらかに引き分けていれば、優勝の可能性を残せたが、残念ながら首位とは勝ち点4差の5位で最終節を迎えた。

 対戦相手の鹿島は首位と勝ち点2差の2位で、この最終節で首位のジュビロ磐田が負け、自分たちがレッズに勝てば優勝という位置にいた。
 また磐田と対戦する横浜F・マリノスも勝ち点3差の3位で、最終節で磐田に勝ち、鹿島が引き分け以下なら逆転優勝という状況だった。

 1週間前に優勝の可能性が消えたばかりのレッズは、モチベーションが保ちにくかった。最終節、今季共に闘ってきたサポーターの前で勝利を、という気持ちはあっても、勝てば優勝の可能性がある鹿島の勢いには押されがちだった。特にこの月の初めには、ナビスコ杯の決勝で負けたレッズに対するリベンジの気持ちもあっただろう。鹿島が2点を先行して前半を折り返した。

 ハーフタイムに磐田が1-0で勝っているという情報を得たので、このままなら鹿島が勝っても優勝はないな、と少し安心した。1-1で引き分けても鹿島があと3点入れない限り逆転はないという得失点差だった。
 後半、鹿島は2点のリードに満足せず、追加点を取りに来た。どうも後半始まってすぐに横浜FMが追いついたらしい。しかし、目の前で優勝されるのはレッズも良しとはしない。60分に永井雄一郎が投入されると攻撃にムチに入り76分、エメルソンのシュートのこぼれを永井が蹴り込んで1点を返した。スタンドは沸いたが、鹿島の勢いは衰えない。前半よりもかなり緊迫した試合展開となったが、終了間際、鹿島ベンチの様子がおかしくなった。トニーニョ・セレーゾ監督を筆頭に「抑えろ!」というジェスチャーをしている。

1点を返した後、自分でボールを拾ってセンターサークルに向かう永井

 その後、永井が右サイドを突破しクロス。そのボールにエメルソンがダイビングヘッドし、ボールはGK曽ヶ端準の横を抜けてネットに突き刺さった。2-2。すでにアディショナルタイムに入っていた。
 相手の優勝を目の前で見ずに最終節を終え、チームたちは最後の場内一周をした。ナビスコ杯を獲った自信と喜び。そして来季こそリーグ優勝を、という意欲にあふれた埼スタだった。

喜びと意欲にあふれた最終節セレモニーだった(2003.11.29)

 後で聞けば、この日後半終了間際に横浜FMが逆転勝ちしたらしい。埼スタの方が試合が遅れていたので、その報を受けた鹿島ベンチはイレブンに「もう攻撃しないでいいから守れ」という指示を出した。それが鹿島イレブンの混乱を招いたということも考えられた。
 もし逆に埼スタの試合が終わるまで横浜FM対磐田が1-1のままだったら、鹿島は最後まで攻撃の手を緩めなかっただろう。その結果、どうなっていたかはわからない。
 ただ永井はこう言っている。
「自分たちも優勝を目指してやってきたのに、相手が目の前で優勝するなんてあり得ないです」(2022年10月8日MDP640号)

 今季の終盤、上位の相手に大敗する試合が続き、最終節では逆に残留争いのアビスパ福岡に追いつかれて引き分けた。
 モチベーションの違いが試合を難しくしている、と言われたが、過去にはこんな試合もあったのだ。

 さて、みなさんは2003年11月29日、何をして何を感じていましたか?

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